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社会人生活1日目⑦

梅雨の湿った夜風が頬に触れると、いつも思い出す。
打ち上げ前に訪れたショットバーで、憧れの男性DJが放った言葉を。

『東京に興味あるの?興味あるなら東京に来る事を強くお勧めするよ!!
東京とここ(地方)は、情報スピードが3年違うからね。
最近、インターネットが急激に普及して情報スピードは前より早くなったけど。』

あの夜、彼の表情や放たれる言葉は、あまりにも明るく軽やか過ぎた。
しかし、20歳の私にとっては、その言葉はあまりにも衝撃的だった。
私にとっては、市内のPARCOが最先端の世界だったから・・・

『音楽ライターになろう』

何を思ったか、私はくるりの『東京』をリピート再生し、東京に集結する出版社へ履歴書を片っ端から送り始めた。
採用ページに記載されてある《応募必須条件》《現在、募集を行っておりません》等、スキルも経験もない私はこの文面をとにかく無視し続けた。

人はゴールが決まれば、そこへ向けて動き出す。
それと同時にきっと人生の歯車も動き出す。
例え、それが不純な理由だったとしても・・・だと信じたい。

・・・結果は見事な完敗

社会経験ゼロ・地方在住・音大出身・志望動機は意味不明、移動費をできれば出して欲しい・・・
こんな悪条件揃いの若者がいかようにして採用されるのか。
採用担当者の判断に、何なら私も賛同する。



私は、渋々地元の出版社を探し始める事にした。
もうすぐ梅雨が明けてしまう・・・
両親のイライラはマックス・・・
バイトで貯めた所持金数万円は尽きてしまう・・・

フィールドを変えたところで結果の出ない私には
やっぱりこの就職活動は無理なのだろうか。

半ば諦めモードで最後の出版社へ、履歴書を送る事にした。
最近創刊されたばかりの若者向けストリートスナップ雑誌の出版社だ。

・・・結果は即採用

真のライター志望者ならば、そこがどこであれ書く事に喜びを感じるのかもしれない。
しかし、私は違った。

社会人1日目が、こんなにも嫌な気持ちでスタートすると思わなかった。
初出勤の電車の中、学生時代のこんな事を思い出した。

心優しい先生方は、進路報告のない私に最後まで心配をしてくれていた。

先生『音楽教室や音楽制作会社に知り合いがいるんだけど、もし興味があれば紹介するよ。』
当時、小さな街では滅多にないお誘いだったにも拘わらず、私は熱く回答するのだった。

『私、音楽ライターになりたいんです。素晴らしいミュージシャンや素敵な曲について私の言葉で書きたいんです。1ページの中の小さな小さな1コマでも書かせてもらえたら、私は幸せです。』

こんな台詞、どこから出てきたんだろうか。
今となっては、よく分からない。

しかし、数か月前の過去を後悔したところで、何も変わらない。
変えられるのは、今ここと未来だけだ。

ここの出版社経験が切っ掛けとなり、
私は自分の居場所が大きく変わるチャンスをものにするかもしれない。
決して人には言えない大き過ぎる期待を、私は胸にそっと閉まった。

出版社のあるオンボロビル2階に業務開始40分前に到着してしまった。
少し張り切りすぎたが・・・
いや、入社初日だ。新入社員は第一印象が大切。
きっとみんな笑顔で迎えてくれるだろう。
不安からくる心臓の鼓動が、全身に鳴り響く。

ブレハブ小屋についてるアルミサッシで出来た入口のドアをノックする
が反応がない。

とりあえず、ドアノブをそっと開けてみようと試みる・・・
鍵が閉まっている。

流石にちょっと早すぎたか・・・
下ろしたての黒パンプスで直立するも、誰も来ない・・・



出版社ってところは、きっと連日深夜残業して翌日はギリギリにみんな出社するのかもしれない。
もしくは、中では誰か寝ているのではなかろうか。
妄想を巡らせるも、静かに時間だけが過ぎていく。
10分前になったところで、ようやく誰かが階段を上がる足音が聞こえてきた。
緊張の面持ちで待ち構える私の目の前に現れたのは、お洒落パーマのかかった20代後半男性だった。

『おはようございます!!○○と申します。初めまして!!よろしくお願いします!!』
姿勢よく、満面の笑顔で挨拶した。
男性『あ・・・初めまして。実は僕も今日が初日なんですよ・・・苦笑 
もしや、まだ誰もいないの・・・?』

( この人と同期か・・!!ラッキー!!優しそう!!)

お洒落パーマのかかったお兄さんは、キャリア採用されたカメラマンさんだった。
私とは対照的に、いかにも古着のクタッとしたレトロシャツに、撮影道具の入ったカメラバックを肩から下げていた。

男性『そっか。君はここが人生で初めての会社なんだね。』
物腰柔らかな口調の男性カメラマンと私は、冷房なんか付いてない雑居ビルの廊下で、ひたすら蒸し暑さに耐えていた。

業務開始の2.3分前になったところで、
同じく20代後半の女性が、息を切らしながら階段を駆け上がってきた。

女性『もしかして、新入社員の方ですか??』

笑顔で迎える2人に対し、彼女は明らかに呆れた表情を見せた。
私は、女性の表情に凍り付いたが、その表情の矛先は私たちではない事をすぐに理解した。

女性『一言ぐらい言ってくれればいいのに!!』
苛立ちを隠すことなく、彼女は息を切らしながら続けた。

彼女『暑い中、お待たせしてすみません・・・
編集長はたぶん遅れてきます。いつもなんですよ。
とりあえず中に入って空いてる席に座って下さい。全部空いてるのでどこでもいいですよ。
実は私もまだ入社して1週間目なんですよ・・
元々いたメンバーは私が入社した翌日全員辞めちゃって・・・。
だから、引き継ぎも全然できてないし、私も今手探り状態で。』

記念すべき、社会人生活1日目の朝はこれだ。

私とカメラマン男性は、もちろん一瞬にして笑顔が引きつった。

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