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【開催報告】「世界は贈与でできている」読書会第6回

2024年4月11日、
「世界は贈与でできている」の読書会をしました!

4月11日(第6回)イベントページ

今回も、5名のかたが参加してくださいました。
ありがとうございます!

ファシリテーターの本田さんもありがとうございます!

今回も、
1〜5章のエッセンスを本田さんがまとめてくださり、
前回までの内容をみんなで振り返って輪読に入りました。

第6回のジャムボードはこちら

輪読⇨ジャムボード⇨対話、という流れで行いました。

最近は、良いのか悪いのかはさておき、
著者の人への懐疑的な意見をみんな臆することなく出せるようになって・・

というか、私が率先して出してる!?笑

だってもう、
「「常識を疑え」を疑え」っていうタイトルの時点で、
なんかダルい〜・・w

いや、でもですね、
難解だな〜とは思いつつ、個人的には、この章は結構好きでした!

対話では、こんな発言がありました。
・この章の前半部分、必要か?w
・「常識」という言葉に対して読者がもっているイメージを定義し直すために、具体的な説明が必要なのでこういう構成になっているのだと思う
・この章自体、著者の言語ゲームにさらされているのだと思う。常識を疑うという言葉をどう扱っているか、問いかけることで理解がすすむという構成なので、その言語ゲームにのっとって、読むしかない。その上で、自分の言語ゲームならどう表現できるかと考えたほうがいい。
・結局、なにを言ってるのかな?常識を疑うな、っていうこと?常識が大事だよ、ってこと?それを言いたいのか??
・常識が確固であれば、アノマリーに気付けるよって話だと思う。
・アノマリーを、贈与の話につなげたいのだと思う。そのためには、常識を地にしておかないと、アノマリーに気付けない。前のほうの章で、贈与を受け取るためには受取手に想像力が必要という話もあった。アノマリーに気付けないと受け取ることができないですよね、という話になっていくのだと思う。
・アノマリーを感じるためには常識がないとだめですよねってことか!それによって、求心的思考ができるってことね。
・読ませる気あるのかな。ちょっと不親切だと思う。どんな素晴らしい主張があっても伝えないと意味がないので、伝える工夫がないと読者は脱落しちゃうのでは?
・本の帯の、著名人の絶賛を思い出して、「帯に書いてあることは正しい」という常識を疑っちゃったw
・読書会で読むんじゃなかったら読めなかったと思う(⇦複数人)
・わからない・ややこしいところは読みとばして、2日くらいでさらっと読んだときはもっとわかりやすく面白く感じたので、あんまり細かいところにこだわらなくていいのかも?
・すでに読者がもっている「贈与」に対するイメージをくつがえして、丁寧に伝えるために、こういう書き方をしているのだと思う。
・なにを前提とするか・・・真理や定義などの、一体どこまでがそれにあたるのかを、自分のなかで明確にしておくのが大事だなと思った。
・逸脱的思考と求心的思考の2つのバランスの扱いが大切だと思った。
・わかりやすさばかりが強調される世の中だが、受取手の責務が重要だと言われている感じがする。受取手がどう受け取るか、とか、相手の状態をみるとかを、もっと意識したいとしたいと思う


集合知ってすごい〜!!!

輪読が終わった時、
「この章、ちんぷんかんぷんだ!!」と思ったのに、
対話していくなかで、徐々に腹落ちしていく感じ。

難解な本は、こうしてゆっくり、
みんなで読むのが合っているかもしれないですね〜^^


さて、次回は第7章!
「世界と出会い直すための『逸脱的思考』」

5月14日(火)19:30-21:30です!
ここからの新しいかたのご参加を歓迎いたします!
お待ちしております♪

詳細・お申し込みはこちら↓


お金のために何かをしないと決めています。やりたいと思ったことだけやっています。・・とはいえなかなか世知辛い世の中。気が向いたら、サポートをお願いします!