見出し画像

月に叢雲花に風

ご覧いただきありがとうございます❣️らぶです!
初めて美術関連のnoteを書きます!どきどき

アーティゾン美術館で開催されていた、
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 
に、行ってきました!新しい気づきがあったので、こちらに。

ジャム・セッションとはジャム・セッションは、アーティゾン美術館のコンセプト「創造の体感」を体現する展覧会です。アーティストと学芸員が共同して、石橋財団コレクションの特定の作品からインスパイアされた新作や、コレクションとアーティストの作品のセッションによって生み出される新たな視点による展覧会を構成します。過去から現代、次代へ向けての架け橋となるプロジェクトを目指します。今後も、毎年一回開催する予定です。

公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館
公式HPより


会期は終了していますが、気になる方はこちらに➡️https://www.artizon.museum/exhibition/detail/539

写真家の柴田敏雄さん、鈴木理策さんの作品と絵画作品が横一列に展示されていて、体感したことのない展示の仕方で、観ていて、とてもわくわくして刺激を受けました。


そもそも写真と絵画の違いとはなんだろう?
一瞬をおさめる写真、きっと、何かを伝えたい、残したい、という想いでシャッターをきる。


絵画はモネのように瞬間を捉えたい画家もいれば、空想上のものだったり、以前にどこかで見たものを思い出して描いたりする画家もいる。

今回の展示は、モネの睡蓮の横に写真の睡蓮の作品が飾ってあった。観て比較してみると面白い。
芸術、という点では同じだけれど、私が写真展に興味がなかったのはなぜだろう?
共通することは、写実主義の絵画にも言える。あまりにも本物に近づきすぎて、感嘆の言葉しかでてこない。(例えば静物画など)

私が絵画を観るときに好きなのは、まずは色。直感的に気分がその色によって言葉にできない場所へ連れて行ってくれる。
それから、構図。私はエル・グレコが好きなんですが、人の劇的な動きだったり、人の配置に、うわぁと心が動かされる。
あとは、筆のタッチ。印象派以降は特に、筆の厚塗り感や重ね塗りしたところ、1番明るいところ(純粋な白を他の色を混ぜずに使っているとか)に想いを感じて、その当時の画家の感覚に思い馳せてみる。

そう、たぶん、正解がないものだから好きなのかもしれない。写真だってそうかもしれない。まだ写真の世界に全く詳しくはないのですが、最近、抽象画に惹かれているのは、きっと余白が多いから。(あとキム・ナムジュンの影響、あとキム・ナムジュンの影響あとキム・ナムジュンが好き)

画面上のものだけではなく、考える余白。私は小学校の頃から算数よりも国語が好きだったみたいに、答えが決まってない、色んな解釈ができる、そんなところに惹かれているのだろう。

写真にも構図やその一瞬への想いがもちろんある訳だが、今回、写真と絵画が並べて展示してあって、写真機の発明がもう少し早かったら、多くの名画がこの世にはなかっただろうと感じた。文明が発達することは良いことだし、人は便利に暮らせる。だけど、だけど、ってゆうところ。


鈴木理策さんが仰るには、肖像写真には2人の関係性が現れるそうで。普段の何気ない写真もそうだろう。(インスタグラムや先日のVログのキム・ナムジュンさんを思い出しますね!w)

私は知らない人に写真を撮ってもらうとぎこちない笑顔だったりすることがある。
肖像写真ではこの関係性のバランスが大事だそうで、それは肖像画でもそうだと思う。画家の知り合いが描かれることがほとんどだが、依頼された高貴な人物には、きっとオーラとか威厳とか脚色を入れているかもしれない。(ナポレオンの専属画家のダヴィッドもそんな気がする..)
身近な人、例えば自分や友人の子供や妻には温かみがあるかもしれない。ルノワールの子供の絵なんかは特にそう感じる。

写真展にはまだ行ったことがないが、友人の撮った写真で、その人の感性を感じ取って圧倒されることは何度か経験した。
それは余白だ。絵画と写真には共通点も多くあると思った。これからも探していきたい。

今回は時間がなかったけれど、抽象画って自分との対話になるし、疲れたら色や筆のタッチに沿って気持ちを思うがままに無意識に流せばいいし、頭がすっきりしそう。選り好みは良くないと改めて思った。芸術に偏見を持ってどうする。なんでも感じて実際観るまでは、批判や感想を抱くことなんて無理なんだ。


最後に巨匠のお言葉を。

絵画の中に含まれるすべての分野を愛さない者は普遍的な人間ではない。ある者は、風景を好まないせいで、風景には手短かで単純な研究しか必要ない、と評価したりする。同郷人のボッティチェッラが述べたように、このような研究はしても無駄だ。なぜなら、さまざまな色を含ませた海綿を壁に向かって投げるだけで、その壁面に染みが出来て、そこに美しい風景が現れるからだ、と言う。確かにこのような染みの中には人がそこに見出したいと思うものさまざまな着想が見出される。・・・それは鐘の音を聞くのと同様であって、君はその中に君のお望みの音声が聞き取れるのである。

参照:斎藤泰弘訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ 絵画の書』、岩波書店、2014年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?