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娘爆誕裏話2〜妊娠糖尿病〜

前回に引き続き、娘爆誕までのストーリーを紹介したいと思う。
前回は初回にしてだいぶ重い内容となってしまったが、ここからは少しライトなのでご安心いただきたい。

だが渦中にいる時は必死そのもの。娘誕生までのドタバタ群像劇を、引き続き楽しんで(?)いただけたら嬉しい。

血糖検査なるもの

血糖検査。そう、あの甘い炭酸水を一気に飲まされて、数時間置きに採血されるアレである。
息子の時には受けた記憶がないのだが、時代が変わったのか、大学病院だからか、年齢が年齢だからか、とにかく受けた。

この炭酸水、看護師さんの目の前で一気に飲み切らなければいけないのは苦痛なのだが、幸い季節が真夏、喉が渇いていたのでゴクゴク飲めた。むしろ美味しかった、とこっそり思ったことをここで吐き出してみる。

病院で検査のために飲む(飲まされる)ものなのに、美味しいって何事、、と思ったが、とにかく平和に飲み干した。真夏の暑さに乾杯である。おまけによく冷えていた。

人間ドックで飲むバリウムも、これくらい普通に飲める味なら良いのに、と思っている。これだけ医学が進歩しているのに、いつになったらあのコンクリート感がなくなるのだろう。もっと美味しく飲めるようになったら、人間ドックの受診率も上がるだろうよ、と勝手なことを思う暇人である。

3、4回採血をされたので、見た目は痛々しい腕になっていたが、その日は検査だけ終えて早々に帰宅し仕事に戻った。

どんなことがあろうと、妊娠初期に大きな大きな壁を乗り越えた私は無敵なように思えた。
この後起こるまた新たな事態など予想だにせず。

まさかの妊娠糖尿病発症

あろうことか検査で引っかかり、再検査となった。きっと仕事でストレス過多だったか、寝不足だったか水分不足だったか、いずれにせよ大丈夫だろうと楽観的に考えていた。

が、再検査の結果、むしろ数値は悪くなり、妊娠糖尿病と診断された。妊娠糖尿病?他人事だと思っていた。まさか自分がなるなんて。

それからは厳しい食事療法と、毎回指に針をさして測る血糖測定が始まった。そう、指に針をさすのである、なんて原始的なのだろうか。
勝手にセンサーか何かでピッと手をかざすだけとか、そんな都合の良いものを想像していただけにショックだった。

これがまた、普通に痛いのだ。刺し方が甘くて血液量が少ないと測定できないのでまたやり直しとなる。その時の悔しさといったらない。

このシステム、この機械、どうにかならないものだろうかと思った。妊娠糖尿病は通常、出産後には治ると言われているが、通常の糖尿病で生涯ずっと血糖測定をしなければならない人は、この苦行をやり続けるのだろうか。

医学関係者の方には、是非とも毎回こんな苦痛を伴い、指を傷だらけにしなくても良い測定方法を発明していただきたいものである。

テレワーク・分食・血糖測定。2021年夏

昨年夏の思い出といえばこれだ。毎日ひたすらテレワーク・分食・血糖測定(分食=一度に量を食べると血糖値が爆上がりするので、少量を何回かに分けて食べること)。

血糖値をいかに上げずに栄養を摂るか。妊娠糖尿病の管理は難しい。今では信じられない幸せな悩みであったが、「食べても体重が増えない」という異常事態に、深刻に悩んでいた時期がある。

分食というのがまた結構シビアで、基本は野菜から、そしてタンパク質、最後に糖質と摂っていくのだが、ほんの少量なのである。二時間後に食べる捕食も、せいぜいクラッカー数枚とか、ヨーグルトとか、これで体重が増える訳がない。
一時期は心配したものだが、赤ちゃんは大きくなっていたので問題ないと言われた。

食べても体重が増えない(むしろ赤ちゃんが大きくなっている分、私単体の体重は減っていた?)など、今から思えば夢の悩みであったが、やはり分食はきつかったなと振り返って思う。

血糖測定は食事開始からぴったり2時間後に行うのだが、忘れてしまうので、Googleでアラームをかけていた。
休日なんかは、このアラームが鳴ると息子がせっせと血糖測定セットを持ってきて、消毒コットン、測定器、針、血液採取センサー、そして記録用のノートとボールペンを机に広げてくれたものである。
食事を食べ始めると、「OK、Google、ママの測るアラームをかけて!」と2時間後にアラームをセットしてくれる光景も日課になっていた。

お世話好きの息子。
ストレスの溜まる妊娠糖尿病の日々も、こんな息子に救われていたものである。

今はGoogleでアラームをかけることはあまりなくなってしまったが、あのアラーム音を聞くと、昨年夏の日々を思い出す。

人体の不思議

妊娠糖尿病は女性ホルモンと密接な関係があり、妊娠週数が進むほど、管理が難しくなる。
インスリン注射を打ちたくない一心で、妊娠後期は分食での食事に運動も加えて、とにかく血糖値を上げないように頑張った。

そんな毎日なので、ますます体重は増えなかった。しつこいが、今となっては本当に幸せな悩みである。

永遠に続くのではと思えた妊娠糖尿病との格闘であるが、出産後は嘘のように治った
これが本当にびっくり。あれだけ食事制限をしていたのに、出産した直後の食事から、「全部食べて良い」のである。繰り返すが、出産直後から、である。

さすがに3ヶ月もちびちび少量しか食べてこなかったため、「やったー!」と内心喜びながらも胃がそんなに受け付けない。病院で出される食事がまた、びっくりするくらい量が多く、本当に?この量を糖尿病患者に全部食べて良いと?にわかには信じられなかった。

だが体は不思議なもので、2日も経たないうちに、私の胃はかつての記憶を取り戻したらしかった。「全部食べられる!食べたい!」という欲求が戻ってきたのである。そして気づいた時にはペロリ、デザートまで完食、小腹が空いたらおやつまでつまむくらいにまでなっていた。
もはや、妊娠糖尿病経験者としては自殺行為である。

だが体は本当に不思議なもの。産後も血糖値を毎回測っていたのだが、これだけ食べても、全く数値が上がらなくなった。「妊娠糖尿病が治った」ということだった。

聞けば、出産を終え胎盤が体の外に出てしまった瞬間から、治るらしいのだ。なんということ。「今、赤ちゃんが出たよ、胎盤がなくなったよ、それホルモン下げよう〜、インシュリン出そうぜ〜」ってな感じで体のあらゆる器官、あらゆる神経、あらゆる分泌物などが素晴らしきチームワークで連携しているように感じた。

赤ちゃんがおよそトツキトオカで自分で生まれようとしてくるのも凄いが、妊娠、出産のたびに急上昇、急降下するホルモンも然り、人間の体は本当に凄い。神秘である。

産後フォローアップ検査

産後もたまには自宅で測ってくださいと言われていた血糖値。頻度はぐんと減ったが、相変わらず息子がGoogleでアラームをセットし、血糖測定セットを一式準備してくれた。
私もだが、息子もだいぶ手慣れたもんであった。

今年の始め、ちょうど産後3ヶ月目にあたる時期にフォローアップでまた血糖検査を行うことになっていた。
久しぶりに通う病院に、少し心が躍った。この病院で色々なことがあった。娘が生まれた。感慨深いものであった。

この日は忘れもしない、関東で大雪に見舞われた日であった。病院の窓からも雪がチラチラ、どんどん景色が白くなっていき、患者さん達が心配そうに、だが少しばかり高揚した様子で外を見ていたのを覚えている。

再びの血糖検査。妊婦の時と違って今度は真冬である、冷たい炭酸飲料がきつかった。

結果は無事に異常なしで、これで妊娠糖尿病との付き合いはめでたく終了した。

ただし妊娠糖尿病罹患者は、将来糖尿病になるリスクが普通の人の7倍!だそうで、定期的に健康診断を受け、日頃からバランスの良い食事や運動を心がけなくてはならない。

どうせ年をとれば何かしら健康上の問題が出てくる。むやみに心配するのではなく、むしろリスクを今から知ることができてラッキー、今から予防のために意識して生活できる、と捉えることにしている。

病院卒業、したのだが

産後の血糖検査も問題なく、無事に病院を卒業することとなった。大学病院なので、妊婦検診も、出産も、妊娠糖尿病の治療や診察も、全てこの病院で受けていた。

卒業。この言葉がぴったりであった。最後に病院を後にする時、思わず病院の写真を撮り、少しだけ立ち止まらずにはいられなかった。

この病院に初めて来たのは3月。まだ春の気配も遠い、妊娠初期であった。染色体異常疑惑を指摘され、出生前検査(NIP T)を受けるために紹介されて来た。

どれだけ色々なことがあったのだろうか。どれだけ不安な気持ちで来たことだろう。そして色々な先生たちにどれだけ支えられてきただろう。

病院は元気になるために通うもの。だから通わなくて良くなることが一番なのは言うまでもない。だが、なぜかもう来ることがないのだと思うととても寂しくなった。
先生達と話すのが、孤独なコロナ時代の妊婦であった私の、ちょっとした癒しになっていた。

いつかの日に私を銃で撃ったあの医者に、唯一感謝することと言えば、この病院を紹介してくれたことだ。
「ありがとな!」と颯爽と言い放ち、一発足蹴りくらいはかましてやりたい気分である。

帰宅し、娘をより一層愛おしく感じた「病院最後の日」であった。

あとがき

妊娠糖尿病は産後まで長期に渡ったため、病院卒業の日のことまで書いてしまったが、実はこれだけで終わりではなかった。
もうお腹いっぱい、という方もおられるだろうが、もう少しだけお付き合いいただけると嬉しい。

まだまだトラブルは続く。



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