娘爆誕秘話1〜染色体異常疑惑〜
娘が産まれるまでの波瀾万丈ストーリーを、何回かに分けてお送りしたいと思う。
今回の妊娠、あまりにも色々あって、「一冊本が書けるレベル」だと勝手に思っていたので、こうしてようやく記事にできることが嬉しい。やっと、あの時の経験や思いが形になる、微量でも誰かの力になるかもしれないと思うと、勝手に感無量である。
ちなみに、6年前の息子の時もトラブル満載だった。平和な妊婦生活とは無縁の私、そういう星の下に生まれたのだろう。
突然銃で撃たれる
忘れもしない妊娠10週4日のことである。変な出血があって急遽クリニックを受診した。
予約外のため、いつもの先生ではなかった。この時担当した医者は、初っ端から無愛想で冷たくドライな空気、なんだか嫌だなと思った。
診察の後、謎の出血は一時的なものであり、問題ないことが分かった。
だが一安心したのは、ものの3秒くらいのことで、この後私はこの医者からあまりに残酷な事実を言い渡されることになる。
「出血は問題ありません。が、ちょっと別の問題があるのでそちらの部屋に来てください。」
もう少し、優しく言えないものだろうかと正直思った。
素人ながら、エコーで映し出される赤ちゃんを包んでいるらしい膜が、なんだか厚いな、そんなものか?と思ったりしていた。
医者の元に戻ると、ヤツは相変わらずの仏頂面に感情も何もないような口調で説明を始めた。
「首の後ろに浮腫があって、それが普通より厚いです。これがあると、染色体異常の可能性があります。」
固まった。染色体異常とは?真っ先にダウン症が頭に浮かんだ。
突然銃で撃たれたような衝撃。何も考えられなくなった。
それでも、必死で平静を装い、医者に質問をした。
「可能性、というと、どれくらいなんですか?」
ヤツは分厚い医学書のようなものをバンと机に広げると、グラフを見せながら言った。
「年齢がここで、この辺りになるので、大体5人に1人ですね。」
5人に1人。50人とか100人に1人ではないんだ。目の前が真っ暗になると同時に、机に広げられたその本を見て、この統計とやらは本当にアテになるのか?と冷静に疑う自分もいた。
その後、どうして良いかわからず数秒沈黙が続いた。出てくる言葉もなく、苦し紛れに「この浮腫というのは、そのうち消えていくものなんですか?」と、どうでもいい質問をした。消えたからといって何なのだ、こんな時ですら沈黙が苦手な自分に呆れたものである。
「消えると思います。」ー以上。
何のフォローも温かい言葉もない。この医者は人の心を持っているのだろうか?何故にして産婦人科医になどなったのだろうと今振り返っても謎である。
「そうなんですね・・・。」
フワフワした頭で話を聞いていたが、最終的に大学病院を紹介され、そこで俗に言う“出生前検査”を受けることとなった。
なんだって銃で撃たれたのである。霧の中を彷徨う感覚で、ヨロヨロしながらなんとかお会計の窓口まで歩いていった。
ダム決壊
お会計を待っている間、ボーっと椅子に座っていた。
大学病院への紹介状を書いてもらう関係で、待ち時間が長かった。
二人目を妊娠して嬉しかったこと、辛い悪阻もなんとか耐えてきたこと、息子になんて報告しようかワクワクしながら考えていたこと、4人家族になる妄想ー全て嘘のように思えた。全てが夢だったのかもしれない。
旦那にすぐに連絡をしようとしたが、体が動かなかったし脳も働かなかった。銃で撃たれたのだから、そんなにチャキチャキは動けない。
そんな中、診察室で私の様子を見ていた看護婦さんがやってきた。
「先生がね、2週間後くらいにまた来てくださいって言ってましたよ。大変でしたね、ビックリしたよね。ごめんなさいね。」
人の優しさとはこういうもの。ショック、悲しみ、動揺、やり切れなさ、不安、恐怖・・・溜め込んで溜め込んでいたものが突如溢れ出した。まさにダム決壊である。
大人げないが、涙が止まらなくなり、声を必死で飲み込みながら泣いた。待合室で、恥ずかしい。他の妊婦さん達はびっくりしただろう。
だが抑えられなかった。私のダムはそれほど優秀ではない。
「すみません、すみません。」他人の前でこんなに泣いたのは後にも先にもないかもしれない。
「大丈夫。念のため検査して、みんながみんな、そうなる(異常がある)訳じゃないから。でもビックリしたわよね。」
このとき思った。優しくするのは看護婦さんの役目。医者は私が取り乱さないように、淡々とドライな態度を取ったのかもしれない(もしくは本当に人の心を持っていないのかもしれない)と。
大学病院初日
紹介された大学病院は、想像より綺麗でなんとなく安心感があった。
受けることになっていたのはN I P Tという、母親の血液で胎児の染色体異常の有無がわかるというものである。
しかし私はこの検査を受けるべきなのか、すぐに決断できないでいた(だが紹介状には私が希望している、と書かれていた。費用の説明も特になかったが、後で聞いたら19万ほど・・・!)。
検査を受け、もし陽性だったらどうするのか。
命の選別ともいえる出生前検査。
それを受けることの意味、結果をどう受け止めるのか、私たち夫婦にはまだ心の準備ができていなかった。
そもそも赤ちゃんの首の後ろの浮腫が厚いというのは本当なのか?あの医者の誤診ではないのか?そうであってほしいという切なる願いを抱えて、大学病院の先生にもう一度じっくり診察してもらえないか掛け合った。
結果、再度診察することにあまり意味はなく、そもそも浮腫が厚い・厚くないで染色体異常の有無を判断できるものではない(厚みが何センチ、なども医者によって見方が違うそうな・・・)ということで、まずは出生前検査を受ける前の遺伝カウンセリングなるものを受けることとなった。
その日の大学病院の先生(I先生と呼ぼう)は、上記のことを信じられないほど優しく、親切に説明をしてくれた。後で知ったが、I先生は教授レベルのかなり偉い先生だったらしい。
遺伝カウンセリングの話をしていると、「ちょっとスマホ持ってる?せっかくだからここで予約とってしまおう。ここからこのサイトに入って・・・」と、教授レベルの先生が私のスマホ画面を見ながら一緒に操作してくれるのである。
なんて素敵な先生だったのだろうとつくづく思うのだが、この時の私は、本当ならもう一度診察をしてもらって、「浮腫?全然ないですよ、この程度なら大丈夫!出生前検査なんて必要ありませんよ」と否定して欲しかった。
その一心で、この日までの一日一日を必死でやり過ごしてきたのだ。その煮えきれなさ、やり切れなさは隠しきれていなかったようだ。
I先生は、そんな私の様子を見抜いていた。
「ごめんね、悔しいよね。もどかしい気持ちでいっぱいだと思うんだけど、今診察したところでね、そのクリニックと同じレベルのことしか分からないんだ。今はもうとにかく混乱してると思う。安心したいのは分かるし、冷静になれないのも普通だと思う。検査を受けるかどうかは焦って決めなくていいから。専門の先生がカウンセリングをしっかりやってくれるから、そこでどうするか話し合って決めてもらっていいからね。カウンセリングを受けると、気持ちが整理されると思うからね、是非受けたらいいと思うよ。」
勿論もどかしさは消えないのだが、I先生のこの神がかったコミュニケーションにより、「そうか、そういうものなのか、じゃあ仕方ない」と諦めがついたというか、気持ちが落ち着いた。これが”冷静さを取り戻した”ということかもしれなかった。
結局私はこの後、この大学病院に転院し、出産することになるのだが、その理由はI先生を始め、良い先生たちに恵まれてきたからである。この日を境に、大学病院のイメージが丸っきり変わったのであった。
出生前検査(NIPT)を受ける
I先生にどれほど救われたか分からないが、正直、「カウンセリングなど意味あるのだろうか」とうっすら思っていた。カウンセリングの日を待つ1、2週間の間にも、赤ちゃんはどんどん成長していく。
半信半疑で受けた遺伝カウンセリングであったが、結論、本当に受けてよかった。こんなの意味あるの?と思っていた自分が恥ずかしい。
目新しい情報があったかというと、それまで死ぬほどネットでリサーチし尽くしてきたので、目から鱗情報はなかったのだが、何のためにこの検査を受けるのかーこの根本的な問題について、ぐちゃぐちゃだった自分の心が改めて整理された。
カウンセラーT先生という女性の先生だった。雰囲気からしてやり手のバリバリ感が伝わってきた。最初は厳しいことを言われるのではないかと緊張したが、全くそんなことはなく、終始優しかった。
遺伝カウンセリング。センシティブな内容を扱うだけあり、優秀なカウンセラーなのだろう。優しい言葉を並べるだけではなく、かといっていつかの医者のように事実を機械的に言うだけでもない。こちらの心情を慮りながら、少しでも前向きになれるような情報や提案をしてくれる、その絶妙な具合がさすがだなと思った。
T先生とのカウンセリングを経て、心から納得した上でNIPTを受けることができた。
採血室に移動し、「2本取りますねー」と言われて、「あ、意外とそんなに取るんだ」と少し動揺した。胎児の遺伝子情報を解析するのだから、まあそれくらいは取るだろう、しかし現代の医学はすごいな、と感心するほどの心の余裕まで出てきたのに自分でも驚いた。
結果はどうなるか分からないが、やれることはやった、と何故かスッキリして病院を後にしたのを覚えている。
生きた心地のしない日々と結果
NIPTの結果が出るまでの2週間は、生きた心地がしなかった。
平日はガンガン働き、できるだけ色々なことを考えないようにした。休日はというと、今も忘れもしないが、旦那がまさかの最新のオーブンレンジを大人買いしてきた。それまで何度か見にいったことはあるが、値段にびっくりし購入を躊躇していたのである。早速そのオーブンで息子とクッキーを焼いたり、パーティー料理的なものを作ってワイワイ食べたりした。
だが夜になると、検索魔と化した。”NT(首の浮腫のこと)、染色体異常、ダウン症、出生前検査、NIPT、陽性、陰性、中絶・・・・・”そんなワードでその頃私の携帯はいっぱいだった。
夜な夜な目を光らせて、取り憑かれたようにそんなことを検索しまくる私。ゾッとする光景なのは想像に難くないであろう。
染色体異常というと、ダウン症がイメージされがちであるが、実際はダウン症はごく一部でしかない。心臓に欠陥があるとか、脳がないとか、色々あることを知った。
染色体異常の大半は妊娠に気づくか気づかないかくらいの時期に、自然淘汰される。そのうち奇跡的に生き残ったもののうち、大概はお腹の中で亡くなってしまうか、更に奇跡的に生まれることができても、1週間程しか生きられないという。
唯一、生まれるまで元気に成長できて、その後も生きられる(寿命は短い)のが、ダウン症というものらしい。
運命の結果告知の日。
病院に向かう途中、旦那が「受験の合格発表みたいだね」とすっとんきょうな事を言い出した。
「いや次元が違うから」
「でも受験だったら人生終わるよ」
「終わらないでしょ」
「今回の結果だって、別に人生は終わらないでしょ」
「ま、自分が死ぬ訳じゃないしね」
・・・と、変な会話が続いた。
そうか、世の中どんなに大変なことが起きたって、そう簡単に人生は終わらない。そんなことをひしと思った。
一人だとこんなこと、思いもしないが。旦那のすっとんきょうっぷりに救われたものである。
コロナ真っ只中のため、後にも先にも、旦那と一緒に病院の中まで入れたのは、遺伝カウンセリングを受けた日と、結果を聞くこの日だけであった。
T先生の机には結果の紙が裏返して置いてあった。その時点で冷たいものが背筋を走ったが、どんなこともドンと構えて受け止めようと身を固くした。
「結果はね、良かったですね。陰性です。」
陰性ならもっと笑顔で迎えてくれたり、テンションも高めだったりしないものなのかと思ったが、それは素人考え。T先生はプロフェッショナルであった。いつも通りの様子で、特に喜ぶでもなく、淡々と、しかし穏やかな口調で結果を伝えてくれた。
NIPTは陰性の場合、その適合率は99.9%であるらしい。全ての染色体を検査した訳ではないが、この結果は大きな安心材料となった。
命、そして親になること、色々考えさせられた
余談だが、私はこの時期ノートにロジックツリーのようなものを書いていた。
検査結果が陽性だったら、更にダウン症だったら、そのほかの異常の場合・・・どういう選択をするのか。できるだけ感情は排除し、さながら仕事のように、プランA、プランB、と書き出していった。そうでもしなければ、心がどうにかなりそうだったのである。
言うまでもないが、どんな異常があろうと、障がいがあろうと全ての命は尊い。
NIPTを受けている時点で、私たちは命の選別をしているのではないか、そんな葛藤が最後まであった。一方で、産む以上は愛情を注ぎ、責任を持って育てる義務がある。
息子もいて、両親などのサポートが受けられない、更に共働きが必須である我が家にとって、経済的な面、時間的な面など、現実問題どれほど可能なのか、息子に負担がかかってしまわないか、自信がなかった。
またもし仮に生まれてすぐ亡くなってしまったとしたら、自分にできた弟なり妹なりの、まだ全く実感もないくらいの早すぎる死を、当時5歳の息子がどれほど理解し、受け止められるのか、そこを適切にフォローできるのかも自信がなかった。
出生前検査については賛否両論あるだろう。考え方は人それぞれであるし、置かれた環境もそれぞれである。
実は元々通っていたクリニックを去る際(大学病院の方に転院を決めた時)、「ダウンちゃんは穏やかで可愛いよ。普通に学校も行ってるし。」とあっけらかんと医者に言われたことがある。
私を銃で撃ったあの医者ではなく、別の医者であるが、その時冷たい何かがスーッと背中を下った感覚を覚えた。
自分のことでないと、わからないことが世の中にはある。他人が軽々しく言ってはいけないことがある。
その医者は悪気はなかったのだろう、むしろ元気付けようとしたのかもしれない。いやそれどころか、医者にとってこのようなことは日々起こっていて、もはや何も感じないのかもしれない。
いずれにしても、なんというか、プロフェッショナルじゃないよなと思ってしまった。
そういうこともあり、そのクリニックを去ることにしたのであった。
あの時、検査の結果が陽性だったとしたら。私たちは産むことを選んでいただろうか。それともー
もしも、のことは正直わからない。だけど、染色体異常がなかった、イコール当たり前だがこの先万事安心ということではない。
健康で生まれても病気になって命絶えるかもしれない。体は健康でも心を病んで、自ら命を絶つかもしれない。そこまでいかなくても、心を閉ざしたまま、苦しい人生を送るかもしれない。
いつ、何が起こるかなど誰にも分からない。明日、事故に遭って死ぬかもしれない。
命の尊さ。人生というもの。娘が色々なことを教えてくれた、今回の妊娠であった。
あとがき
軽く汗をかいている・・・引くほど大作になってしまった。最後までお読みいただけた方がどれほどいらっしゃるだろうか。その方々に高級焼肉くらいは軽くご馳走したいくらい、感謝している。
しかしこれだけでは終わらない娘の爆誕裏話。まだまだトラブルは続く。
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