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他人の幸せは、自分の幸せがあってこそ成り立つ。

最近、聞いた言葉で1番納得のいった言葉です。
この間、書いた招待状の話にリンクするのだけれど、幼なじみの結婚。
とても仲良くしていたし、姉妹のように育った私たち。

もっともっと、喜べるものだと思っていたの。
もちろん、嬉しいしおめでとうと思う。
彼女に対して、悪感情なんて持っていないし、幸せになってほしいと心から
思う。

けど、私が病気でなく、友達として結婚式に参加することができる状態ならば、きっと素直に喜べた。

自分にはできないことがたくさん増えて、身体的機能がどんどん落ちていき、生きることが最大の目標となった今、彼女が眩しすぎる。
これから、家族を作り新しい生活を始める彼女が。

そんな事を言っても、時を戻すことはできないし、私は不幸かと問われれば、幸せだと答える。私を想い、生きていて欲しいと願ってくれる人がいる。
だから、私は間違いなく幸せ。

でも、人間は欲張りで、他人と幸せを比較する。
もっと幸せになりたいと思う。
自分より幸せな人間を見かけると羨望の眼差しを向ける。

それが、自分の親しい人間となれば羨望の眼差しどころではなく嫉妬になる。ごく簡単なこと。

今、車椅子で、私は手の震えや聴覚過敏があり、食事が苦痛で人と一緒に食事はできない。心臓が痛い。常に過緊張。全身を襲う疲労感。自分の体なのに自分の思うように動かない体を思うと悔しくて当たり散らしたくなる。怒りに耐えている。
病院ばかり通う日々。
代わり映えのない景色ばかりを見ている。
しかも、ここで終わらない。やがて日常生活全般に人のサポートが必要になる。
一人では生きていけない。今もヘルパーさんに来てもらって生活を成り立たせている。

そのうち、彼を家に呼ぶこともできなくなるでしょう。唯一、私が普通に戻れる時間も無くなってしまう。考えれば考えるほど寂しい。

私は彼女に嫉妬している。
この状態ではとても結婚式など出席できない。
まだ、返信はしていないけど欠席で出す。

なんか悔しくて、今の状況を伝えることもしない。これで縁が切れてしまっても仕方ないのかなと思う、

どうしようもない事実と向き合いながら、嫉妬という感情とも戦いながら
日々を送っている。それでも、衣食住に困っていない。彼がいて推しもいる。だから幸せ。
でも、幸せにはレベルがある。

彼女とは、5歳くらいから高校卒業まで一緒だった。
同じように育ってもこんなにも時は人を変えてしまうのかと思っている。
こんな自分が情けない。
でもこれが今の私。

こうして書くことで自分の気持ちを整理している。
なかなかポジティブな記事が書けないことが悔しいと思いながら
自分に正直にいたいと思う。

他人の幸せは、自分の幸せがあってこそ成り立つ。
この言葉がぴったりだ。

これは私の日記で、誰かに評価されるものではないから。
~おしまい~

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