見出し画像

子供のためのオルセー美術館(23)モネ・23歳初期の絵/ぼく画家になりたいんだ

小さいお子様向け 動物の数はいくつかな?

この絵どうかなあ、見てくれる?

ぼくは モネ
画家がかになりたいんだ

ちょっと見てくれる?
ぼく 展覧会てんらんかいをかかなくちゃ

このはどうかな
ノルマンディの農家のうか

うしのミルクでチーズもバターもつく
ノルマンディの人たちなんだ


なんとかいい絵をかきたいけど
ミレーのように


水をくんできた お父さん
あの子はこれからとりにえさをやるところだ

鳥たちはおなかすいているから
ガァガァピーピー
おおさわぎだ


来年らいねんには、友達ともだちブーダンがったみたいに、
うみってみようとおもうの

ぼくは こんどうみもかいてみるよ


Claude Monet Paris 1840 - Giverny 1926
Cour de ferme en Normandie
Vers 1863 
Huile sur toile
クロード・モネ パリ 1840年 - ジヴェルニー 1926年
ノルマンディーの農園 (モネ初期の作品 サロンの入選を目指している時代) 1863年頃


もんだい

とりはなんびきいるかな?

  1. しろい鳥はなんびきいるかな

  2. くろい鳥はなんびきいるかな

  3. カモ🦆はなんびきいるかな



ヒント
大きくしたよ、これで見えるかな



こたえ

  1. 白い鳥は


7ひき

2 黒い鳥は
むこうのほうにもいるよ

3びき

3 カモはどこにいたかな?

あ、まだいた


ここに!

3びきだ!


1863年にはエドゥアール・マネの『草上の昼食』がスキャンダルを巻き起こしており、モネもこれを見たと思われる。その年の秋ごろ、アトリエの閉鎖が検討されることになり、モネ、バジール、ルノワール、シスレーはアトリエを離れた。モネは、ほかの3人を誘ってフォンテヌブローの森の外れの町を訪れ、森の中での制作を教え、また森で出会ったバルビゾン派の巨匠たちから助言を受けた。モネは特にジャン=フランソワ・ミレーを尊敬していたが、気難しいミレーに実際に話しかけることはできなかった
1864年、モネは、バジールとともにノルマンディ地方のルーアン、オンフルールを訪れた。一足先にパリに帰ったバジールに対して、オンフルールに残ったモネは「ここは素晴らしいよ。毎日毎日、何かしら昨日よりもっと美しいものが見つかる」と、興奮した手紙を送っている。
1865年 サロン・ド・パリに、『オンフルールのセーヌ河口』と『干潮のエーヴ岬』を初出品し、2点とも入選した。新人モネの作品は、マネの『オランピア』の真前に並ぶことになり、マネは、自分の名前を利用しようとする人物がいると誤解して憤慨したという。これを機に、モネは姓だけの署名をやめ、「クロード・モネ」というフルネームの署名をするようになった。マネの『オランピア』がスキャンダルを巻き起こしたのに対し、モネの作品は批評家から好意的な評価を得た。

http://www.musee-orsay.fr/fr/oeuvres/cour-de-ferme-en-normandie-899

今では見ることが難しい森林と牧草地が混在する地形「ノルマン・ボカージュ」

この緑の中の農家は、リンゴの木が植えられた広々とした中庭、池、農家の建物、生垣など、典型的なノルマンディ住居の特徴をほぼすべて備えている。この辺り一帯は、動物たちを飼うために使われている。土地は、左側に石造りの家、さらにその奥に、横梁のある半木造のもうひとつの家がある。この絵は、フランスのノルマン・ボカージュの農民の日常生活を示す貴重な証言である。この農場のように、ノルマン人の農民は牧草地を整備して牛や家畜を育て牛乳、卵、チーズの小商いをしていた。現在は、生け垣が消え、溝が埋められ平らになり、モネの絵はこのノルマンディの歴史を伝える貴重な絵である。

お読みいただきありがとうございました。
モネ23歳の初期の作品は、サロンの入選を目指し伝統を意識したアカデミックなスタイルの絵でした。もうあとしばらくで、この時にはモネ自身も思いもしなかった新しい時代に入っていきます。
何か素朴で懐かしい初期の作品には、動物や鳥が多く登場しますね。牛はどこにいるのかな、お子様と探してみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?