球技における信条

昨今、高校サッカー界隈でロングスローの是非というか好き嫌いについて一部界隈が賑やかである。「あんなものはフットボールではない」だの、「ちゃんとパスをつなげ」だの、とてもじゃないが是非というよりかは好き嫌いを主張してるだけで「だからロングスローをサッカーでやらせるな」みたいな主張をしているのには、論理性の欠片もなくとてもじゃないが、感想を抱くとすればまさしく某氏の「それってあなたの感想ですよね?」状態になる。ちなみにかくいう私もロングボールやロングスローはあまり好きではないが、特段ロングスローを禁止しろなどとは思わない。
さて、サッカーに代表される、攻撃と守備との明確な線引きがないスポーツには攻撃的な戦い方と守備的な戦い方、ビジョンが存在する(もちろん、攻撃と守備との明確なターンとしての線引きがある野球にしても、「得点力をとるか守備力をとるか」による起用や采配の違いはあるだろうが…)。そして、その戦い方、ビジョンはチームの指針となり、チームという個人の集まりでしかないものに一体感を持たせ、役割を自覚させる。とても重要なものである。ビジョンが明確でないプロ野球球団があるらしいが、彼らは何を考えて普段のシーズンを取り組んでいるのか甚だ疑問であるが、今回はそのことについて書こうというわけではない。今回は、「戦い方、ビジョン」の好き嫌いについて、書こうと思う。
結論を端的に言ってしまえば、私は攻撃的なスタイルが好きである。というのも、大概の球技において、「点数」を取らなければその球技において勝利を修めることは不可能だからだ。たとえば、サッカーにおいて、まず守備ありきといった考えは、私としてはとてもナンセンスな気がしてならない。「0-0」で許容される場面は今までの試合結果からの得失点差などによるものなど、リーグ戦の最終節くらいでしか役に立たないだろう。とてもじゃないが、一般化して平時使用するコンセプト、ビジョンとして掲げるのは狂気の沙汰としか思えない。
それに比べて、攻撃的なスタイルはあの手この手で得点力を高めようとし、多様性を希求せざるを得ない。そしてその多様性がストロングポイントの有効性を保証し、「強み」として相手に押しつけることが可能になる。守備的な戦い方、ビジョンに「強みを押しつける」ことは不可能だと私は考える。
私は「0-1」で負けることよりも「3-4」で負けることを好み、「1-0」で勝つことよりも「4-3」で勝つことを好む。

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