木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』第14章「帝国主義とアジアの民族運動」と第15章「二つの世界大戦」について--中核諸国

本稿では、ウォーラーステインの「近代世界システム」における「中核諸国」に着目して、帝国主義時代から第二次世界大戦終結までの国際社会を論じる。

世界システムの条件は分業体制と多数の文化である。世界システムは二種類に分けられ、本稿で適用する「世界経済」においては全空間を覆う単一の政治システムが欠落している。このような「世界経済」の先進地帯が「中核諸国」と呼ばれる。

世界システムは広汎な分業体制を基礎として経済・物質的な自給が可能になっていること、また、その内部に多数の文化を含んでいるという事実によって識別される。〔…〕世界システムといえるものには二種類しかなかったということも、本書の論点のひとつをなしている。〔…〕もうひとつの世界システムでは、全空間(ないしはほとんどの空間)を覆う単一の政治システムが欠落している。ほかに適当な言葉もないので、便宜上これを「世界経済」とよぶ。〔…〕「世界経済」の先進地帯ーー本書では「中核諸国」と表現した--では〔…〕

I. ウォーラーステイン『近代世界システム II』川北稔訳、岩波書店、1981年、280-282頁。

1881年以降、列強(つまり、中核諸国家)は帝国主義を実行するようになる。

1870年代に始まる大不況を経過するなかで,  欧米諸国では本国と植民地との結びつきを強め,  勢力圏を拡大しようという主張が出されるようになった。1881年,  イギリスはエジプトを事実上保護国化し,  フランスはイタリアからチュニジアを奪った。これ以降,  ヨーロッパ諸列強はこぞってアジア・アフリカに進出して世界分割競争をくりひろげた。〔…〕このように,  資本主義列強が非ヨーロッパ地域を自国の植民地や勢力圏に組み入れようと競合し,  対外膨張政策を展開した政治・経済・社会の動向を帝国主義という。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、424頁。

1882年、ドイツはイタリア・オーストリアと三国同盟を結んだ。さらに1887年、ロシアと再保障条約を結んだ。しかし、ビスマルク失脚(1890年)後、再保障条約は更新されなかった。

〔ドイツは〕ドイツ・イタリア・オーストリアによる三国同盟 Triple Alliance(1882〜1915)を結んだが〔…〕ロシアとの間に再保障条約(1887年6月17日)を結んだ。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、378頁。

ビスマルクは1890年の帝国議会選挙に敗れて辞任した。ビスマルクの失脚はドイツ外交にも影響した。期限切れの迫っていたロシアとの再保障条約は,  三国同盟などと矛盾することを理由に,  更新されなかった。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、430頁。

1894年、フランスとロシアは露仏同盟を成立させる。ビスマルク体制崩壊後、列強は帝国主義に基づく同盟外交を展開するようになった。

こうした複雑な同盟網〔=三国同盟・再保障条約〕をビスマルク体制と呼び〔…〕

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、378頁。

フランスとロシアは接近し,  1894年に露仏同盟が成立した。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、440頁。

同盟外交の展開と列強の二極分化

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、440頁。

1899年、イギリスは外交的孤立の不利益を悟るようになった。イギリスは日英同盟(1902年)、英仏協商(1904年)、英露協商(1907年)と次々に諸外国と協力関係を結んだ。

こうして、列強は二つの陣営に分かれた。両陣営は互いに軍備拡大を競い合いつつ均衡を保つ「武装した平和」の状態に入った。

サライェヴォ事件(1914年)をきっかけとして、第一世界大戦が勃発した。第一次世界大戦の惨禍の規模は未曾有なものになった。

そのころ〔=ドイツの3B政策がイギリスの3C政策と衝突したころ〕,  イギリスは南アフリカ戦争に勝利したもののその強引なやり方に内外の強い非難を浴びたため,  外交的孤立の不利益を悟るようになった。〔…〕1902年,  イギリスは〔…〕日英同盟を結んだ。〔…〕英仏両国は1904年英仏協商を結び〔…〕1907年英露協商が結ばれた。〔…〕こうして,  列強はイギリスとドイツをそれぞれの中心とする二つの陣営にわかれ〔…〕たがいに軍備拡大を競い合いつつ力の均衡を保つという「武装した平和」の状態に入った。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、440-441頁。

1914年6月28日,  オーストリア皇位継承者フランツ = フェルディナント大公夫妻がオーストリアに併合されたボスニアの州都サライェヴォで暗殺された。〔…〕オーストリアはドイツの強力な支援をえて7月28日にセルビアに宣戦布告した。セルビアを支援するロシアが総動員令を発すると,  ドイツはロシア・フランスに宣戦布告した。〔…〕戦線はヨーロッパからアジア・アフリカ・太平洋にまで拡大し,  列強の植民地や従属地域から兵士や軍需物資も動員されたので,  この戦争は世界規模の大戦争となった(第一次世界大戦)。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、456頁。

第一次世界大戦の講和の枠組みは、アメリカ大統領ウィルソンの十四カ条とされた。十四カ条は、秘密外交の廃止・自由権の保証・軍縮・植民地再配分要求の公正な調整・主権尊重・民族自決を掲げている。さらに十四カ条は、主権尊重を保証する国際組織の設立を予定していた。ヴェルサイユ体制と呼ばれるのは、十四カ条その他によって形成された国際体制である。

ただし、ウィルソンの十四カ条は結局、貫徹されなかった。実際、いくつかの国家はヴェルサイユ体制に対して消極的であったし、敗戦国やソ連はそもそも体制から排除された。しかも、民族自決は相対的な権利としてではなく、一民族一国家という単純化したスローガンとして理解された。

ヴェルサイユ体制は第二次世界大戦以降、修正される要素を含んでいた。つまり、民族自決や主権尊重はヨーロッパに限定されたのだ。植民地の人々はこの枠組みから排除された。

1920年以降、ヨーロッパではファシズム政府・軍事(国王)独裁が次々に成立した。日本では五・一五事件、二・二六事件などを通じて、軍部が政治的影響力を強めていった。

ファシズムの目的は国家の危機を克服することである。その目的に適うよう、ファシズムは国民を一元的に国家のもとに統合し、国民生活を統制する。それに対して、連合国は民主主義や基本的人権、諸民族・諸国民の共存といった近代の価値観を擁護した。

第二次世界大戦は、連合国がファシズム諸国家に勝利して終結した。

講和の枠組みはアメリカ大統領ウィルソン Wilson(1856〜1924)が1918年1月に提案した十四カ条とされ〔…〕十四カ条は(1)秘密外交の廃止,  (2)海洋の自由,  (3)経済障壁の撤廃と通商条件の対等化,  (4)軍備縮小,  (5)植民地再配分要求の公正な調整,  (6)全ロシア領からの撤兵,  (7)ベルギーからの撤兵とベルギーの主権回復,  (8)全フランス領からの撤兵とアルザス・ロレーヌのフランスへの返還,  (9)民族居住線に沿ったイタリア国境の修正,  (10)オーストリア = ハンガリー内諸民族に対する自立的発展の機会の保証,  (11)ルーマニア・セルビア・モンテネグロからの撤兵,  バルカン諸国の政治・経済的自立と領土保全への国際的保証,  (12)オスマン帝国内のトルコ領土の保全,  他民族の自立的発展の保証, (13)外海への自由な交通路を与えられた独立ポーランド国家の樹立,  (14)すべての国家の政治的独立と領土保全を相互に保証する国際組織の設立,  である。〔…〕民族自決権は一民族一国家という単純化したスローガンとして理解され〔…〕民族自決権や国家的独立がヨーロッパに限定され〔…〕十四カ条とヴェルサイユ条約以下の各講和条約で形成された国際体制は,  全体としてヴェルサイユ体制と呼ばれ〔…〕合衆国の不参加,  敗戦国と革命ロシアの排除によって,  ヴェルサイユ体制は事実上ヨーロッパ中心の国際体制という構造になった。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、461-464頁。

1920〜36年のヨーロッパのファシズム政府・軍事(国王)独裁
1920年 ハンガリー,  ホルティの権威主義的摂政体制
1922年 イタリア,  ムッソリーニのファシスト政権成立
1923年 スペイン,  プリモ = デ = リベーラ将軍,  クーデタで独裁政権
1923年 ブルガリア,  国王・軍部のクーデタ
1925年 リトアニア,  軍のクーデタ。翌年新たなクーデタで軍事独裁
1926年 ポーランド,  軍部のクーデタ
1928年 アルバニア,  大統領のクーデタ。みずから国王を宣言
1929年 ユーゴスラヴィア,  国王のクーデタ。国王独裁体制
1933年 ドイツ,  ヒトラー政権成立
1933年 オーストリア,  ドルフース首相,  クーデタで権威主義政府樹立
1934年 ラトヴィア,  クーデタで独裁政権
1934年 エストニア,  クーデタで独裁宣言
1936年 ギリシア,  共和制から王政へ,  翌年メタクサス独裁政権成立

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、470頁。

ファシズムは,  国民を一元的に国家のもとに統合し,  国民生活を統制することによって国家の危機を克服することを唱え(全体主義),  議会主義や共産主義を国内の対立や分裂を促す原因と決めつけ,  反対や異論を唱える者を暴力的に抑圧した。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、471頁。

30年の一部青年将校によるクーデタ計画未遂に続き,  31(昭和6)年2月には右翼が前蔵相などを暗殺し,  つづいて海軍将校による犬養首相殺害事件(五・一五事件)がおこった。こうした事件をつうじて,  軍部は政治的影響力を強めていった。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、490-491頁。

1936(昭和11)年2月には,  陸軍の青年将校が指揮下の部隊を率いて,  首相官邸などを襲撃し,  蔵相などを殺害するクーデタがおこった(二・二六事件)。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、491頁。

連合国側は当初から,  大西洋憲章において民主主義の原理にもとづく戦後世界構想を打ち出したことにおいて,  ファシズム諸国に対して優位にたった。〔…〕民主主義や基本的人権,  諸民族・諸国民の共存といった近代の価値観を否定するファシズムと戦い,  勝利したという経験やそこで培われた理念は戦後世界を形成していくための土台となった。

木下康彦/木村靖二/吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』山川出版社、2008年、505-506頁。

ビスマルク体制崩壊後、欧米国際社会は秩序を失った。実際、列強は植民地獲得競争に勝利するため思惑をめぐらせ、さまざまな国際関係を結んだ。その帰結が英独両陣営の対立であった。

帝国主義的対立は、世界を破局に導いた。第一世界大戦後、世界秩序の再建が試みられた。しかし、再び世界は二分され、戦争の惨禍に巻き込まれた。

大地は有限なのに、帝国主義には限界がない。だからこそ、競争が臨界点に達すると、いとも簡単に破局に至ってしまう。人間は稀少なものをめぐって、簡単に徒党を組んで争ったり、弱いものいじめをしたりしてしまう。難しいものだ。

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