普通念

通念というのは、得てして
人々を惑わす毒である。

という言葉をご存知でしょうか。

ご存知の方は、髪がかり的な人生を歩んでいるものと思われます。なにせ約10万本あるうちの髪の髪の毛が髪に向かって囁いたわけですから。
…さすがに髪髪うるさいのと、一人称の髪なのか、三人称の、いわゆる髪の毛を表す髪なのか、とても分かりづらいものですね。たぶんそのうち一人称=髪を撤廃するのだろうと髪に囁かれた髪なのでした。

これは半ば愚痴の立ち位置にある髪による発信ですので、偏向的で甘ちゃんも甚だしいものになるかと思います。が、そんなこと髪に言わせれば知ったことかと、結局そんなところに行きつくわけですが、きっとそれは読まれる方も同様に、知ったことかとなりますでしょう。
そもそも読まれる方がおるのかすら怪しいですが、まあそれは考えても仕方のないこと、ではないかも知れませんが、不要不急の案件であると判断します。

さて、通念が毒というのはどういうことなのか。
これは、髪が髪を携えながら社会に出(てしまっ)たがゆえに有毒であると検知してしまったのかもしれません。いわゆる普通の人にしてみれば人畜無害か、そもそも興味もくそもねぇ話なのかもしれません。まぁ、そういったものがまさに通念というもなのでしょうけれども。

”普通”の基準

さて、と言っておきながら、一度脇道に逸れようと思います。というのも、髪の啓示により、普通とはなんなのか気付いてしまったように思う髪なのであります。
これを書いていたら気付いたというより、別のことを考えていた時のふとした思いつきのようなものです。ただ、この書き物に通ずるように感じましたのでそれっぽくお伝えできればと思ったり思わなかったり。
上手に伝えるのが苦手なもので、予めご了承ください。それは今回に限らないので、過去現在未来全時間軸における了承を、ここで確認するものとします。

安定の前置きでありますが、"普通"の基準というのは既に記されてしまっているのであります。
そう、ちょっと上の方にくるくるっと戻っていただいて。あー、その辺です、そうそう、いい線いってますよ。
普通の基準、たぶん、より正確にいうと基準のひとつはまさしくその部分に書かれているものだと髪が示しました。

普通の人にしてみれば人畜無害か、
そもそも興味もくそもねぇ話

便宜上、「”普通”の人」を含んでいますが、
これは無視していただいても構いません。
きっと、つまり

”普通”というのは、疑う余地もなければ、
気に留めることでもないこと、
当たり前のことというか、
違和感のないことというか、
そういったものだというわけです。
(そして注意すべき点は、以下の
 極々普通のことと思います。)
疑うさじ加減、
気に留めることの大小、
当たり前のとらえ方、
違和感の対象といったものは、
人それぞれ微妙に違う

ということであります。
わ、なんか引用とか中央揃えとか太字とか、今回はいろいろ使っちゃってますね。文章全体のデザインに構成に、とにかく考えなしの全くの気分で進めているので、きっと書き慣れたころに見返すと黒歴史の感を髪が感じ取るのでしょう。

微妙な差異に注意しろというのに対し、きっと「普く通じるから普通なのだろう」と思う方もおられましょうが、そしてそれは正しくもあるのでしょうが、人間3人集まっただけで三者三様などと言い表されるくらいですから、普くというのもなかなか難しいのではないかと思います。
普通というものは人それぞれ違うのである、というのもまた極端でしょうけれども、千人万人集まれば微妙な差異もチリツモ、千差万別に変容することも、ない話ではないでしょう。

当然、微妙な差異こそあれ、根幹は通じているだとか本質は同じだとか、そういった具合で多くの普通というものは紡がれ受け継がれています。きっとね。人々の気付かぬ間に変化を遂げる一面もあったりするでしょう。きっとね。それだけに、普通というものは立派というか強固というか、そういった足場を確立しているわけです。
そして、この”普通”というものを共有する姿勢を表したものが、いわゆる通念というものなのではないかと思うわけです。普通≒通念という方程式が成立しても不思議なことではないでしょう、たぶん。そういうことにしておきます。方程式の云々はわかりませんが、共通する文字もあるのでちょっと合体させちゃったりなんかして、普通念とでも呼んでおきましょう。

普通念というのは、得てして人々を惑わす毒である。

ようやく本題、といったところでしょうか。なかなか筆が進まず、下書きに認めてからひと月以上が経ってしまっていますが、その要因は長すぎる前置きが多くを占めるでしょうし、それによる心配事は結局何を言いたいのかという軸がぶれるか見失うといった点にあることでしょう。
実際、筆はじめのころに比べて熱意や勢いなどというのはずいぶん違う様相を呈しておりましょうが、とりあえず心地良いくらいに御託を並べて、一応の完結を目標といたします。この目標が達成されるうちに、お読みいただいている方が何かを考えるきっかけにでもなればこれ幸い、というのはわりと今回に限ったことではないかもしれませんね。

普通念というものがどのように人を惑わす毒となるのか。どのように惑わされ、毒されているのは誰で、毒づかれているのは誰か、という点についても考えていこうと思います。
個髪的にここで抱くべき疑問は、そもそもそのような”普通念”は何のためにあるのかということであります。ルールだから、常識だからなどといったものが考えられましょう。きっと何かを守るためだ、そんな風に髪は勘ぐっているわけでありますが。
社会という組織に風穴を開けないため、社会を組織するいち社会人として社会を守るため、社会を守ることで社会に守られるため、普通念を全うすることで下手に目を付けられないようにするため、自分を守るため…

こんなのは穿った見方ではなく、とても曲がった見方だと自負しておりますが、きっとそうである人もおありでしょう。そもそも普通というのは疑う余地もないのですから、守るもクソもありゃしねぇという方が大半だというわけです。では、もし仮に大半の人が守るでも信念があるでもなく、疑う余地がないものとしてある普通念を最強無敵の武器として振るうようなことがあるとするならば、少しは気に留めても良いものではないかと思うわけです。
武器として振るうとはいっても、その当事者意識は希薄なものと思います。たとえが分かりづらい気がするので簡単に申しますと、”普通”以外に排他的であるという事態について、一度考えてみませんか、というわけです。

自分を守るためにしろ、盲信するにしろ、つまりそれは普通念の毒に犯されているということであり、毒された彼らは結果的に普通以外を排除する方向に向かっているのだと髪は主張しているわけです。普通は正義でそれ以外は悪、果たして本当にそうでしょうか。
これは個髪的な話になるのですが、男性の髪が長いことで生じる不利益とはなんでしょうか。1cm長くなるごとに売り上げが1%下がるとか、何か統計的データみたいなもので裏付けされているのでしょうか。

きっとそこには、普通念を全うしている人からの信頼を失い、結果的に業務に支障をきたすだとか、長い髪を見ているのが鬱陶しくて集中できないだとか、男のくせに髪が長くて気持ち悪いだとか、様々あるのでしょうけれども。実際に髪が直接言われたものとしては「そんな髪垂らしてお客さんに失礼でしょうが」というのが代表的かと思われます。髪を染めて出社をする女性社員、それなりにネイルをしている女性社員がおりましたが、それらについては「オシャレで良い」、「似合ってる」などと言うわけですが。は?

一番に挙げた事由であれば、多少の納得は髪から得られます。結局のところ、それは普通念を盲信しているわけで、社会やそれにおける体裁、はたまた自分を守るためのものだと勘ぐることになるわけですけれども。
ふむ、だんだん怒りが腹にたまってきたように思いますが、先に申しましたように、”普通”というのは個人の裁量がそれなりに影響する場面でありましょう。染髪やネイルがOKで男の長髪がNGというのもまた個人の裁量なのかもしれませんし、男女格差なのかもしれませんし、知りません。
であるなら、男の長髪がお客さんに失礼と言うのもまた個人の裁量によるものであるべきで、果たしてそう言い放った人は何を守りたいのでしょうか。

普通念の毒に犯され惑わされた人自身は毒に犯されていることに、気づいていない、きっとそういう人が多いでしょう。この毒は遥か昔から、まだ髪が生える前どころか本体が生まれる前から、根強く人間たちを犯し、またこれからも犯し続けるのでしょう。新型コロナウィルスよりもあるいは凶暴ではないかと感じるほどです。ここまで長い間、感染拡大をしているわけですから。まさに、”普通”というのは強固な足場を、人間のうちに確立しているというわけです。必然的に、この毒に(犯されている人に)毒づかれるのは”普通”でない人ということになります。普通以外に排他的ということですね。

”普通”を守り自分を守り、はたまた普通以外を排除することで得られるそれはいったい何なのでしょうか。秩序ですか、幸福ですか、永遠ですか。それらは普通以外を排除しないと得られないものなのでしょうか。普通以外とはそれほどまでに危険で邪魔で鬱陶しいのですか。ただ髪が長いだけで、それ以外は何ら”普通”の男の人と変わらない、それではだめなのですか。今度は無情に悲しくなってきました。オールオアナッシング、世の中って簡単にできているのですね。人間も同様に簡単に出来上がっていればよかったのかもしれませんが、神様はそうしなかったようです。髪様もきっとそうはしなかったでしょうけれども。

髪もまた毒である

結局のところ、髪髪言っている髪自身も、髪という毒に犯されているのかもしれません。でもほら、そうやって髪的”普通”に疑問を抱いているのだから少しは健康的じゃありませんか。疑問を抱いている時点で”普通”という立場が揺らぐのでは、というのは良い視点だと思いますが、そもそも疑う対象が無いと疑問が生じることはやたらめったにありませんでしょうから、今回はそういうことにしておきます。
これらの毒を浄化するには、きっと疑問を抱いたり少し気に留めてみたり、そういった手だてが有効なのだと思っています。もちろん、そのうえで”普通”を成立させられたのであれば、それはそれで良きあり方だと思います。もっとも、”普通”の注意事項も付されていればの話でしょうけれども。

最後に髪なりの”普通念”を示せればよかったのかもしれませんが、少々書くことに精いっぱいになってしまったようで、手持ちがありません。
髪へ、そして最後までお読みくださった方に向けて1つ質問を残して、今回はこのあたりでお開きといたします。次は何を書こうかな。
ありがとうございました。

「あなたにとって”普通”とはなんですか」

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