見出し画像

とらえ癖が9割:人は自分の物語で世界を感じている

よく見かけるタイトルにしてみましたw

先日、友人と一緒にいたときにスナックのパッケージを開けようとしてたんです。
わたしは縦に割くのが嫌いで「最近のってほーんと、開かないよね(ちょいイライラ)」と言いました。

それを受けて友人が「しっかりしてるよね~」といいました。
わたしに伝わったのは”頼もしくていいよね”という意識でした。

人によってとらえ方って違うんだなー、「ひとりひと宇宙」ってこういうことか、という衝撃と共にわたしのなかで意識の変換が起こりました。

そういえば、変なものが混入されたりすると命に係わる。
食べ物のパッケージがしっかりしていることは、とっても助かることだ。
(グリコ事件はご存じですか)

実は、あんまり怒ったりしない母が、例えばスーパーで買ってきた魚を出そうとしたときにラップがするっとはがせないと「一番これがイライラする!」と言っていました。

この記憶がわたしの中に条件付けしていたのかなと思います。
(グリコ事件はリアルタイムで知っていたのに)

わたしの条件付け:パッケージがするっと取れない→イライラ

事実:「パッケージがしっかりと粘着されている」

わたし:「イライラ」
友人:「頼もしい」

人はとらえ癖に自動操縦されている、かもしれない。
自動的って、かなりイヤだな。
とらえ癖、自分で気分が良くなる方向にシフトできたら、いいなーと思ったできごとでした。

そこから、こんなことをまとめてみました。
人生を味わうための、どなたかの参考になれば幸いです。

人は五感で世界と触れ合い、味わっています。

五感(ごかん)とは、動物ヒト外界感知するための多種類の感覚機能のうち、古来の分類による5種類、すなわち視覚聴覚触覚味覚嗅覚をさす。

Wikipedia

”外界を”というに微妙に違和感。
緊張で心臓がドキドキしたり、怒りで肩がこわばったり、嫌な気分で口の中が苦くなったり、、感情は身体感覚でもあるので、やっぱり五感で感じている、とすると”外界”には限定されないかな、と思います。

ちなみに、

西洋思想では我々が外界を認識するための感覚は五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)といわれ、それ以外のインスピレーションのようなものは第六感として区別されています。しかし、東洋思想では六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)といわれ、意が第六感に当たります。つまり、東洋思想では第六感も正式な感覚として認めているわけです。

五感と六根 http://ganka.jp/column/gokan-rokkon/

とのこと。
西洋は細かく見ていく、東洋は包括的に見ていく、というのが得意なんですね。

五感のうち視覚がもっとも優位でおおむね8割くらい、視覚から情報を得ているとのことです。

正確なデータを見たいなと調べてて、見つけたサイトが面白かった
情報の伝わりやすさと視覚の関係について調べてみた件

株式会社カルテットコミュニケーションズ

ただし、視覚から入った情報がすべて完全な事実をとらえて伝えているかというと、そんなことはないんです。

視覚情報は脳で認知されます。

複数の実験によれば、目から入った光が網膜で電気信号に変わり、脳内でイメージに構成されるまでかかる時間は約0.1秒で、どんなに動体視力が良い人でもこの数値は変わりません。
0.1秒という時間をテニスで考えると、「相手がサーブを打った」とプレーヤーが認識した時点で、実際のボールはすでに5メートル近く進んだ計算になります。これだけ視覚処理と現実の時間にずれがあるにも関わらず、プロプレーヤーが高速サーブを打ち返せる理由はどこにあるのでしょう?
そんな疑問を解くために生まれたのが、「脳=物語の製造機」というアイデアです。
(中略)
ここでいう”物語”は、映画や小説のようなフィクションのストーリーにだけを意味しません。あらゆる”物語”の共通点を考えてみれば、最終的にはどれも「特定の物事の因果関係を説明したもの」としてくれるはずです。その点で、相手選手のトスアップから生まれた無数の予測もまた、物語の原初形態と言えます。

無(最高の状態)

ほぼ同じことをボディートークで学びました。

熊に襲われた記憶がある人は、木の陰に熊を実際に見る。

<広告w>ボディートークは、こういった記憶などからできた固定化された信念をバランスして、人生をありのままで見られるようになっていくセッションが強み。

https://ektan.info

人は、事実を見てないんです。ほとんど。
自分の作り出した物語を見ている(感じている)。

『ミステリという勿れ』の整くんが言ってます。

真実は一つなんかじゃないですよ

真実は 人の数だけあるんですよ
でも
事実は一つです
起こったことは

『ミステリという勿れ』1


とらえ癖って、今までの経験で「こういうもんだよね」と脳が蓄積した物語から枠ができています。条件づけられています。

ただ、そのとらえ癖、蓄積した物語、条件付け、適切じゃないときが結構あります。
かなり、無意識に操作されちゃってるんですけど。

いっつも同じ失敗をしていまう、という場合、このとらえ方に操作されてしまっているかもしれません。

ではどうしよう?

とらえ方を変えていく、というのはどうでしょう。

まずは、自分を観察するのがおすすめです。

例えばイラっとしたとき、イライラに翻弄されるのではなくて、「おや、イラっとしたな」と少しだけ離れて自分を見る。
なかなかむつかしいですが、練習です。積み重ねでなんとかなります。

そして、ああ、こういうときイラっとする癖があるんだなーと観察できたら、次の一手は自分で選ぶことができるようになってきます。

事実:スナックのパッケージがしっかりと粘着されている

ちょいいらいら

観察:わたしはするっと開かないとイライラするとらえ癖があるんだな

行動A:縦に割いて事なきを得るけど、縦の割くと小さくペロンとなるのが邪魔なんだよなと不満を感じる

行動B:しっかりしてるってありがたいねぇ、と機嫌よくハサミを使う

行動C:友人にイライラをぶつけ、なんで気持ちをわかってくれないの?と関係性を悪くする

対処D:、、、

ささいな出来事ですけど、日々の生活、自分の気分は、こういう細かいことでできてて。
渦中に巻き込まれるのではなくて、細かいことを見ていけるようになるとなんか自分の人生の手綱を握れる気がします。

人生の手綱、なんていうのを考えるようになったのはライティング・ライフ・プロジェクトのおかげです。
自己認識って、深めると自由になる気がします。



次回は12月に募集しようかと、、

今なら(2022年9月19日現在)Amazonで無料です(おすすめ)





よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。