Dear My Mum, Dad and Older Bro,
今日も皆生きてて偉いね。
私もすっごく偉いと思う。
とはいえ私は自死を選んだ人もその人ですごく偉いと思う。
それに本当は死にたくなかったけども事故や病気でその道を辿るしかなかった人にも思う。
もう苦しまなくていいんだよ。
今までお疲れ様でした。
と、私の友達に言いたい。
今日の音楽はこちらmillennium paradeの
FAMILIA
生まれも育ちも狂っているよ全部、本当にそう。
私はいつもながら投影して聞いちゃう。
生きたいのとこで私は何回も泣いたし、そうだ私、脳梗塞になって奇形があると聞かされてそれを受け入れたつもりになってはいたけども、本当は生きたかったんだ。
この家族をめちゃくちゃにした罰とか考えてしまう私だけど。
私、すごく生きたいんだ。
って改めて実感させられた曲🪻。
では今回は我が家の家族に手紙を書いてみました。
精神的に未熟な親が出てくるので、フラッシュバックするよーとか見たくないよーって方はお戻り下さい!。
私は私の家族の事がすっごく憎くて、すっごく大好きです。
いまだに執着、というか友達からはトラウマボンディングしているかもと言われる位、大好きです。
共依存しかけている位、大好き。
今の私の自責的な行動はあなた達から頂いた、大切なギフトです。
感情麻痺をするくらい、それはとても生きづらくて、辛いし、泣き叫んでしまうし、体も凄まじく震えてしまうのでみたくはありません。
とはいえ、そこから色々学ぶ事は出来ました。
ありがとうございます。
それでも私は辛いなと思いながら、それを大事に、大事に、大切に、大切に、誰にもとられないようにその棘の生えた大切な絆を血が出ても、肉が出ても、骨が出ても、神経に触れて痛みが出てきたとしても握りしめて生きてきました。
これは私と家族の絆だ。
これが無くては私は生きていかれないとまで思っていました。
そう、それが
外傷的絆
トラウマボンディング
私は最初は嫌でしたが罰を与えられる事が、絆となり、そこによろこびを感じていたのかもしれません。
最近はその考え方はどこかに消えてしまいましたが、私は後天的なマゾヒストだったのでしょう。性的倒錯とはこの事。
私は噛まれるのが好きだった。
失神するまで噛まれたかったし、元パートナーにはそうしてもらっていた。
失神の時のふわりとしか感覚に罰から許されたというカタルシスをむかえていたのかもしれない、とはいえ今は噛まれたいとかは思いません。
今は前を向いていたい。
時折また噛まれたいと思う日があるのかもしれないけども、それも私なので受け入れます。
あの時に私を浄化してくれた私の元パートナーには感謝しかないのです。
私はいままで頑張った。
そしてこれからも頑張れる。
頑張るとか言うと頑張らなくていいですってカウンセラーさんに言われてしまうけども、
そこもカウンセラーさんからも受け入れてくれているからゆるゆるとやっていく。
もう私は自由になりたいのです。
もう家族から自由になりたいのです。
すごく後ろ髪を引かれる感じもあります。
やっぱり私はあなた達に出来ることがあるのではないだろうか?。
やり残したことがあるのではなかろうか?。
今はなにかわからない、私の何かのせいであそこまでなったのではないか?。
など考えてしまう時もあります。
それでも私は自分の人生を生きたいのです。
私が気がおかしくなり、壁じゅうに赤いインクで自傷、自殺、などを書きまくったのを見て、そこまでして壁紙を変えて欲しいのか!?と言いはなった暴力、暴言を吐くADHD発達特性持ちのお母さん。
違うよ。
私はそこまでしてしまう位、助けて欲しかったんだよ。
とはいえ日頃は私の金銭的にサポートをしてくれる、そんなあなたも大好きです。
許します。
そんなお母さんを床になぎ倒し、首を締めるという事を私の目の前でした暴力、暴言の自己愛性人格障害のお父さん。
あれは本当に苦しかった。
とはいえ友達がきたらいつも素敵な対応をしてくれてありがとう。
小さいとき冷蔵庫の氷を顔面に押し付けられたのはすごく怖かったし色々トラウマを形成してくれたね。
だけど、私はそんなあなたも大好きです。
許します。
最初は私が泣いていたらいつも傾聴してくれた暴力、暴言のお兄ちゃん。
ある日私が洗い物をしていたときに突然殴ってきたけども、それでも私はあなたに恋に落ちるくらい大好きでした。
ただ、もうあなたに執着はしなくてもいいと気がつく事が出来たよ。
何故なら私には私がいるから。
私を助けてくれる私がいるから。
ありがとう。
許します。
今までよくぞ耐えてきたね、私。
私は常に誰かに感謝の気持ちが持てていてそこが素敵だと思う。
もしかしたらやりすぎな部分もあるかもしれない。
それでもいい。
私は今その感謝の気持ちを胸に生きられていてとても満足しているから。
私はここから出ていく。
どこかすぐには戻れない場所にまで行く。
それだけ。
ただ、私は家族に本当にありがとうの気持ちでいっぱいだよ。
最近、感情麻痺が溶けて一人暮らしをしている場所でも実家でも、体が震える。
両手でなにかをつかんだりしないと気になる位カタカタと震える。
それでも私はそこまでなるくらい家族をなんとかしようとして、頑張ってきたから。
偉いから。
だからそんな私も受け止めるよ。
私は耐えてきたね。
偉かったね。
ただもういいんだよ。
もう自分を自由にしてもいいんだよ。
もうこの外傷的絆から抜け出すときがきたんだよ。
おそらく向こうに飛び立つときがきたとしても最初はまだその外傷的絆からは抜けられてないと思う。
まだなんだぁ…って再度絶望する未来もあるかもしれない。
それでも、私はやる。
何故ならそれが出来るからです。
私の強みは弱さを、繊細さを、臆病な部分を受け入れられてきたところ。
時折なんでここまで弱いのか、繊細なのか、臆病なのかと悲しい気持ちになるときもあると思う。
とはいえ私には安心感がある。
私の部屋に怒号を上げて、親が入ってきたときに泣き叫ぶ位私は弱いよ。
何気ない物音にも我が家だと喧嘩の始まりだからすごく驚くし、何気ない一言が心に刺さるくらい私は繊細だよ。
小学生の時の私は何を言ってもいじめっ子達から笑われるだけですごく臆病だよ。
でも私はそんな私を受け入れる。
そんな強さがある。
だから向こうに行っても柔軟な心でやれる。
大丈夫。
私には出来る。
だから、この記事を読んでくださっている皆も私がやれると祈っておいてください。
それが私の糧となるので。
私がくじけそうな時もあると思いますし、実際最近そうでした。
とはいえ似たような環境で育った人と出会えてそこから正気に戻りました。
だからこの記事を読んだ後のみでいいので、私の事を思っておいて下さい。
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