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「かすていら じゃな」前々夜

時代劇『水戸黄門』での一幕

天井裏に潜み、覗き穴から座敷を見下ろす飛猿。
 (“とびざる”→『水戸黄門』で野村将希さま演じるニヒルな忍び)

「これは、つまらぬものですが…お代官さまのお口に合いますかどうか…」

紫紺の風呂敷包みを解くと、何やら仰々しい木箱が現れ…

「南蛮渡来の珍味にございます」
「ほほう、かすていら じゃな」

さらに越後屋が二段仕込になった木箱の上段をススッとずらすと、
「黄金色のお菓子にございます」
「越後屋、お主も相当の悪よのう」ニヤリ
「いえいえ、お代官さまにはかないませぬ」
ぬははははっ!  ほほほほ…

飛猿の眼が鋭く光り、すべて見聞きさせてもらったぜ、とご老公さま、助・格のもとへ投げ文する。

この時代劇にも登場する“かすていら”が、後に“カステラ”となり、今日まで日本で親しまれているお菓子。
以前、英会話教室での雑談で、そのカステラのことが話題に上がりました。


カステラ ねじれ伝来

スペイン語圏出身の先生に英語を教わっていた私たちは、いつかスペインにも行ってみたいね、などと話していました。

すると、
「スペインの地図見て気づいたんだけど、カスティラという地名があるんですね。お菓子の“カステラ”と関係あるのかな?」
と、ひとりの生徒が質問しました。

「“Castilla”と書いてスペイン語では“カスティジャ”と発音します」
とまず先生は教えてくれました。

その地名は、昔のスペインにあった王国カスティジャ(世界史ではカスティーリャなどと教わったかと)がいまでは地名として残されているのだとか。
お菓子のカステラと関係があるのですか?
という質問に私たちは、はて?どうなんだ?
となり、みんなで検索し始めたのですが…

「たしかカステラって、ポルトガル人が長崎に来たときに鉄砲やキリスト教と一緒に広めたんじゃ?…大河ドラマや世界史で見た記憶が…」
そう自分のおぼろげな知識を口にすると、いち早く調べた先生が、ことの顛末を説明してくれました。

カステラは、ポルトガル人が1571年の鉄砲、キリスト教とともに日本に持ちこみました。

ふむ。自分もそう思っていました。しかし…

ですが、カステラはポルトガルのお菓子ではありません。

ポルトガルにカステラというお菓子はなく、お隣の“カスティジャ王国のケーキ”、カスティジャのケーキとして日本に紹介されました。

ポルトガル語で“カスティジャ”は“カスティーリャ”と発音するため、“カスティーリャのケーキ”というふうに伝わりました。
その名はやがてスペインの王国の名をポルトガル語で言った“カスティーリャ”が“かすていら”となり、現代では日本で“カステラ”と呼ばれるお菓子として親しまれています。

そして、スペインで探しても、カステラは(元のお菓子も)存在しません。もちろん、ポルトガルにも存在しません。
カステラは日本にしかないお菓子となったのです。

はじめて知った真実に、愕然としました。
ずっと、ポルトガル人が教えたからポルトガルの名物お菓子だと信じて疑わなかった!

高校の修学旅行では九州へ行きました。長崎も訪れました。旅行前に、長崎県出身のいつも慎ましやかな先生が、うっとりとした表情で、
「長崎カステラ買うなら絶対に福砂屋ですよ。底のザラメが何とも美味しいんです」
と言うので、グラバー園では黄色い福砂屋の紙袋を持った高校生たちがカメラの前で袋を掲げてポーズをとっていました。
私もそのなかのひとりです。

あの頃から今までずっと、
「ポルトガルの人、日本にカステラを教えてくれてありがとう」って思っていました。
いや、伝えてくれたのはどちらにせよポルトガル人か。じゃあ、これからは加えて、
「カスティーリャ王国にもありがとう」と思いながら食べればいいのか!

真実を知った今でも、カステラは以前と変わらずやはり美味しいです。
ごちそうさまでした。オブリガード


最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀

#至福のスイーツ

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