ナンコ

なんてことないことを、ときどき綴ってみたくて、やってみよー!と相成りました。

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なんてことないことを、ときどき綴ってみたくて、やってみよー!と相成りました。

最近の記事

秋が来れば…(その2)。

さて。そんなこんなで我が家の一員となったRちゃん。そうと決まれば、とにかく命名である。 竹藪に置き去りにされたか、母猫に去られたか、その真相は定かではないけれど、いずれにせよ、生後たった1ヶ月ちょいで独りぼっちになったRちゃん。それは寂しい始まりだったけど、これからはちがうよ。私たちがずっと一緒にいるのだから!とにかく元気な女の子でいてほしい。 何がいいかなぁなんて言いながら、薄いブルーの瞳を見ていたら、本家Rちゃんがこう言った。「ロッタちゃん。ロッタちゃんでどう?」

    • 秋が来れば…(その1)。

      特に思い出す。はるかな尾瀬でなく、ロッタのことを。 私の大切なロッタ。白と薄茶のムチムチボディー、お鼻の回りに黒いブチ‼️蒼灰色のお目目が綺麗で、だけどちょっぴりタヌキ風味❤️ 2019年の春。彼女は空へと還ってしまった。先天性腎嚢胞症とたたかって。 出会いは7年前の今頃だった。妹と2人で乗っていた車の前に、彼女は突然現れた。センターラインの真ん中に、ポツンと座っていた。 偶然の重なる出会いだった。私たちはその日、予定外にそこを通った。人通りすらほぼない山の抜け道。脇

      • まいにちのなかの。

        時代がうごめいているのはハッキリしているけど、不安げなものからも目をそらすことは難しい、この毎日。 だけど、同じくらいに、輝くカケラもあちこちに散りばめられている。 彼岸花と黄金色に変わる畑のコントラスト。見とれていたら、あの人の気配が立ち上る。痛みや迷いもひっくるめて、それでもまっすぐ伸びてる背中。 夜の帰り道でよく出会う。横断歩道の脇にあるオブジェに、テコテコやってくるビーグルとご婦人。ポコンとオブジェに飛び乗って、すとんと座ってシッポをフリフリ。ちょこっとオヤツを

        • 黄昏を待ちながら。

          ある資格をとるために、デイケアセンターに1年間、通わせていただいた時期があった。たった1年だったけど、あの時間を幾度も思い出す。 そこは、女性専用デイケアで、こじんまりとしているけれど、それが何ともよい雰囲気の空間だった。いろんな理由をお持ちだけれど、そこには「ここに来たら、女学校きてるみたいやろ」と笑うご婦人方が集っておられた。 私の役割は、介護素人の私でも出来るお手伝いをしながら、過ごせる時間のすべてを使って、ご婦人方のお話をうかがうことだった。歌うことが大好きな方、

        秋が来れば…(その2)。

          井戸に焦りはこだまする。

          この半年間、ずっとあることについて、そう感じている。去年の今頃は、こんな世界が待ってるとは思わずに過ごしていた。年が明けたら、渦巻くものに世界は覆われて。そんな中でも日常は続いてゆき、同時進行で誰もが命のからくりを続けている。 ときどき、深い息を吐いて、その音に耳を澄ます。それから、ゆっくりと息を吸い込んで、大丈夫、まだ体の芯まで空気が行き来してるなと確認する。何かに囚われすぎているときは、空振りだよ…と身体はサインをくれる。そう、しばらくぶりに動く井戸から水を汲み上げると

          井戸に焦りはこだまする。

          ヨシコ屋敷のこどもたち。

          ところで私には甥が1人いる。15歳、あだ名は「チャミィ」。彼のもつ独特の「おかしみ」を全力で表現した良いネーミングだと思う。笑いながら産まれてきたことが、あらゆる医療関係者を「生物学的に理解できない」と悩ませもしたが、チャミィはその始まりにふさわしい微笑ましい在り様で、そして、飄々としたおかしみで、私たちを幸せにしてくれる。 彼には「発達性協調運動障がい(DCD)」という特徴がある。だから、多くの子供が疑問なく自然とこなしてゆくことが彼にとっては困難で、その為に苦労をするこ

          ヨシコ屋敷のこどもたち。

          呪文よ、さらば。

          獅子王の旅立ちから5日後。父方の祖母ヨシコも旅立った。念のため記しておくが、私はあらゆる敬意をもって彼女を「ヨシコ」と書いている。もちろん、面と向かってそう呼んだことは一度もないが、「おばあちゃん」という言葉では足りない強さでそこに在った、それがヨシコだから。 ヨシコはあと2か月で100歳を迎えるところだった。とにかく、その激動の人生について、私が知る限りを書けば大長編になること間違いなしの波乱の日々を、ヨシコはどんな時も「ヨシコ」として毅然と乗り越えてきた。母方の祖母が、

          呪文よ、さらば。

          獅子王の旅立ち

          扇風機の風を受けながらお腹にタオルケットをかけて、大好きな本を読んでいるうちにウトウトする夏の昼下がり。「昼寝の時間よ」と言われて、そんなことより、この続きをずっと読んでいたいのに~!なんてブーブー思いながらぎゅっと目を閉じたくせに、いつのまにかスヤァ。そのうち、夕立なんかが訪れて、薄闇と共にきたヒンヤリした風が起こしてくれた。あれは至福の夏だったのだと思わずにはいられない灼熱の8月が去っていった。入れ替わりに、野分を呼んで・・・・。 雷雨に打たれた夜が明け。柴山にて私は、

          獅子王の旅立ち

          お師匠さまたち。

          先日、柴山の待合室で、常連のご婦人方がしみじみと語り合っておられたこと。 ご婦人A「私、このコロナ騒動からが人生の総じまいやなと思うねん」。 2月からの処方箋診療ももはや5か月目に突入したが、緊急事態宣言の解除を受けて、外来には診察待ちの人影もチラホラと増え始めた。それでも、コロナ襲来前とは静けさの度合いが違う待合室に、2人の遣り取りが、これまた静かにつづいていく。 どういうこと?とお相手のご婦人B。アル綿でアチコチ拭きつつ、つづきを聞かせて!と、耳がイカ耳猫状態の私(

          お師匠さまたち。

          巡りめぐって(ロング!)

          思い出シリーズというわけでもないけれど、思い出から始まる『はじまり』について、綴り残しておきたいとおもう。 私はいまの柴山にかれこれ6年ほどいるが、ここがまぁ、なかなかのカチカチ山である。時々、このクソ狸め(メス、役職:事務長)、泥舟と知らぬまま大海へ出航して、割と順調に航海したのち、行きも戻りも出来ないあたりで沈み始めろ‼️とも思う。が、今さら職場に桃源郷を求めるほど私も幼くないので、それはさておくとして。 そんな柴山で、私はYちゃんに再会した。 新しい人が来るのよ来

          巡りめぐって(ロング!)

          そう思っておくほうが

          別段、衝撃的でもなければ深みもないような出来事を、ふと、日常の瞬間に思い出すことがある。誰にでもきっとあると思うけれど。 私には、そんな瞬間に、20年来変わらず出てくるシーンというのがいくつかあって、最も頻度の高いのが『受験会場でのソレ』。 とある大学の試験を地方都市で受けた。もちろん周りに知り合いなどなく、人生初に踏み入れた土地での受験だった。会場が学生たちで満たされるにつれ、聞きなれない方言のひそかなザワメキが耳を打つ。 私は、知らない土地に今ひとりなんだなぁなどと

          そう思っておくほうが

          気まぐれつづり

          特に深い意味はないけど、何となく文字を重ねることがしたくなった。 三日坊主協会よりマスター認定を頂戴するほどの私のすることですから、先行きは不明だけれど、小さなボソボソを、小さな輪の中にちょっと置かせてもらえたらしあわせ。 とある柴山で日々『柴刈り(つまりは仕事)』にいそしむ私。 今日。 ある男性が受付にて『作ったんですよー、パスポート』と突如、その方の実父さまが難しい顔でこちらを見ているパスポートを見せてくれた。 おお、◯◯さん!とても真剣な眼差し!しかし、御歳8

          気まぐれつづり