見出し画像

秋が来れば…(その1)。

特に思い出す。はるかな尾瀬でなく、ロッタのことを。

私の大切なロッタ。白と薄茶のムチムチボディー、お鼻の回りに黒いブチ‼️蒼灰色のお目目が綺麗で、だけどちょっぴりタヌキ風味❤️

2019年の春。彼女は空へと還ってしまった。先天性腎嚢胞症とたたかって。

出会いは7年前の今頃だった。妹と2人で乗っていた車の前に、彼女は突然現れた。センターラインの真ん中に、ポツンと座っていた。

偶然の重なる出会いだった。私たちはその日、予定外にそこを通った。人通りすらほぼない山の抜け道。脇に竹藪があったけど、他に仔猫の姿はなかった。ほんとにポトンと落とされたみたいに、小さな彼女はそこに居た。

ど、ど、どうする?とか言いながら、私たちの心はとっくに決まっていた。とにかくここから連れてゆく。そうっと近づき、逃げられるかな?とドキドキ手を伸ばしたら、アッサリ彼女は手の中に来た。

開いている獣医はどこにもなくて、まずは今夜を乗りきろう!と私たちは、仔猫を乗せて帰宅した。問題は、猫アレルギーのある母だった。動物と子供に愛され数十年‼️信頼と実績の愛情本舗には間違いないけど、野良猫に近づき声をかけただけで鼻がグズグズする母を、はてさてどう説得すべきか。

思えば、16年を共に過ごした犬のコロちゃんも、私が小学校から拾ってきたのだ。私が手を放したら、この子は保健所に連れていかれる!裂帛の気合いを込めて、可愛げなく玄関で正義を主張する私に呆れたせいもあったのか、母は彼を家族にしてくれた。しかし今度は猫だし、私も大人だ。あんな、いたいけさを全面に押し出した突破はゆるされない(笑)とりあえず、事情を先に知らせたら、母は電話の向こうで「えぇーー、猫ぉー?」と呟いた。彼女の名誉のために言っておくが、母は等しく小さきものを愛せる人だ。ただただ、猫アレルギーってだけで!

数十分後。手のひらに乗るほどの仔猫と母が、玄関先で対面をした。デ、デ、デジャヴ😅この光景、知ってるぅ💦そう思いながら「竹やぶから出てきたぁ」と、私たちはボソボソ説明をしたっけ。

何はともあれ、今夜はうちで。1つずつ考えるしかないでしょう。こうして仔猫は我が家に一歩を踏み入れた。

猫プロの先輩やご近所のトリマーさんが素早く手助けしてくださり、みるみる簡易寝床とトイレが完成したことは、ほんとうにありがたかった。仔猫は一見元気そうだが、よく見たら目もショボショボしていたし、毛もところどころ、おかしな感じ。だけど、ほんのりあたたかく、クタっとした体をそっと抱き上げれば、トクトク確かな命の音が手のひらに伝わってきた。案の定、母は「捨てられたんやろか」と一撫でしたとたんに、皮膚に赤みが出現して、ブシュン‼️と一発くしゃみを放っていた。ああ、先行きは…と覚悟をしつつも、私はこの小さな、男子だか女子だかわからない生き物を、なんとか育てたいと決意していた。

翌日、獣医さんに診てもらったところ、仔猫は女子で生後1.5ヶ月ほど、おそらく直前まで母乳ももらっていたはず、飼い主がアチコチに仔猫を捨てて回っているうちの一匹なのでは?と診断された。幸い寄生虫はいなかったが、ノミとりシャンプーをしてもらい、目薬と軽い抗生剤が処方された。「どうしますか?」先生は私にそう尋ねた。あなたが引き受けるのか、それとも里子に出すのか?

見知らぬ家に連れ込まれキョトキョトしていたものの、出されたミルクを必死で飲み干し、ふやかしたカリカリにも食らいついた仔猫。一所懸命に生きようとしていた。簡易トイレにちゃんと用を足して、借りたケージの奥にポツンとうずくまっていた仔猫。離したくない、このまま一緒に暮らしたい。即答したかったが、やはり母の様子が気がかりだった。決して文句は言わずに見守っているけど、明らかにアレルギー反応が出ていたから。

そのことを話すと、それならしばらくは保護猫扱いでゆきましょう、もし、里親を探すなら貼り紙を院内にも出しますからと、そして、里親が見つかるまでは治療費は要りませんとおっしゃった。ありがたく好意をうけ、ちゃっかりフードのお試し品もいただいて、私は重いような軽いような足取りで診察室を出た。受付では、この子に仮名をつけて下さいと言われた。診察券を片手にニコニコとスタンバイされていたから、そ、そ、そうか、今すぐなのか😅と焦った私の口からは、妹の名前をもじった「Rちゃん」が飛び出していた。Rちゃんで、お願いします!

ややこしいやないかい!とぼやく妹の顔が一瞬脳裏に浮かんだけれど、その時の私は、昔の私にちょっと戻っていたのだ。守るべき小さな存在、それが妹だった頃に。だから、とっさにその名を口走ったのだけれど。

さて、仮名Rちゃんとなった仔猫のために、私はいそいそ、ベビーフードや首輪を買いそろえて家路に着いた。報告をしたら、母は「Rちゃん…」と呟いて仔猫を覗きこんだ。明らかに顔には「むむぅ~」と書いてあったし、ふと見ると、仔猫が軽くひっかいたらしき跡が赤く膨らんでいた。あぁ、やっぱり…母に負担をかけて、今より悪化させることは避けなければ…。

Rちゃん…心が千切れそうになるけど、あなたを大切にしてくれる誰かを見つけないと仕方がないのかも…仔猫にご飯をあげながら、私はジクリとした痛みを噛みしめていた。

本家Rちゃんも同じ気持ちで、私たちは「どちらも大事やからなぁ」と互いに言いつつも、はぁ😞💨とか、ふぅ🙍とかため息をついていた。とにかく、いまはこの子をしっかり大きくしよう。そして、もう少し毛並みも良くなって目も完治したら、一番可愛い盛りを狙ってチラシを作ろう❗️と話し合った。

2週間ほど過ぎただろうか。Rちゃんは、すっかり元気になって、猫プロ先輩より大きなケージのオウチまで譲り受けて、やや我が物顔で玄関をウロウロしていた。一応、日中は母が面倒をみていてくれたが、なるたけ接触しないように、入られる部屋を限っていたのだ。しかし、相手も命あるもの。しかも「動物に好かれるオバサン」の名を欲しいままにしている母といるのだ。仔猫は自然と後をついて回り、領地を拡大しつつあった。

その頃、本家Rちゃんは、心を鬼にして家族募集のチラシを作り、貼らせてもらえるよう、あちこちに段取りまでしていた。彼女は何せ「仕事は迅速!的確!」で売ってる人である。その出来栄えは、私が通りすがりの人なら、目の色かえて里親立候補すること間違いなしの立派なチラシが仕上がった。

ところがである。誰ひとり、それを貼りにゆこうとしない。母ですら「変な人から連絡きたらどうする?世の中、猫を虐待する人がおるからなぁ」とか言い出す始末。どーすんのよ!と口では言いながら、悪魔の私がわたしに囁いた。

「これ、いけるかもよ?」👿

いやいや、だけどやっぱり、母は辛かろう。この子が大きくなったらもっと…どこかで踏ん切りはつけなくては!さらに一週間経ち、ついに私がそう決心した日、母から、まさかの発言が飛び出した。

「もうここまできたら、うちでみるしかないやないの」!

ここまできたらとは、どこまで来たのか(笑)ひとえに、私と妹の牛歩戦術に母が折れてくれただけではないか!それよりアレルギーよ、そこは重大なとこだから…と問えば。

「なんか、出なくなった。触っても、大丈夫みたい」‼️‼️‼️‼️‼️‼️⁉️⁉️⁉️⁉️

引っ掛かれたら、やっぱ膨らむけどさ(-_-;)…そう言いながら母はしっかりと腕の中にRちゃんを抱っこしており、Rちゃんも当然みたいな顔をしてソコにおさまっていた。

万歳三唱🙌したい気持ちをこらえて、えーー、ほんまに大丈夫なん⁉️アレルギーを甘くみたらあかんで!などと言いながら、私は躍り出したいほど嬉しかった。実際、露骨なほどに豹変した私の表情を、母がやや醒めた目でみていた気もするが、かくしてRちゃんは、晴れて我が家の正式メンバーとなったのである。

つづく~♪





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?