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走る話|ハーフマラソンを走って、得たこと、失ったこと

朝起きた時から体の調子は良かった。だが、一日の活動を始めた途端に筋肉や関節の一部が理由もなく痛みを発していることに気づく場面が日常の中ではよくあるから油断はできない。そう思って出発の準備をしながら体のどこかに異常がないか全身に意識を巡らせたが、その日に限っては杞憂に終わった。しかも、約10年ぶりのマラソン大会への出場にもかかわらず、不思議なくらいに気持ちの昂りもない。僕は会社に向かういつもの朝と同じ、凪いだ海のような気持ちで家を出た。違う所といえば、ビジネススーツを着ているか否かくらいのものだろう。

会場に到着してすぐに受付を済ませ、スタート地点に隣接する芝生広場でいつもよりも入念にストレッチを行なう。そして、ランニングによるアップはフォームの確認に主眼を置いて。全体としては、いかに楽に走るか?がテーマだった。肩に力を入れず、重心は脚の付け根辺りに置くことを意識する。太腿は高く上げない。そして腕は、前に振るというよりも肩より後ろに引くイメージ。それらの動作に注意を払いながら短い距離の往復走を何本か走ってみる。晴れやかな天気と少し暖かく感じる気温のせいもあったと思うけど、これまでにないくらい身体が軽く感じた。


結論から先に言えば、結果的に人生初のハーフマラソンは惨敗だった。1キロラップの平均は6分台前半と書けば事前に設定したタイムで概ね走れたかのようにも見える。だが今回、僕が目標にしていたのは1キロラップをイーブンペースで走破すること。その日のランを前後半に分けて考えれば、前半の10キロの1キロラップ平均が5分30秒で、残りの後半が約7分のペース。後半に失速したのは、明らかにスタート直後から突っ込み過ぎたのが原因。当日までに何本かこなした距離走の中で、一定のペースで走る《レース感覚》を養うことが十分に出来ていなかった。

特に、スタート直後の最初の1キロが5分10秒というのはいくらなんでも速すぎた。これはフルマラソンを約3時間半で走り切ることを目指すランナーのペース。そう思うと怖くなって、その後の走りの中で目標とする1キロラップまでなんとかタイムを落とそうとしたが、周りを走るランナーのスピードに惑わされたのと、頭ではオーバーペースだと理解していても、前に行きたがる体を抑えることができず、なかなか自分のペースを取り戻せなかった。ラップタイムが落ちたのは10キロを過ぎた辺りから。自らペースを緩めたというよりも、それ以上速く走れなくなった。最後はなんとかゴールまでたどり着くことが出来たものの、その日の僕のレースは失速し始めた時点ですでに終わっていた。


プロランナーの大迫傑さんが自身の著者で「マラソンはエネルギーをいかに少しずつ出していくかが重要です。スタートで満タンに入っている自分のコップから少しずつエネルギーを出していかないといけない」と言っていたのをあらためて思い出す。大会前から十分そのことを意識していたつもりだけど、いざレース本番となると自分の走りをまったくコントロールできなかった。10キロ前後のロードレースであればスピードに任せた走りで最後まで押し切ればいい。でも、マラソンはそんな単純なものじゃないと痛感した。大会翌日は、結果を上手く受け止められずにいる僕に、普段のジョギングでは感じたことのない両腕の上腕二頭筋の筋肉痛が追い討ちをかけた。ランニングフォームが崩れていた証拠だった。疲労が抜けきらない体を自室のソファに預け、先日亡くなったミュージシャンが闘病中に披露したピアノ演奏の映像をぼんやり眺めていると、もう、マラソンはいいかな。これからは、ゆっくりとジョギングを楽しめばいいのかもしれない。そんな考えが湧き上がってきた。

大会から何日かが経過して筋肉痛も鎮静化してくると、意外に面白かったんじゃないか?という感情が頭の片隅に芽生えていた。ただ単に苦しい思いをしただけではなく、ちゃんと次に繋がるものがあったのだ。災いをすべて解き放ったあとのパンドラの箱に唯一残された希望のように。冷静に今回のハーフマラソンを振り返ると、この種目はあらかじめ自分で設定したラップタイムを淡々と刻んでいかなければならないという点においてインテリジェンスを必要とする競技だった。そこがスピード一辺倒の距離の短いレースとの違いであり、面白さでもある気がした。今すぐに次走を決める気にはなれないけど、普段のジョギングくらいのペースで、もっと長い距離を安定的に走れるようになれば考えるかもしれない。それに、大会が近くなればなるほど、走る楽しさが少しずつ失せてゆく気がしていたから、先ずはそれを取り戻すことから始めたいと思う。

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青い草の匂いが鼻をつく。懐かしさをおぼえて少し心が安らいだ。道路脇の水を張った田んぼからは蛙の鳴き声。心なしか、風に雨の匂いも混じっている。どこかでもう降り始めたのだろうか。そういえば、今朝も天気予報を見なかった。まあいい。誰かに自分と自分をとりまく事物との距離をわざわざ教えてもらわなくても、意識を向ければある程度はわかるものだ。いちいち物差しで確認することもないだろう。久しぶりに時計を気にせず走ってみたら、五月の風が心の風景にも吹き込んできた。近ごろは無粋だったな。ふとそんなことを思った。






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