いつか思い出になる

もうすぐ8月が終わってしまう。何をするでもなく、暑かったな、という印象だけで今年の夏も終わると思う。
職場のクーラーが壊れている。設備課に問い合わせると、壊れてません、という。では設定温度を下げてくれないか、というと、28度と決まっています、という。プリンターもパソコンも、その他電子機器も、人間以上に熱を吐き出していて、私たちの事務所はいつも30度をこえていると思う。あきれてため息をつくと、後輩が、28度っていうのは、設定温度のことじゃなくて室温を28度にしないといけないんですよ、と隣で嘆いた。

毎年毎年、夏に思い出ができない。夏に刹那的な思い出を謳歌する人もいるようだが、私にはてんでそんな思い出はない。暑いのが嫌いだから、外に出たくもない。真っ青な空を見ても、白い日差しを見ても、心躍らない。天邪鬼なので、喜んでいる人を見ると、すぐに怒りがわいてくる。どうしてこんなへそまがりに育ってしまったのかわからないぐらいに、へそまがりだ。それだのに、私の周りには夏になるとキャンプだ海だ花火だと、喜ぶ人がたくさんいる。えつこさんも、夏休みは楽しい思い出つくらないとですね、と満面の笑みで言ってくる。私は苦笑だけを返す。しれっとした大人のような、ものわかりのいい笑み。

小学生のころ、わざわざ長期の休みに連絡を取り合って、わざわざ会うような友達はいなかった。だから私は、大体7月の最初に一週間で宿題を終わらせていて暇だった。午前10時ぐらいまで寝て、母親の無神経な掃除機の音で起こされる。朝だか昼だかわからないごはんを食べながらアニメ劇場を見て、親の仕事の手伝いをし、夕方に図書館に行くか、親が買ってきた漢字ドリルをもそもそやっていた。
旅行に連れて行ってもらうこともあったが、父親が怖くてあまり楽しかったという記憶はない。両親の年が大きかったのもあって、風光明媚なところに行くことも多く、それの何を楽しめばよいのか、小学生の私にはわからなかった。
6つ歳の離れた姉もいたが、その時すでに中学生だった彼女は思春期真っ盛りだったはずで、何かの話で盛り上がるということもそんなになかった。思い出の中に彼女の影は薄い。
近所にも幼馴染といえるような子はいなくて、小学校に行くとあんなに子供がいることが、小さいころから不思議だった。いつもいないのに、こんな人数の子供たちがどんな風に湧いてきたのか、と。だから、夏休みになると、いつも独りぼっちだった。寂しいわけでも悲しいわけでもなかった。そういう、子どもだっただけだ。

たまに母親が、遊び相手のいない私のことをかわいそうと思ってか、市営プールに連れて行ってくれることもあった。貸し切りみたいになっていることもあったし、他の子どもたちがいることもあった。えっちゃん、お友達いるじゃん、と母は言ったが、見ず知らずの子どもを友達と言えるほど、私は度胸がなかった。近所に子どもはいなかったから、子どものくせに子どもとのかかわり方がわからなかったのだった。

町内会の盆踊りに行くと、さすがに子どもはいたけれど、それでも町の中でもはずれの方に住んでいた私と馴染む子はいなかった。同い年の子はそもそも町内会におらず、三つ上、とか、二つ下、とかの子だった。兄弟がいる子も多く、そういうすでにできているコミュニティの中には入れなかった。母親が、浴衣を着せてくれ、姉が髪の毛をアレンジしてくれても、誰になにを言われるわけでもなく、私はずっと、公民館の広場の端っこで、ぼうっとちょうちんを見ていた。町内会の役員らしい、誰かの母親が私のことを見つけて、「えっちゃん、恥ずかしがってないで踊っておいで」と背中を押した。その手の熱かったこと。私は泣きたくなって、早く帰りたかった。

毎年毎年、大人になった私には暑かった、という夏の記憶がどんどん上書きされていくから、そういう、昔のことは一年、また一年、遠くになっていく。いつか忘れてしまうのかもしれない。そんな、どうでもいいような、忘れてしまいたいような、忘れたくないような、記憶を、思い出と呼ぶのかもいしれない、と、クーラーの効いた部屋でなんとなく思うのだった。