音楽から見る『リメンバー・ミー』:ミゲルの実家はなぜ靴屋だったのか?

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画像引用元:Disney, https://www.disney.co.jp/movie/remember-me/about.html

※本記事はネタバレを含みますのでご注意を。

2017年に公開されたディズニー・ピクサーのアニメ映画、『リメンバー・ミー』(原題『Coco』)。メキシコ文化である死者の日をテーマに、(おそらく)現代のメキシコおよびそこから通じる死者の国を舞台に、少年ミゲルが冒険を繰り広げる物語である。

主題として描かれている家族愛の強さや、ミゲルの足を引っ張る一家の不思議な連帯感、グアナファトをイメージしたと言われる死者の国の風景などなど、メキシコらしさを随所に散りばめたメキシコ好きには堪らない作品である。他にもメキシコを感じさせる小ネタ(※)や、死者の日の文化へのリスペクトなど、語られるべき点はいろいろとあるが、本稿ではメキシコ音楽ソン・ハローチョに関わる事柄として、なぜミゲルの実家は靴屋であったのかを考察(妄想)する。

※個人的には批判もあるだろうが、フリーダ・カーロが小馬鹿にされているところが好きである。メキシコにおいて彼女はアイコニックに使われすぎていて、それを冷笑的に見るメキシコ人も多い。

まず、ソン・ハローチョの説明を少々。
ソン・ハローチョとは、メキシコのベラクルス州にルーツを持つ民衆音楽である。「ハラナ」や「レキント」という名の小型ギターや、タンバリン、ハープなどの楽器が用いられ、数人のバンド形式で演奏されることもあれば、宴の場(ファンダンゴ)では数十人で演奏されることもある。特に宴の場では、「タリマ」という木製の台の上で「サパテアード」という踊りが行われ、それを囲むようにして全員が演奏する。
とりあえずは「サパテアード」という言葉だけ覚えておいてほしい。

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ファンダンゴの様子。向かい合って立つ二人がサパテアードを踏む。
写真:韓智仁

さて、映画の話に戻ろう。先ほどはソン・ハローチョの話を持ち出したが、リメンバー・ミーにおいてフィーチャーされているのはマリアチである。舞台も風景や服装から判断するにメキシコ中央高地であり、ベラクルス州ではない。では、なぜ私がソン・ハローチョを持ち出すのかというと、映画で3番目(※)に重要な曲であった『ウン・ポコ・ロコ』(Un poco loco)において、ソン・ハローチョの要素が入れられているためである。

※1番目に重要な曲=リメンバー・ミー(Recuérdame)
 2番目に重要な曲=哀しきジョローナ(Llorona)

ウン・ポコ・ロコの演奏シーンは、ミゲルが音楽家デビューを果たし、エクトル(日本語版では「ヘクター」)と音楽を通じて互いに信用し合った重要なシーンであった。その陽気なテンポと歌詞の内容から、この曲を覚えている方も多いのではないか。
このシーンでエクトルが壇上に上がったとき、即興でタップダンスを踏んでいた。実はこれが、前述したソン・ハローチョのサパテアードである。

※メキシコ音楽でサパテアードを行う音楽は他にも存在するため、「ソン・ハローチョの」と言い切ることは乱暴かもしれないが、ソン・ハローチョ音楽家の録音が使われているので、そこはご容赦いただきたい。
※では、ウン・ポコ・ロコはソン・ハローチョなのかというとそういうことではないのでご注意を。

このシーンは公式チャンネルによって公開されているので、こちらから確認できる。

ミゲルが1番を歌った後、間奏でエクトルが飛び入り参加し、サパテアード(タップダンス)で軽快な音を奏でる。そう、音を奏でるのである。サパテアードは演奏なのだ。

何も、音を出しているから演奏という短絡的なことを言っているわけではない。ソン・ハローチョの中でサパテアードは、視覚的な効果を加える舞踊ではなく、リズムを刻み、アクセントを加える重要な演奏として認識されている。

サパテアードは演奏であることを4文にわたって繰り返したのは、要は本稿で言いたいことがそれだからだ。サパテアードが演奏であるなら、靴は楽器である。そして、ミゲルに音楽を禁止している家族は、靴屋なのである。

エクトルの妻であるイメルダは、エクトルが家を出た後、数ある職の中から靴屋を選び、音楽禁止のルールを敷いたという。つまり、イメルダは音楽を禁止しつつも、靴という「楽器」を制作することを選択した。エクトルとの絆を断とうとしたが、断ち切ることができなかったという、家族の絆を象徴するのが、この靴屋の選択なのだ。

そして、一家はミゲルの両親の代に至るまで、音楽禁止の令とともに、「楽器」制作の家業を守り続けていた。知らず知らずのうちに、あるいは都合の悪いことには目をつぶったまま、音楽との関係を持ち続けていたのである。

もっと想像を広げれば、演奏の直後のシーンでは、イメルダが音楽を認め始めている。彼女は演奏中に舞台の近くでミゲルを探し回っているので、遠目にこの演奏を聞いていたはずである。ミゲルの演奏を聞くのはこれが初めてなので、かつての家族であるエクトルが靴で奏でる演奏(サパテアード)を聞くことによってその絆が蘇った、というのは考えすぎだろうか。

靴と音楽と家族。この3つがつながり始めた瞬間が、エクトルが踏んだウン・ポコ・ロコのサパテアードであったということである。

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写真:韓智仁

実際に制作側がサパテアードと靴にこのような意図を込めていたかどうかは、私にはわからない。ただ、全く意識していなかった、知らなかったということはないだろう。その理由としては、①本作全体としてメキシコ文化へのリスペクトが随所に感じれられること、②ウン・ポコ・ロコの収録にソン・ハローチョの音楽家を招いていること(既述)、③サパテアード(スペイン語:zapateado)は靴(スペイン語:zapato)という単語を動詞化・過去分詞活用した単語であることが上げられる。つまり、①メキシコ文化をリスペクトする制作者たちが、②ソン・ハローチョ音楽家に③サパテアードを依頼するときに「靴」を意識しないわけがないのである。

そしてもう一つ重要なことは、靴が上記の意味を持たないのであれば、ウン・ポコ・ロコの演奏シーンにおいて、サパテアードは不要であったということである。この曲はミゲルのグリート(「アーーーイ」という叫び)から始まるように、マリアチ風の楽曲である。基本的にマリアチでサパテアードが使われることはないため、このサパテアードは意図的に挿入されたことになる。

いずれにせよ、イメルダは靴屋を選択し、一家は音楽を禁止しつつも、「楽器」である靴を作り続けていた。
『リメンバー・ミー』は切っても切れない家族の絆を描いた作品であるが、ミゲルの実家は靴を作り続ける限り、音楽との縁も、そしてすなわちエクトルとの縁も、切っても切れていなかったのである。

また、最後に付け加えると、ソン・ハローチョのサパテアードも音楽を禁止されたために生まれたという説がある。ベラクルスでは太鼓の使用が禁止されたため、その代用として打楽器としてのサパテアードが進化したとされている。音楽の禁止に対して靴が重要な役割を果たしたということで、歴史と映画のシンクロを感じてしまう。

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ロス・ラギートスは、日本でソン・ハローチョを伝えるための活動を行っています。バーなどでの演奏のほか、大学での講演、初心者歓迎の練習会も行っています。コロナ禍でなかなか活動できていませんが、この記事を読んで「私もサパテアードをやりたい」と思った方はぜひ一緒に練習しましょう!SNSでご一報ください。

ソン・ハローチョについて詳しく知りたい方は、ロス・ラギートスのウェブサイト(https://sites.google.com/view/loslaguitos/)をご覧ください。実は我々はタコス警察ではなく、ソン・ハローチョを日本で伝えることを目的とした団体です。

もっともっとソン・ハローチョについて知りたいというマニアックな方は、ロス・ラギートス制作のドキュメンタリー “Hilo Transparente” もご視聴ください。ただし、とても情報量が多いため、相当の覚悟が必要です。
https://www.youtube.com/watch?v=SSKYRdJRJEU&t=23s


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