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得たもの、失ったもの

世界がガラッと変わってしまってから、約3ヶ月が経ちました。もう7月。今年は「春」が無かった感覚です。

とはいえ、このコロナ禍でも失ったものばかりではないと思うし、そう思いたい。失うものがあれば得るものがある。全てを手に入れることはできないし、と言い聞かせます。


私がこの世界になって得たもの。3つ挙げてみました。

家族との時間 これは大きかったです。春休みの終わりにたまたま田舎の実家に帰省していたら、あれよあれよという間に授業がオンラインになったり緊急事態宣言が出たりということで、約2ヶ月を実家で過ごしました。中高は部活に明け暮れ、家にいるより学校にいる時間の方が長い生活を送っていたこともあり、21歳にもなって思いがけず長期のお暇をいただくことができました。でも、「ここまで実家で時間を過ごすのは、もう人生最初で最後だろう」と、少し冷静で客観的な自分もいたりしました。家族も、一緒にいたら色々あるけど、それでもこの時間が得られたことは、やっぱり良かったと思います。

自分と向き合い、悩む時間 人と会わず一人の時間が増えると、必然的に自分自身に意識が向きます。ちょっと気になることがあったらとことん悩むとか、思いっきりどん底まで沈んで泣いてみるとか。そういう時間って、慌ただしい毎日の中では一番後回しにするものです。(見ないようにしておくということが一つの防衛でもある気がしますが。)でも敢えてそういう部分に向き合ってみるっていうのも、やっておくものだなと思いました。

あたりまえへの感謝の気持ち 身の回りのことに感謝。「あたりまえを疑う」ことは、言うは易く行うは難し。皮肉にも、大事なことっていつも失ってから気づくんですよね。 上に挙げたようなことを得ることができたのは、もちろん、社会のために闘い、生活を支えてくださっている方がいるからです。自分が学生の身分に甘えていることに後ろめたい気持ちもあり、でも至る所で働く人たちの姿が自然と目に入るようになり・・・じゃあ自分には何ができるのか、これからどのように社会に貢献することができるのか、といったことを考えることができました。


こうして言葉にしてみると、物理的にも精神的にも余裕が生まれたのだなと思いますね。自分で読んでいて、平和ボケしている自覚もあります。


だから、私が「失ったもの」については、恵まれた環境の中にいるからこそのモノばかりで、もっともっと様々な思いを抱えていらっしゃる方が沢山いらっしゃることを想像しつつ、ここでは挙げないことにしたいと思います。



この世界になることは必然だったのか、偶然だったのか、そんなことは誰にも分からないことですが、感謝の気持ちを忘れず、自分にできることで貢献するという姿勢を大切にしたい。


そうそう、何より忘れてはいけないのは、noteを始めたのも、今回の出来事があったからだということですね。


今は、感染や災害が、どうか少しでも抑えられることを祈ります。





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