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この前思った事と好きな曲達



人新生の資本論って本を読んだ


途中途中自分の頭悪すぎてついていけなかったけど、4〜5割は理解できたと思う。


「マルク共同体の管理方法」ってのが面白いなと思った。
 ゲルマン民族は土地を共同体で所有して、生産方法にも強い規制をかけていたらしい。
生産物は共同体の中での取引のみで、強い共同体規制によって土壌養分の循環が維持されていた。それによって地力の上昇をもたらした。 


 土壌から養分を取り去って、生産物を域外で販売する資本主義的農業経営とは対照的な手法。

 この「マルク共同体」は、構成員がどの土地をどう使うかについて、くじ引きをして定期的な入れ替えを行っていた。

 それによって、肥沃な大地の恩恵を一部の人間が独占的に占有することがないように、富の偏在や従属関係が生じることがないように注意していた。

 同時に、土地は誰のものでもなかったため、所有者による好き勝手な濫用から守られていた。
 そのことが、土地の持続可能性を担保することにもなっていた。

      人新生の「資本論」p182-184参照



面白いなーと思った。

たしかにここ(これ)は自分のものだ!って思っちゃうと、
「好き勝手に使う権利がある」と思い込んでしまう気がする。


でも少し視点を上げてみてみると、世の中に「自分のもの」なんてひとつもないわけで。


土地を買って好き勝手やったところで、
死んだ後は何者かが使うことになるし。


今この空は 神様も住めない
そして海まで山分けにするのか
誰が作ったものでもないのに

    THE BLUE HEARTS 「1985」より




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そういえば熊本の集落で「波打ち際」って呼ばれてたゴミだめを3日くらいかけて掃除したことがあった。


色んな廃材をみんなで分別しまくって、ゴミの下の土が見えた時は感動した


ここを畑にしたいんだよね〜と村の人が言った。
いいですね〜って言いながら土をよく見ると、
石膏ボードの破片がびっしり混ざっていた。


実はこの破片たちやっかいものらしく、水に濡れると、植物によくない成分が溶けて流れ出るらしい。


この破片を除去しないと作物が育てられない。
汗水垂らして長い間放置されていたゴミダメを片付けたと思ったらこの仕打ち。


ほんの少しだけ、ゴミダメ創設者を恨んだ笑



結局、出来るだけ一粒ずつ拾った。


やっぱ将来ここで暮らしていく人達に恨まれないようにしたいなーと思う。




(波打ち際の一部)


まあるい地球は誰のもの?
砕け散る波は誰のもの?
吹きつける風は誰のもの?
美しい朝は誰のもの?
チェルノブイリには
チェルノブイリには
チェルノブイリには行きたくねえ

 THE BLUE HEARTS 「チェルノブイリ」より


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これは余談だけど、

「今の自分の生活による社会への悪影響」ってのはいつも遠いところで起きている気がする。

パーム油製品を使うことで遠い国の森林伐採に貢献してたり、処分しきれない大量のプラスチックはバンバン外の国に買い取らせたり、化石燃料使いまくることで、土地濫用することで、将来世代を苦しめたり。

我が物顔で踏み倒して、

ツケをどんどん回そうぜっていう空気

それがお金で正当化される。

でもって
ちゃっかりそのシステムに依存してる自分。


仕方ないことなのかもしれないけど。
誰も悪くないんだろうけど。

やっぱり、いい気分にはなれない。


消費浪費無駄遣いが
今さらやめられやしない 
ツケをどんどん回すんだ
利子もたっぷりとつけてな
後の世代のことなんて
おいらには関係ないさ
立派な政治家の人が
ちゃんとやってくれるだろう

GO GO GO GO ヘドロマン
GO GO GO GO ヘドロマン

    真島昌利 「GO!GO!ヘドロマン」より



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リニアが実用化されて移動時間が劇的に縮まったところで、
空いた時間にはまた仕事

過労死するまで働いて、
豊かになったと言うけれど
実感できるわけもない。


地球上にフロンティアがなくなったら、
今度は月を侵略するのか。

大金も核も権力も、
人間にコントロールできるもんだろうか

能力主義が弱者を排除し、
還元主義的な生活様式は自然を敵に回す



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最近特に好きな曲が、
真島昌利さんの「空席」です。 

※空席には 誰がやってくるんだろう 
 空席には 誰がやってくるんだろう 

夜歩く誰もいない 
空車のタクシーが通る 
マルクス・レーニン主義的 
エンジンでブッ飛ばしてく 


唯心論の迷路 
悲観主義者の理想は 
半円描いてあわだつ 
ミルクセーキに溶けてった 


わかるには時間が足りない 
感じるのは一瞬だが 
ひねもすのたりとりあえず
ブートレッグを聞いている


誰も来ないかもしれない 
そんな気も少しはしてる 
かなわなかった約束が  
腰をおろすのかもしれない 

クールベ風の並木道には 
ミレー風の陽が落ちていく 
アイスクリームは溶けたけれど 
謎はついに解けなかった 

※ ※
              「空席」真島昌利



この歌詞について、ある人が一つの解釈をYouTubeコメント欄に書いてて、その壮大な内容が印象的だった。
↓こんな感じ


この曲はソ連崩壊の3年後に
リリースされたもの。

マルクス・レーニンの描いた社会主義の崩壊。
理想は、泡立つミルクセーキに溶けていくように消滅。
イデオロギーが腰を下ろす座席には、一つ空きができた。その席には誰(何)がやってくるんだろう。もはや誰も来ないかもしれない。
わかるには時間が足りない。
アイスクリームは溶けたけど、この謎はついに解けないままなのか。


もちろん、こういう意味が込められていたかは分かんないけど。
こういう捉え方もできるのかと思うと、なんかすごい曲だなと思った。

個人的には、
脱成長コミュニズム的な世界観が乗り込んでくれたら、楽しそうだな、と思う。






もうちょいまとまった文章書けるように心がけます。読んでくださってありがとうございました。

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