見出し画像

ノイズキャンセラー 第十四章

第一章はこちら

第十四章

 三時近くなり、新山は芹沢の遺体処理をいったん中断した。その頃には新山の感覚はかなり麻痺していた。遺体のある浴室で、自分の汗や、跳ねて体についた芹沢の体液を洗い流すことにした。
 新山は、脱衣所に出た。服を脱ぎながら、腕に浅い切り傷があることに気づいた。すでに血は止まっていて、傷のまわりには乾いた血液がはりついていた。爪でこするとポロポロと剥がれ落ちた。
 新山は、とにかく疲れていた。少しは寝ないと明日、仕事へ出られなくなる。
 裸で、浴室に戻る。横たわる芹沢の足を避けながら、バスタブをまたぎ、空の浴槽に入った。蛇口をひねると冷水が出始めたので、洗い場の方へシャワーヘッドを向けた。芹沢の腕にかかる。
「冷たそうだな」と新山は呟いたが、当然返事はない。うっすら湯気がたちはじめた。シャワーヘッドの向きを変えた途端に、温い湯が新山の首元にかかる。徐々に湯温が上がっていく。
 手短にシャワーを済ませたあと、芹沢を残して浴室を出た。何事もなかったかのように、扉を閉めて、その場を離れた。
 新山は軽くベッドを整え、布団に入った。目を閉じると、体が沈んでいく感覚のあとで眠りに落ちた。
 
 悪くない目覚めだった。新山は疲れのおかげで嫌な夢を見ずにぐっすりと眠れたのだ。ふと、昨夜の出来事こそ悪い夢だったのではないかという考えがよぎる。しかし、芹沢ともみ合ったとき床におちた木彫りの置物が、そのまま転がっていた。
 新山はまず、現実的にどう動くべきかに考えを巡らせた。
 芹沢の遺体が見える場所にあるうちは、絶対に、母親が帰ってこないよう仕向ける必要がある。
 出社よりも先に、母親へ探りを入れた。新山は、一週間は家で仕事をすると嘘をつき、集中するため絶対に家に戻ってこないよう、母親に釘を刺した。
 出社後はまず、牧野から時間をもらった。そして、「自分なりの新しいトークスクリプトを作りたい。年金制度などももう一度詳しく調べ直すのでしばらくアポ取りを抑える」と伝えた。
 牧野から「現状維持ではなく、ランクを上げるのにはそう言う取り組みが必要かもね」と、励まされただけだった。
 ひとまず、新山は安心した。しばらくは先に入れてあったアポ以外は増やさない。日中、出来るだけ家に戻り遺体の解体を進めていく環境が整った。
 冷凍庫は、解体の道具を買いに行ったホームセンターでちょうどよいサイズを見つけた。 天板部分がスライド式の蓋になっているタイプだ。ついでにビニールシートやビニール袋も買っておいた。
 母親が祖父の介護のあいまに、京都市内からこちらへ帰ってきた時のことを考え、冷凍庫は自分の部屋に置く。
 道具や保管場所を確保したので、次に待っているのは、芹沢の遺体を細かく解体する作業だった。当然、気が進まないが、母親をいつまでも祖父の家にとどまらせられるわけでもない。なにより、腐敗が進む前に冷凍保存をしなければならない。できるだけ急ぐ必要がある。
 解体作業が辛かったのは、最初のうちだけだった。
 一番精神的に負担がかかったのは、頭部の切り離しだった。血液はほとんど抜けていたのか流れ出てはこなかった。
 新山は、首は皮一枚でつながることはないのだと思った。最後までつながっているのはやはり骨だった。骨の継ぎ目に刃が入ったとたん、切り離され、頭部が横に少し転がった。髪は生前と変わらない艶を保っていた。
 遺体が、細かくなればなるほど、平気になっていった。スーパーで売られている肉と大差がない。切り取ったペニスは釣りの餌にする『ユムシ』のようだった。
 無事、遺体の解体が済んだ。
 しかし、新山は一つ失敗をおかした。頭部が切り離せた時点ですぐ冷凍してしまったのだ。手足と胴体の解体を全てやり終え、頭部を解体しようと冷凍庫から取り出した。頭蓋骨を割ろうとしたが、用意したハンマーでは砕けなかった。解凍するか迷った末、汁が出そうな気がして、また冷凍庫に戻した。
 問題は、新山が普段ほとんどゴミを出さないことだった。ゴミを作るために、自炊することにした。それでも、出る生ごみは大した量ではなかった。完全に処理しきるには、数か月はかかりそうだった。
 芹沢から言われていた期限ぎりぎりで、メモを取りに行く時間を作り出した。
 途中、大阪に二度商談に出かけたので、その際に、京都駅の下見もすませてある。
 京都駅で着替えて荷物をロッカーに預け、滋賀へ向かう計画だった。
 新山は、今が冬で良かったと思っていた。
 マスクをつけようが、手袋をはめようが怪しまれない。夏だったら、遺体の傷みも早くもっと大変だったはずだ。

 芹沢の最寄り駅で降り、教えられた目印を探しながら進んでいく。新山の家の近所よりは人が住んでいそうだが、ビルがあったのは駅の周辺だけだった。のどかな住宅街を教えられた道順をたどる。コンビニエンスストアやカフェを通り過ぎ、芹沢から聞いた特徴と合致するアパートにたどり着いた。建物名も間違いない。二階の一番奥が芹沢が住んでいた部屋だ。
 鍵を開けて中に入った。鍵は、メモの回収が終わったら速やかに捨てるように言われていた。
 玄関からすぐの短い廊下に水場と簡易キッチンがあった。芹沢は、引き出しの一番上に入れてあると言っていた。新山は、何の引き出しだったかが、どうしても思い出せなかった。もしかしたら、芹沢が言い忘れたのかもしれない。そう広い家ではないので、すぐに見つけられる気がした。
 新山は端から引き出しを確認していくことにした。簡易キッチンに引き出しがあるので、一応開けてみた。空だった。廊下先は六畳ほどのリビングになっていた。隣にもう一つ部屋がある
 芹沢の部屋には物が少ない。リビングダイニングのスペースには食卓と鏡しかなかった。引き出しが見当たらないので、もう一つ部屋を覗いた。寝室だった。パイプベットと、備え付けのクローゼットがある。クローゼットを開けた。服はあまりかかっていない。端に、引き出し型の衣装ケースがあった。一番上を開けてみると、下着が入っていた。下着をかき分けてみたが何もない。他に引き出しはなさそうだ。玄関に戻って靴箱からチェックしなおした。
 まさかと思いながら、トイレや浴室も覗いた。すぐに見終わり、また寝室に行きついた。
 ベッドの下を覗くと、小さな、引き出し式の木箱があった。
 一番上を開ける。紙が一枚見えた。取り出そうとしたときに背後から「芹沢さん?」と、女の声がした。心臓が早鐘を打つ。女がいるとは聞いていない。そして気づいた。入った後、鍵をかけなかった。知り合いに、家に入る所を見られたのだろう。
 新山は、振り返った。
「えっ、違う……」
 慌てて、女の方に向かって駆け出した。声を出されてはまずい。女は咄嗟に動けなかったようで、目を見開いたまま立ち尽くしている。まず、手で口を塞いだ。それから、床に倒し、芹沢からされたように胸の上にまたがった。
 目を血走らせ、涙を流しながら、女が新山を凝視している。足をばたつかせたので、新山は「動くな」と言った。
 口を押さえたまま、馬乗りになり、脅して動きを封じた。
 この後、どうすればいい。
 新山は、頭の中で芹沢に問いかけた。
「殺せ」と、言われた気がした。この女を殺してしまえば、新山を見たと証言する人間はいない。芹沢の指示通り、足がつかないようにここまで来た。
 殺さなくとも、背格好を証言されただけで、自分にはたどり着かない。縛って時間さえ稼げれば、なんとかなるかもしれない。
 それでも、今この場所で、殺してしまった方が確実だ。
 ここで捕まったら何のために苦労して遺体を解体したのかわからなくなる。
 新山の罪は、芹沢の言っていたものより増えていた。死体損壊、死体遺棄、今、住居不法侵入と、傷害まで加わった。
 殺せば、傷害が殺人に変わるだけのことだ。
 新山は、あいている方の手で首を掴んでいた。また足をばたつかせたので、首をさらに強く押さえた。口を塞いでいた手を離して、首を絞め上げることに集中した。
 もう声も出せないようだ。足もほとんど動かさない。
 みるみる顔色が変化していく。
 芹沢とは逆だなと、思った。芹沢は白くなっていった。目の前の女はどす黒く変わっていく。

 女が死んですぐ、新山は、とりあえず玄関の鍵を閉めた。深呼吸をして女の遺体をどうするかを考えた。そして、何もする必要がないという結論にいたった。
 とにかくメモを回収して、できるだけ早くここから離れる必要がある。
 新山は寝室に戻った。ベッドの下の引き出しから紙を取り出し、内容を確認した。
「これじゃない」
 新山は思った。
 芹沢は新山の名前が一番上に書いてあるメモだと言っていた。紙に、名前と住所が書いてある。住所は関西圏がほとんどだが、新潟や山口もあった。数えると八人分だった。
 やられたと、新山は思った。
 芹沢は被害者の住所と名前だと言っていた。あの時点で、新山はまだターゲットだっただけだ。『被害者』にはなっていなかった。
 芹沢は、自分の犯行を完全に隠すために、新山を使ったのだ。
 新山は頭を横に振った。怒りはあるが、すべきことは決まっていた。このリストで芹沢の犯行がばれ、被害者が過去に通販サイトにアカウントを持っていたことがわかる可能性がある。
 被害者全員に、クレームの履歴も残っていれば、犯行動機がクレームに対する恨みだと特定される。
 芹沢のクレーム対応を調べ上げたとしたら、直近で、新山があがってくるのは確実だ。
 メモの破棄は、どちらにしても必要だ。新山は、強くメモを握りしめたまま、芹沢の家を後にした。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門  #小説 #連載小説 #長編小説 #ミステリー #ミステリー小説部門 #残酷描写あり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?