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流麗に綴る仕事小説―幸田露伴『五重塔』

 器量が悪く、機転も聞かず、妻子ありながら貧しく、うだつの上がらない大工・十兵衛は「のつそり」と呼ばれていた。この物語は「のつそり」が、まさかの一大事業としての谷中感応寺の五重塔を建設する、マクロな視点からすれば、ある意味現代のなろう系の原型みたいなサクセスストーリーだ。

 本作を読んで、幸田露伴はや恐るべしと思うことは必定である。流麗かつ骨太な文体は、すらすらと読ませつつ、しっかりと情景を立ち上げることを怠らない。以下に少しその雰囲気を掴みやすいよう、引いてみる。序盤、五重塔を二人で立てようと親切に提案する親方・源太を、「のつそり」十兵衛が突っ撥ねる場面がこれだ。

 五重塔は二人で建てう、我を主にして汝不足でもあらうが副そへになつて力を仮してはくれまいか、不足ではあらうが、まあ厭でもあらうが源太が頼む、聴ては呉れまいか、頼む/\、頼むのぢや、黙つて居るのは聴て呉れぬか、お浪さんも我わしの云ふことの了つたなら何卒口を副て聴て貰つては下さらぬか、と脆くも涙になりゐる女房にまで頼めば、お、お、親方様、ゑゝありがたうござりまする、何所に此様な御親切の相談かけて下さる方のまた有らうか、何故御礼をば云はれぬか、と左の袖は露時雨、涙に重くなしながら、夫の膝を右の手で揺り動しつ掻口説けど、先刻より無言の仏となりし十兵衞何とも猶言はず、再度三度かきくどけど黙ゝ(むつくり)として猶言はざりしが、やがて垂れたる首かうべを擡げ、何どうも十兵衞それは厭でござりまする、と無愛想に放つ一言、吐胸をついて驚く女房。なんと、と一声烈しく鋭く、頸首くびぼね反そらす一二寸、眼に角たてゝのつそりを驀向(まつかう)よりして瞰下す源太。

幸田露伴『五重塔』(岩波文庫、48-49頁)

どうだろう。一見してたちあがる人物の造形と、その立ち居振る舞い。まるで落語の地の文のような調子で文章が滔々と続いてゆく。物語は起伏に富んでおり、人が怒り、悶着する場面や、大風が襲い来る場面などは、その迫力を充分に伝えている。この文章の気味の良さ!
魅入られるようにして読者は読み進めることになる。

 ストーリー自体は、十兵衛を中心として、前半は親方・源太と争われる「どちらが五重塔を請け負うか」という大きな問題について、後半は前半の争いで露呈した十兵衛の意固地さに起因するいざこざ(刃傷沙汰も...)について書かれる。岩波文庫版の解説には、十兵衛の性質は近代文学が主題とした「エゴイズム」には当たらないとある。どこか魔術的な輝きを持つ「英雄」というような説明がある。それじたいにはなるほどと思う。分業を前提とする近代産業に十兵衛は適応しない、ある意味の天才であったことは間違いない。
 現代的な文脈から捉えなおしてみれば、十兵衛の仕事の流儀は、フリーランス的個人主義と言える。

 桝組も樽配(たるきわ)りも我がする日には我の勝手、何所から何所まで一寸たりとも人の指揮(さしず)は受けぬ、善いも悪いも一人で背負つて立つ、他の仕事に使はれれば唯正直の手間取りとなつて渡されただけの事するばかり、生意気な差出口は夢にもすまい、自分が主でもない癖に自己の葉色を際立てて異つた風を誇顔の寄生木は十兵衛の虫が好かぬ、人の仕事に寄生木となるも厭なら我が仕事に寄生木を容るるも虫が嫌へば是非がない...(後略)

同書、62頁

一読すれば印象付けられることだが、親方の源太は江戸っ子気質。任侠、義理、報恩、そうしたところに非常に重きを置くため、十兵衛の現代的個人主義には閉口し、ときに激高している。そのさまは新卒に手を焼く管理職のごとく、非常に葛藤すること止まない。それもこれも、煮え切らぬ上人のせいのようにも見えてくる。もっともらしい説話などを並べ、具体的な指示を出さない上級管理職のため、下々の人間たちが踊ることになる。


 その奔放で過激な踊りこそが、この物語の本筋である。私は、この物語の構造は現代社会の組織体、建設的プロジェクトと非常によく重ねられるのではないかと思う。職場小説が文芸誌に多くみられるいまに繋がる系譜として、「五重塔」は位置付けられよう。

 エゴイズム、自己というものの発揚が近代文学の大まかな主題だったが、この小説は、そこから外れるように意図されている。終盤の、五重塔を大風が襲う場面は、人間世界を蹂躙しようとする天が語る、という形をとっている。そしてそこに五重塔に昇り荒れに荒れる天を「欄を掴むで屹と睨」むのはあの「のつそり」十兵衛である。もはや自然と対峙する超越的な存在として、十兵衛は描かれているのだ。「のつそり」は単に鈍物であるというだけではなく、そもそも普通でないという符牒である。超然的なものとしての主人公(十兵衛)、前時代的な好敵手(源太)、その二人が並び立つことによって、新しい時代の建立と、その可能性を描きえていると敷衍することはできるかもしれない。

▼青空文庫で全文読むこともできます。是非ご一読。


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