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今日、ままきんが死んだ

    今日、ままきんが死んだ。
 ままきんというのは金魚のことで、うちの水槽にいたかわいい金魚たち三匹のうちの一匹のことだ。
 どうしてままきんというのかというと、黒いフナの大きいのをパパと見立て、黒いフナの小さいのがママ、紅くてまだら模様のオッドアイのがとも(自分)だから、ままきん、ぱぱきん、ともきんなのだ。

 ままきんが亡くなったのは急だった。昼過ぎに起きて水槽をのぞくと、鱗と鰭が赤くなって水面にしずかに浮かんでいた。
きんぎょの病気を調べてみるとまつかさ病らしい。
まだ生きていてほしいという願望のようなものをいただいていたから、母に薬を買ってきて、と言った。だけれども、母が帰ってくる頃にはやっぱりままきんは死んでしまっていたから、水槽から掬い上げて瓶に入れた。
 
 昨日まで息をして生きていたはずの命がいつまでもあるわけじゃないこと、死ぬことの唐突さに、死ぬことってなんだろうと考えざるを得ない。この文章を書く傍で今も母はおじいちゃんのご仏前にお供物を用意しておいてという。
死者のたましいはどこへゆくのか。生きているもののたましいの崇高さとは。何をもって崇高と位置付けるのだろうか。いま、この瞬間を生きていることとはどういうことなのか。

ままきんの死を思うとき、たましいの重さを考えずにはいられない。

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