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太宰治と町田康とJohn Frusciante (太宰治入門③)

(入門とは、おれのことだ。貴様らじゃなし。おれがいま入門しているところだ。おれが講師と思うな。ほとんどwikipediaと、文庫本の解説と、やっすいホームページの古参、アマゾンレビュー、その他有象無象を整理してまとめている。おれの言葉など1パーセントにも満たぬ。批判どんときなさい。間違っているところ、もろもろ、指摘してくれてけっこう。逆に教えてください。おれが入門③なのだ。頭を整理するためのエスキースだ。まあでも今回はちょっとは自分の言葉で喋れるところもありましたかもしれませんかもしれませんかもしれません。)


午後三時、仕事は終わった。仕事とは読書だ。ただ本を一冊読んだだけです。おれは休みの日も働いているのだ、どうぞ。
どこの公園もこの時間帯はガキどもが騒ぎ回っててうるさくてかなわん。四十五分もウロウロしてしまったよ。今日は酒二缶でよす。はい(現在、3缶目をのみほそうというとき)

今日読んだ本。

『二十世紀旗手』太宰治(新潮文庫)

処女作品集『晩年』を書いたあとの、太宰でいう「初期」の後半にあたる作品群の中から七篇を収録しています。太宰治が27歳から29歳ぐらいの時期の作品です。
きのうの夜中、『きりぎりす』の感想を書き終わって、次読むと決めたこの『二十世紀旗手』をちょっと中身見てみよ、と思って数行読んだのですが「あ・・・」と察しました。「これやばいやつや・・・。」

だいたい数行読んで、いろいろ思い出しました。『晩年』の頃の太宰治のいびつな文章、それから戦争が始まり中期となるきのう読んだ『きりぎりす』とかのだんだんわかりやすくなってユーモアが見えてくる文章、そして戦後、後期の『斜陽』とかの洗練された文章。

抜群に不穏で、禍々しいのはやはり「初期」。処女作の『晩年』でしょう。でもはっきりいって読んだのが二年前で、他の時期と比べられるほど太宰治という作家を読み込んでいなかったので、そのころはまだわからなかったかもしれません。作家どころか、その当時の1930年代なんて、平成生まれのわたしからすれば古代も古代、多少読みづらくても読みやすくても「古いんだからこんなもんか」という感じしか持たなかった。

いろいろ中期も後期も(とくにこのごろ中期を読んで)わかったのは、「太宰治という人は、バツグンに文章がわかりやすい」ということでした。ほとんど現代においても遜色ないくらい、文章がわかりやすい、読みやすいのです。
いろいろ当時のほかの作家も読むマニアとか好きものの話を聞けば、それはわかりました。「当時からわかりやすすぎてウケてたようなもん」という感じらしいです。わたしの好きな中期の傑作「畜犬談」なんか、町田康が書いたと言われても気づかないかもしれません。というか、思い込みが激しくてどんどんメンヘラ的に突っ走ってしまう太宰の一人称形式の作品は、かなり町田康のあの冗長な、一行で2ページを超えるくらいのあの雰囲気とか影響を与えているんじゃないかと感じました。

わたしは音楽が好きだったので、高校時代は町田康をもっぱら読みふけっていました(甘く見るな、おれを、甘く見るな。こんなことでおれを一見に見限るな。言葉のあやであろう。スムーズに話を進めるための!たくさんいろんなもの読んでたよ!)。ほかに何を読んだらいいのか知らなかったのです。町田康のあのリズム感も、太宰治が持つ独特の読点を連発する文章にあり。町田康のあのへんな笑える言語感覚の一端も、太宰治が持っているものと近いと思いました。
これは一例ですが、きのう読んだなかで太宰治の「日の出前」という作品があります。内容自体はまあ非常に救いようのない話なのですが、そのなかでどうしようもない兄貴がでてきます。その兄貴は卒業したら医者になれと親に再三言われます。それを兄貴は嫌だっ、とつっぱねます。じゃあおまえはなにがしたいんだ?と問われると、「チベット」に行くんだ、と答えます。この「チベット」というセンス、満州でも朝鮮でもなく、「チベット。」この国名選びのところが、非常に、太宰治の言語感覚として優れた例を表すわかりやすいところだと思います。ダウンタウンが初期の漫才で「フィリピン」という単語を執拗にだしてくるところを思い出します。
なぜ「チベット」、なぜ「フィリピン」なのか。なんとなく滑稽で愉快な響きだから、というこの微妙なニュアンスを理解して、かつその雰囲気を大切ににしているひとだったのだと思います。

話が逸れました。いま手元に(公園で酒飲んでるから)処女作『晩年』がないので心もとないですが、たしかに初期の太宰治の文章とは、まだまだのちに見られるような「わかりやすさ」「滑稽味」「リズム感」「ユーモア」というのは全面に出ておりません。それらが出た、開花した、中期、後期の作品に親しんだあと、いままたこうして初期の文に出会うとなんともいえない「あおさ」というのが感じられるようになって非常に味わい深いものです。若いのです。禍々しいのです。禍々しさとは、それは、この時期の太宰治がまだ「死ぬために小説を書いていた」時期だからといえるでしょう。技法と、精神の拮抗。相克。そういうスレスレのところで成り立っている、危うい文章です。そういうものは、これは若いか、処女作あたりにしか宿らない、非常に不可思議な魅力を放つものです。

奥野健男氏の解説を読むと、この新潮社の『二十世紀旗手』は、『晩年』をだした後の、「初期の後期」といえる時期の作品から選んだ作品を集めて収録しています。

『晩年』は、太宰治が27の時、刊行した処女作品集です。たしか「東京八景」という作品でそのころを振り返っていろいろ書いてありましたが、東大生になって、まったく授業にも出ずに政治運動にハマって、まったく授業にもでませんからもちろん卒業の見込みもありません。それを郷里の父母兄などにはひた隠しにして、「実は卒業できません...」と言ってしまえば仕送りがなくなりますから、仕送りがなくなれば太宰はもう生活ができませんから、寸前まで嘘をつき続けるのです。「そろそろ卒業かー新聞社いくかー」みたいなことを言ってるわけです。でももちろん落第します。激怒されます。それから次の年も、また次の年も同じことを繰り返すわけです。それで最後の年にもう落第するのは太宰も覚悟していて、いまさら授業受けても卒業なんかできっこねえ、と思ってるわけです。それで死のうと思うわけです(ちょっと簡単に書きすぎてますが、いろいろ政治運動からの脱退とか捕まったりとか心中失敗して自分だけ生き残ったりとかいろいろあるんですが)、それで死ぬ前に「こんな時代にこんな人間もいたのだよ」と残すために、いわば死ぬために太宰治は小説を書き始めるわけです。
それが一番最初に書いた短編の「思ひ出」という作品です。これさえ書いたら死のう、と思ってたのですが、どうも書き終えてしまうと、「まだ書き残したことがある」と思うわけです。それでどんどん作品を誰にも見せずに秘密裏にたった一人で書いてくわけです。ひとつ完成してもまだ、また完成してもまだあれが書きたい。というふうに、この時の心境を「芸術のデモン(悪魔)に食われはじめていた」と綴っています。その間にまた落第、肉親、激怒、といよいよ追い込まれていくなかで太宰は「これだけ。この作品集だけ完成すれば」と必死に書くわけです。そして20編書いて、その中から14編を選んで、並べて、太宰はもう「できたー!死ぬぞー!」という気持ちで、その作品集に『晩年』と名付けます。太宰治、27歳の時です。残った6編は破って燃やしたそうです。

それで『晩年』もできたし、もうおれはいいや、どうでもいい、かけたし、できたし、という感じで太宰はめっちゃ遊ぶわけです。友達の同人誌とかに呼ばれたりして、最後の享楽と思ってデタラメにやっているところ、『晩年』で書いた作品たちが次々と文芸雑誌に発表されていって、「天才青年、現る」とめちゃくちゃ評価されていくのです。

それでやっと太宰の世間に必要とされたうえでのほんとうの作家活動がスタートするわけですけど、もう27とかで死ぬつもりでいたので、めちゃくちゃなわけです。酒と薬と自殺未遂でめちゃくちゃなんです。第一回の芥川賞で『晩年』のなかから「逆行」という作品が最終候補に選ばれたんですが、受賞はのがした。すると選定委員であった大先輩の川端康成に「刺す。」とか手紙を送ったり、もうベロベロでひどいんです。すこし奥野健男氏の解説を引用しましょう。

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『晩年』を書き終えた太宰治は青春の最後の乱舞とばかり仲間と同人誌に加わり、放蕩無頼の生活を送る。その間に遺書のはずであった『晩年』の作品が次々に雑誌に発表され、文学青年の間に天才現わると評判になる。太宰はこの時すでに芸術のデモンのとりこになっており、文学の底知れぬ魅力にひかれ、また新進作家としての名声にも酔っていた。しかし一方では滅亡の民であるという思念は動かず、一度思い定めた宿命に忠実であろうとして、昭和十年四月鎌倉の山で縊死(首吊り)を計るが失敗し未遂に終わる。続いて腹膜炎で重体に陥り、鎮痛のため使用したパビナール注射が習慣になり、重い麻薬中毒に陥る。その頃『晩年』の中の『逆行』が第一回芥川賞候補作に選ばれたが賞には入らなかった。義絶同然になっている故郷の生家への言い訳のためにも、薬品代ほしさも手伝い、太宰は第二回、第三回と敬愛する芥川の名を冠したこの賞に執着し、佐藤春夫に賞を欲しいと嘆願するやら、薬品代ほしさに先輩、友人の文学者や雑誌社に借金を申込み、莫大な借金を背負うなど、異常な言動が多く、太宰治は「才有れども徳なし」で、天才かもしれないが性格破綻者だという噂が文壇にひろまりはじめた。心配した先輩や友人たちは太宰を入院させ、薬品中毒を退治させようとする。
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まだ続きます。

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昭和十一年十月武蔵野病院に入院したのだが、太宰治にとってそこが精神病院であったことが大きなショックであった。その上、入院中に彼のはじめての妻である小川初代が、ある画学生と間違いを犯していた。退院後そのことを知った太宰はすべてが信じられなくなった。そして翌昭和十二年の三月、初代とともに水上温泉に行き、カルチモンによる心中自殺を企てたが未遂に終り、帰郷後初代と離別した。
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こういう、経歴だけずらっと見てもすごいものですね。それに加えて当人の当時の出来事を題材にした作品はたくさんあって、その描写がもう見に迫ってものすごいものがあります。よくこんな状態から中期の戦中であれだけの健全な「国民作家的」と言われるほどの元気のいい作品を量産できたものだと思います。弱さに目を背けずにい続ける強い心の持ち主だったと思います。

ああ、それでやっと今回の『二十世紀旗手』です。ちょうど『晩年』を出してからの太宰の初期の後期作品群。精神病院を出るまでくらいの時期です。これがものすごい。ぜんぶ、普通の作品ではないのです。これだけ異常な作品を並べられるともう、疲れます。途中二回、寝ました。ぼくは。疲れて。
異常というと簡単ですが、とにかく「新しい」ものをつくろうと、懸命にそれを作品として形にしようとしてるわけです。アマゾンレビューにもありましたが、「新しいものを取り入れるのではなく、新しいものを編みだそうとしていた。」

それでわたしはこういう場合、音楽がもともと好きなので音楽に例えると自分の中でしっくりくるのですが、レッチリのジョン・フルシアンテがヤク中になっていきなり日本公演中に脱退して、そのあとだした二枚のソロアルバムに似ているなと思いました。
1枚目の『Usually Just A T-Shirt/Niandra Lades』という作品。そして2枚目の、フルシアンテ本人が「クスリを買うためだけに出した」と公言していた『Smile From The Streets You Hold』という作品。1枚目が太宰の『晩年』。2枚目が『二十世紀旗手』と考えてもいいかもしれません。というか似てます。破綻の仕方が。

♪Untitled#8/John Frusciante (ファースト、こちらが『晩年』です。

♪Enter A Ur/John Frusciante (セカンドより一曲目、こちらが太宰の「初期の後期」です(あくまで印象です。ただ「初期の後期」の二十世紀旗手にくらべて、「初期の初期(変な言い方...)」の『晩年』はまだ青春感があった、と奥野健男氏は言っているので、こちらのトチ狂ったどろどろ感もまんざらではないはずでしょう。)。

二十世紀旗手のなかでも、はっきりいってぜんぶぶち壊れているのですが、なかでも『創世記』という作品が、ヤバイです。いちばんすごい。何いってんのかぜんぜん、わかりません。ただ、言葉の強さは異常です。何を言ってるのかわかりませんが。物凄さと執念というか、とにかく言葉にできないヤバさがあります。アマゾンレビューのある人も書いていましたが、「クスリをやるとこんな文章になるのかも...」です。もうとにかく凄まじい。こんな危ないやつがよく、よくぞ、走れメロスかけたなあと、周りが見捨てなかったなあというくらい、いかれています。同じことは、レッチリのジョンにも言えるんですが(笑)彼もまた薬物から復帰して、By The Wayだとか、普遍的に素晴らしいと言える作品を量産して、レッチリをスターダムに押し上げましたね。

あまりにも支離滅裂、壊れすぎていて、わたしは途中から、いや、真面目にいくら文を読んでもよくわからないし、ただ言葉の印象とスピード感とズタズタ感とドロドロ感だけ感じで流し読みしてしまったんですが、表題の『二十世紀旗手』はなんども時間をかけたら読めなくもないです。いやまだ意味がわかる。それでも壊れているんですが。
なぜ太宰治という人はこんなに句読点が多いのだろう、とずっと思っていたんですが、この『二十世紀旗手』という作品でなんとなくその発生はわかった気がします。元々はおそらくこの短編である「おかしい人のしゃべり方」から確信を持ったのではないかと。
ある、場面があって(全12唱からなる構成なのですが、それもどういう順序でこうなるのかわけがわかりませんが)、途中で「東大生のなんたら」みたいな文章を書いてくれ、あんた東大生だっただろ?みたいなところから雑誌の編集者から手紙が来ます。それに対してのそれまでのラリってる太宰の文章の返答が、いわゆる読点まんさいの文章が対比して、「やべえよ、やべえよ...」と本気で怖くなってくるのです。ちょっとそこだけ抜き出してみましょう。(どうせ、てめえら読まねえだろう。ネタバレもなんもあったもんじゃねえだろう、) 第六唱、ワンと言えなら、ワンと言います、から。まず雑誌社の手紙から始まります。

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「前略、手紙で失礼ですがお願いいたします。本社発行の『秘中の秘』十月号に現代学生気質ともいうべき学生生活の内容を面白い読物にして、世の遊学させている父兄達に、なるほどと思わせるようなものを載せたいと思うのです。で、代表的な学校(帝大、早稲田、慶応、目白女子大学、東京女子医科専など)をえらび、毎月連載したいと思います。ついては、先ず来月は帝大の巻にしたいと思いますが、貴方様にお願いできないかと思うのです。四百字詰原稿十五枚前後、内容はリアルに面白くお願いしたいと存じます。締切は、かならず、厳守して頂きたいと存じます。甚だ手紙で失礼ですが、ぜひご承諾下さって御執筆のほど懇願いたします。『秘中の秘』編集部。」

「ははあ、蝙蝠は、あれは、むかし鳥獣合戦の日に、あちこち裏切って、ずいぶん得して、のち、仕組みがばれて、昼日中は、義理がわるくて外出できず、日没とともに、こそこそ出歩き、それでもやはりはにかんで、ずいぶん荒んだ飛びかたしている。そう、そう、忘れていました、たしかに、それに、ちがいない、いや、あなたのことではございませぬ、私内心うち明けて申しましょう。実は、どうも、わが身、きたなき蝙蝠と、そんなに変わらぬ思いがして、どうにも、こうにも、閉口しているのです。生きて行くためには、パンよりも、さきに、葡萄酒が要る。三日ごはんを食べずに平気、そのかわり、あの、握りの部分にトカゲの顔を飾りつけたる八円のステッキ買いたい。失恋自殺の気持ちが、このごろになってやっと判ってまいりました。花束をもって歩くことと、それから、この、失恋自殺と、二つながら、中学校、高等学校、大学まで、思うさえ背すじに冷水はしるほど、気恥ずかしき行為と考えていましたところ、このごろは、白き花一輪にさえほっと救いを感じ、わが、こいこがれる胸の思いに、気も遠くなり、世界がしんとなって、砂が音なく崩れるように私の命も消えてゆきそうで、どうにも窮して居ります。からだのやり場がございません。...」
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マジでこんな調子で!ずっと続くの!ずっと!もう、なに話してんの?!みたいな感じで、怖い!きちがいやん、キチガイ。ヤバイよこの人、
こんな手紙のあとも編集部はめっちゃ簡素な手紙で「四日の深夜に見ました。稿料は一枚一円です。よろしくお願いします。」みたいなそっけない返事を返すんだけど、太宰は、

「四日深夜、を、ことさらに引用して、少し意地がわるい。全文のかげにて、ぷんぷんお怒りの御様子。...」
みたいな感じで、なんかもうテンポがヤバイのよ。なに?「、を、」って。なんで「を」を、「、を、」って区切るの?わかんないわかんない!最終的には「急に小声で___それでは書かせていただきます。太宰治」とかで締めたりして、なんやこの一方通行というか、「急に小声で__」ってなんや!?手紙で、なんや??!!とにかくトチ狂っとるわけです。

これが『二十世紀旗手』でまだわかりやすい方。いちばんクスリでぶっ飛んでるのが『創世記』かな。そっちはもう説明不能なんで各自感じてください。ただ切実さと本気具合はものすごいです。

その次に身につまされるのが『HUMAN LOST』。題名だっせえと思って敬遠してたんだけど、これが太宰が精神病院に入れられてからの日記(のテイ、なのか?)で、ずっとわあわあ聖書を引用したりして「おれを入れやがってクソが、しかも入れた妻がなんで面会にこないんだ!」みたいにめっちゃ晦渋な言葉で避難しまくってる内容。とにかくこの文庫本でまともな作品が一つもない。すごい。いちばん病んでた時期の、いちばんそれでもそのままを作品として形にしようとしてた時期の作品群。面白いのが、退院したあとに本としてまとめるときにかなり太宰自身がこのなかの文章をいちいち改定したりかきかえたりしているしているところ(この文庫本は出来るだけそのまま雑誌に発表された本来の狂った状態のままを掲載していて、かわりに巻末に太宰がどこをどう書き直したかの表がしっかり載っている(ちなみにジョン・フルシアンテもファーストは渋々だしても、本気でヤク中の時につくったセカンドは未だにジョンが許さず再販はなされておらず廃盤になっています、わたしは六千円くらいで廃盤を入手しました。なにかやはりクスリに狂った作品はじぶんのものではないという意識が芽生えるのでしょうか))。

この時期を経て、静養して、あの黄金期の中期に入るわけです。きのうは中期だけでもあれだけ多彩な作風で作品を作っていたと知りましたが、この「初期の後期」のガチのマジで病んでる狂ってる時期の作風もいろんなことを試しててこの人のすごさをさらに、深く思い知った。たったひとりの人間の仕事とは思えない。わたしはなんとなく太宰治をしったきになっていましたが、この『二十世紀旗手』あたりのほんとに放送禁止レベルの時期はまったく知りもしませんでした。いやあ奥が深いです。いっそう、深みにはまっていくようです。みなさんも、見直しましたか。わたしは、めちゃくちゃ、見直したというか、こんな時期までも作品にして、それが残って、評価されているというのに、いや、太宰治ってマジモンの人やん!と思いました。単に暗いとか厨二病とか言って、この人のことを知らないのはほんとにもったいない。『人間失格』なんて、こういう本気で作者自身がアブナイ時期を過ぎた後の、わざとテクニック、演出でとうとう再現できるようになった作品で(それこそがすごいことなのですが)、すこしでもこの人のことを改めて考えて、読んでもらえたらいいなと思います。(終わりません、まだ明日からも続きます。)

さいごに解説の奥野健男氏の結びで終わらせたいと思います。
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この七編は、いずれも現代人のぎりぎりの心情を、今日の文学者の作品よりはるかに現代的、前衛的に表現している文学だと、ぼくには思えるのだ。

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♪Fortune Faded/RED HOT CHILI PEPPERS 






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