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摂食障害寛解までの道①(ダイエット開始~拒食になるまで)

この記事では、私が摂食障害の症状を強く抱えていた時から今までの気持ちの変遷、症状の変遷を書いていきます。読んでほしいのは、主に今摂食障害に苦しんでいる人、その家族や友人や恋人。後半になったら、摂食障害に限らず、何らかの“生きづらさ”を感じている人も、もしかしたら少しは参考に慣れるかもしれません。
あまり楽しい話ではないですが、少しでも”自分だけじゃない”、“自分も抜け出せる”そんな前向きな気持ちを持つ一助になれたらうれしいです。

高校3年ゆいきち、ダイエットに目覚める

“痩せて綺麗になって人生変えたい”
誰もが一度は思う、もしくは広告などで目にするであろう“あるある願望”から、私の摂食障害への道のりは始まりました。

女子校なので容姿を気にすることもなく、反抗期と厨二病にまみれていた中学時代。いつしか、美意識の高い母親から「こんな子が私の子だなんて信じられない」と言わしめるほど、絵に描いたようなぽっちゃり地味女子になってました。
でもやっぱり可愛くてキラキラした女の子が大好きで、憧れで、大学生になったら絶対可愛くなって、キラキラした生活を送るんだ‼‼‼と受験勉強の傍ら決意をひっそり固めていました。
しかし、国立志望だった私は、受験が終わったのは2月末。
入学の4月まであと2か月しかない…でも痩せないと第一印象が「ぽっちゃり地味女子」になってしまう…そんなんじゃキラキラした生活なんて程遠い!
これはやばい、と一大決心し、ものすごい勢いでダイエットを開始します。

ダイエット開始、結構がんばった。(笑)

私なりに“可愛くなる”のやり方は3つ。①食事制限、②運動、③メイクやファッションの練習。このうち3つ目はすごく楽しかったし、今でもあの時色々勉強してよかったなあ、と思うことも多々あります。
しかし①と②に関しては、今思うとなんであんなに気合入れて頑張れたんだ?と思うほど、精魂込めすぎてました。(笑)
当時の具体的なスケジュールは下記の通り。(実際の自分のメモから抜粋)

6:30 起床
~7:00 縄跳び、筋トレ
~8:00 ランニング
~9:00 半身浴
10:00 朝ごはん(無脂肪ヨーグルトかバナナのみ、決まった銘柄しか食べない)
~12:00 筋トレしながらメイクの練習(なんだそれ)
12:00 お昼ごはん(ほぼ野菜のみ)
13:00~15:00 ビリーズブートキャンプ(笑)
~18:00 休憩(おやつは蒸し野菜かスープ)
18:30 夜ごはん(ほぼ野菜のみ)
19:30~20:30 ランニング+筋トレ
20:30~21:30 半身浴
24:00 就寝

このスケジュール、ひたすら繰り返しました。2か月間。毎日。アラーム掛けて。(笑)

途中で頭はふらふら、体もギシギシしてくるのですが、不思議なことに毎日ランナーズハイ状態。
痩せていく私を見て母親は喜ぶし、好きな服が着られるようになって「これこそキラキラ人生の始まり!」とウキウキしてました。元気だったなあ。
この時は、たまにお祝い事や友達とのごはんで普段食べない豪華なものを食べても、「たまのご褒美」として楽しめていました。むしろ”痩せているのに美味しくものを食べる姿が可愛い女子”という、目指していたブランドに自分が近づいている感じがしてうれしかった。笑

大学1年生、人生初の“可愛い”by男子。

大学に入学すると、小学生以来の男性との共同空間にあわあわしつつ、お世辞でも「華奢だね」「可愛いね」と言ってくれる人がいたことが、それはもう嬉しくて嬉しくて。初めてできた彼氏にも有頂天になっていました。(笑)
加えて、当時大好きだったロリータファッションの雑誌に少しだけ出させていただいたりしたこともあり、私の「可愛くなりたい」願望は更にエスカレートしていきました。

でも、人間の安定体重には下限があるようで、思うように体重も体系もコントロールが出来なくなってきます。
こんなに食べ物に気を遣っているのに、運動も増やしてるのに、痩せない。
じゃあ何を減らせばいいんだろう、何を増やせばいいんだろう、そんなことばかりを考えて、次第に目の前の食事、そしてその食事を囲む大好きな人たちとの会話が、私の中で“痩せるための障害”になっていきました。

食事する回数そのものを減らせばいいんだ。
そう気づいてしまってからは、友人や家族との外食も減らし、カロリーが把握できるコンビニでの食事が増えていきました。

母親との関係悪化、モデル活動での他者比較

家族と食卓を囲むことがほとんどなくなっていたころ、母親は仕事のストレスから心が不安定になっていました。
当時私の家族の働き手は母親で、家事の担当も母親で。とてもとても頑張り屋さんで子供思いな母親は、それでも家事に手を抜かず、毎日家の中はピカピカ、食卓は豪華で彩りの綺麗なごはんでいっぱいでした。
仕事では心に大きな負荷を掛け、家に帰れば家事をするのが当たり前。そんな環境下で、母の心は次第に弱って、尖っていきました。
私が支えてあげれば良かったのでしょうが、当時の私は自分の痩せ願望にまっしぐら。母の心に気を遣うこともなくずっとイライラしていて、気づけば毎日衝突ばかりの家のなか。

家の外も、万事順調!とはいきませんでした。
「撮影現場に行ったら憧れの可愛いモデルさんに会える!」そんな軽い気持ちで始めたモデル活動は、憧れの可愛いモデルさんに会うたびに自分の容姿に対する劣等感が強まるばかりでした。

初めてできた彼氏も浮気をするようになり、(今思い返すと明らかに内面の問題ですが(笑))私が可愛くないから、太っているからいけないんだろうか、と思うようになっていきました。

撮影が終わるたびに自分のデータを見返しては落ち込み、彼氏が華奢で女の子らしく可愛い女の子と浮気していることを意識しては落ち込み、イライラして帰宅する。家に帰ると、不機嫌な私に母親がブチ切れ、家の中に怒声が響く。

そんなことの繰り返しで、家族との・彼氏との絆がだんだん壊れていくのが寂しくて、毎日焦っていました。
認めてほしい。誰かに必要とされたい。そのためには、もっと痩せなくちゃ。そんな思いが加速していき、どんどん食べないで動くことが当たり前の日常になっていきます。

次の記事ではこんなことを書くよ!

次の記事では、私が過食症になってから、入院・退院するまでの期間を書こうと思います。
今回も、おそらく次回も、自分が思った以上に悲観的な口調になってしまいます…が、PCの前の私はとてもすっきりした顔をしています。(笑)
過去は過去なので、変えられない記録を記録としてつらつらと書いていますが、今や未来が幸せであれば、そこから学んだことを大切にして過去を受け入れることもできるはず。
そういう前向きな考え方を教えてくれた人たちとの出会いも含めて、徒然書いていくつもりです。

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