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他人軸じゃなく自分軸で幸せを実感したい。

情緒不安定、この言葉がこんなにも似合うようになってしまったのは多分大学生ぶりだ。

通勤の車の中で、訳もわからず泣いた。
職場のデスクでお昼ご飯を口に入れたら、喉の奥がきゅうっとなった。

こんなにも何もかもが暗く見えるのは久しぶりで、
それでも昔と違うのは
「ああ、私は今ストレスを抱えているけど、しばらくは誰に会っても、やけ酒しても、暴食しても、前向きにはなれないだろうな」という感覚があること。
自分のHP(体力)とMP(精神力)の残量が、しっかりと感じられてしまうこと。

大人になって、器用になっちゃったもんだなぁ、と思う。以前はこんな時、とにかく泣きまくって、騒いで、暴飲暴食して、元気を取り戻そうと躍起になっていたから。

吐き出しどころは相変わらず分からないのに、今じゃ静かにツツーっと涙を2,3流したら
「さて、現実に戻らなきゃな」と冷静に思ってしまう。アラサー女子はそう落ち込んでもいられない。

そしてさらに闇を感じるのが、すべてが承認欲求に基づいているということ。

結婚したいのは、自分と一生歩むという相手からの究極の承認が欲しいから。
恋愛がうまくいかなくて毎朝泣いていても、職場に行くと仕事に打ち込めるのは、仕事を通じて承認の感覚が得られるから。

すべて私の生活が他人軸になってしまっていること、これが無自覚だったらまだ救われるけど
きっちり自覚しているんだ。自覚しているからこそ、そんな自分が更に嫌になっていく。

恋愛だけじゃない、
友情も家族も、全部怖いんだ。ビジネスと違って、人間関係は承認されないがために傷つく経験が多すぎる。
傷つくことが怖いから、ビジネスライクに話して傷ついてないふりをする、なんて技術も身につけてしまった。

このまま私はどうなっていくんだろう。「幸せ」になれるんだろうか。条件ではなく、本質的に今目の前にある幸せに目を向けてじっくりと味わえる、本当に幸せな人になれるのだろうか。

今日も今日とて悩みすぎて、漠然としたモヤモヤ暗い感情に囚われて、ひとり涙する夜。
それでもこうして吐き出して、なんとか前を向こうとしてる。
まだ大丈夫。私はまだ変われる。

諦めて腐っても仕方ない。
結婚できなくても、仕事がうまく行かなくても、職場の人間関係にすら悩んでいても、
それでも私は私でしか無い。自分が世界の切り取り方を変えたら、きっと私は「幸せ」をじっくりと感じることができるはず。

明日も明後日も明明後日も、ずーっと暗い気持ちは変わらないだろうな、と思うけれど
1日1日生きていたら、ホッとする瞬間が訪れる。
頑張ろう。明日も、明後日も、明明後日も頑張ろう。

私が幸せになるために、恋も仕事もしてるんだから。

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