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小さな幸せを感じられる大きく幸せな人になりたい。

何もかもが中途半端な自分に嫌気が差す。

何もかもが、なんて大袈裟に言ったけれど
人生でうまくいかないことは大体ふたつ、なんじゃないか。
仕事と人間関係。(仕事=経済面であり、それに伴う健康などなど。人間関係=友情、恋愛、家族。それぞれ、苦しみの具体性は色々ではあると思うけれど…)

仕事と人間関係が上手くいっていたら、まぁ人生幸せと言えるんじゃないだろうか。少なくとも日本の、ごく少ないわたしの周りの人間界隈ではそうだろうと思う。

で、わたしはそのどちらも中途半端なのだ。

いや、たぶん中途半端ではなくて
文字で書き起こすとそれなりに幸せそう、なはず。中途半端だと、自分が思っていること、それが不幸せなんだと思う。

事実として起きていることを羅列するなら
それなりに名の知れた大きな企業で
やりがいも裁量権もある仕事に就いて、給料も私には余るくらい頂いている。新規事業も任されて、日々刺激のある仕事と気持ちの良い同僚に恵まれている。ありがたい。

彼氏は年下のびっくりイケメンで、優しく真面目な素敵な人だ。今まで彼氏も一応途切れたことはない。

あえてポジティブに書くとこんな感じ。幸せ者だな、と思うこともたくさんある。

でも実際、わたしは毎日くすぶっている。

仕事は楽しい。でも能力が足りない。わたしに能力と、努力する根性があれば状況はまた違っていただろうな、あの人はすごいな、そんなふうに毎日人を羨んで比べて、卑屈になって。そんな自分がまた嫌になって。起業する勇気も才能もないのに、どんな大企業の中でも活躍できるような人当たりの良さもなくて。自分が全然ダメなやつに思えて、悔しくて、悲しくなる。

恋愛はもうダメダメだ。
年下彼氏は好き。大好き。尊敬もしてるし素敵な人だと思う。でもただ、ただ結婚ができないかもってことが不安で悲しくて毎日ずんと心が重くなる。そんな恋愛って絶対良くない。別れるべきだと思ってる。なのに好きだから別れ話も切り出せず、ただ曖昧に笑うだけしかできない。
わたしは結婚がしたいんじゃない。「選ばれたい」だけなんだ。
そしてまた、「そんなの本質的じゃない」とか思って、そんな浅ましい肯定されたいだけの自分に嫌気が差す。

ただ向日葵のように笑って、誰かの励みになって、「一生そばにいてください」と優しく自然に言われる人になれたなら。私はそうはなれない。

考えれば考えるほどマイナスに、ネガティブになっていく。
でもわたしはnoteを書く時決めていることがある。
必ずポジティブに締めること。
ジャーナリングは自分の心の整理とデトックスのためにやっていることだから。

だからこっから無理やりポジティブに終わらせるぞ。笑

わたしは上記の通り、今の幸せに全く目を向けられない人だ。幸せの本質は世界の切り取り方でしかないと頭ではわかっているのに、実践できないヤツだ。

だからこそ、訓練次第では圧倒的に幸せになれるんだろうな、と良く思う。

全く、ほぼ同じ境遇にいる同期もいる。なのに、彼女はものすごく幸せそうで、今の自分をちゃんと肯定しているのだ。それだけで、とても幸せそうだし人を惹きつける。わたしも彼女のようになれる余地がある。

これは比較でも嫉妬でもなく、自分への約束だ。
何度しても守られることなく反故される自分への約束だけど、
心から本気で思う。「足るを知る」が最強の幸せメソッドだと。

なってやる。誰がどう見ても、どんなに「成功」の条件やカードを持っていなくても、「なんかあの人はあれで幸せなんだよね」って思われる女性になるんだ。

結婚はしたい、子供も欲しい、仕事も頑張りたい。全部失いたくない。
わたしは貪欲だ。貪欲でいたい。

今に満足することは貪欲さを失うことではないはずだから
今は今で幸せ、次はなにを手に入れようかなぁと、楽しく考えられる女性になりたい。なるんだ。

明日からまたもう一踏ん張りしたら、すぐにまた楽しいイベントがたくさん待っている。わたしは貪欲に、今月も来月も楽しんでいく。

そうしているうちに楽しいことのサイクルが、きっとまたわたしを元気にしてくれる。
大丈夫。明日もまた、小さな幸せが待っている。それに気づければ、わたしは大きく幸せなんだ。

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