許す・許したい・許せない
『許し』とは、第4チャクラ(ハートチャクラ)のテーマである。
強い怒りや悲しみから生まれた傷から、
「許せない」という強い感情が生まれることがよくある。
『光と闇、そしてワンネス』の定義を使えば、
「許したい、許そう」と思うだけで、
本当に許せてるなら、
神聖な光の方向へ向かってることになる。
これはスピリチュアル界の王道ではないかな?
でも!
全然許せていないのに、
愛と平和のために、
「許さなければならない」と許したフリをして、
中で苦しいことになっている人がとてもたくさんいる。
過去の私もそうでした。
私が自己探求していく中で見つけた、神聖な闇への道があることをご紹介したい。
内観で、「許せない」を思いっきり感じることを自分に許可する。
「光が良い、闇が悪い」というジャッジが強い人は、この「許せない」を感じることに罪悪感を覚え、無意識では許せていないのに、「許せない」を意識的に感じることができない。
無意識に「感じてはいけない」と思い込み、感じることを禁じている。
これが「ブロックしている」というやつですね。
過去の私もそうでしたし、昨日のクライアントさんもまさにそうでした。
そこで神聖な闇への道があることについて説明させていただきました。
自分の中で「許せない」を感じることは、
抑制(我慢)することでもなければ、相手にぶつける(八つ当たり)ことでもない。
自分の中は唯一何を感じてもいい安心できる場所。
神聖な闇へ向かうには、その「許せない」が落ち着くまで感じ続ける。
その感情、感覚と共にいる。
ここで大事なのは、なんで許せないのかなど、
分析しない。
ただ感じる。
落ち着くまで。
「許せない」が消えなくてもいい。
「許せない」ままでいい。
出てくる度に内観する。
静かに自分の中から出てくる激しさを感じ続け、落ち着くまで共にいる。
それを「許す」というゴールを決めずに、何度も繰り返す。
そうしている内に、にわかにどうでもよくなってくる。
それは知らない間に、
許すということを意識せずに、許しているという状態に向かってる。
というのが神聖な闇へ向かう道。
許せてないのに、私はすべて許している、愛です、平和ですってのは、さわがしい光。
「許せない」という感情に飲まれて、自分に対しても、他人に対しても、どんどんトゲトゲしくなってしまうのは、さわがしい闇。
どっちもしんどいのを私は知ってる。
昨日のクライアントさんも、セッション中、
「許せない」を感じようとしたら、余計にハートが痛くなり、この説明をさせていただきました。
この説明を聞いただけで、
罪悪感がなくなり、ブロックが外れ、
「許せない」をはじめ、
怒り
憎悪
悔しさ
など、色んな感情が濁流のように流れ去り、ハートの痛みもなくなり、最後落ち着いて終われました。
また出てきたら、落ち着いてまた感じてあげればいいですよ、と言うと、
「また出てきてもいい」に、安心されてました。
許しをゴールにおくと、また「許せない」という感情が出てくることが許されないという偽りの世界を作ってしまい、自分の中は一向に安心できる場所にならない。
ここに陥っている方を何度もサポートしてきて、「許し」については、いつか書きたいと思っていて、今になりました。
どうか、過去の私と同じように、
必要としている人に届きますように。
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