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イカれた効用関数で生きています

経済学では、効用関数を想定して議論を進める。それは、とある選択について、その選択がその人についてどれだけ重要か、という度合いを表した数式の表現だ。実際、学部生用のミクロ経済学の教科書では、財1、財2の数量xとかを変数にして、x1が多い方が嬉しいとかそんな関数を見てきた。

経済学部に関係のある人ならすごく馴染み深い数式であると同時に、懐疑的にその関数と睨めっこした人も多いのではないだろうか。「おい待てよ、こんな関数で千差万別、個性溢れる人類の世界を表現していいのか」と。経済学部1年生が直面する違和感。

個性溢れる効用関数。まぁそうは言っても、個性が溢れすぎている。様々な選択を積み重ねて、ろきちゃんたちはここまで来た。高校を卒業して働く人、大学に行って遊びまくる人、大学に行って勉強しまくる人、就職して別の仕事に転職する人、働き続ける人、結婚する人、結婚しない人、結婚したいけどできない人。今の経済学は、学部のレベルを超えた、今の最先端経済学はもしかしたらこうした多様な人たちの効用関数なら表現できているかもしれない。そしてそれを使って素晴らしい分析をしているかもしれない。でも流石に、心が折れるまでバイトで繋ぎながらお笑いに注力している人は、今の経済学では範疇外に違いない。なぜなら、彼らはイカれた効用関数で以て生きているからだ。

もしかしたら、大学院生もそうかもしれない。研究したいと思う人は、おおよそ就活をしていたなら、それなりの就職先を掴めた人だ。就職が嫌だから大学院に来たという人はなかなかいない。しかしながら、有職者として自立できるまで少なくとも5年間必要で、その過程を経たとしても、同世代と同じだけの所得水準を得られる人はほとんどいないのではなかろうか。

そんな訳で、ろきちゃん達は大概の人が人生の上で重視しないとある要素を過大評価しており、大概の人が人生の上で重視しているとある要素を過小評価している。経済学では語ることのできない、奇妙な形をした効用関数がろきちゃん達の中にはある。

安定的な収入を得られる週休2日の仕事よりも、いつ金になるか分からないネタ書きの時間を重視している。なぜだ?きっとそこにはなにかあるからだ。なにか…なんだ?

まともな効用関数を頭に想定しているろきちゃんなら、そこには何も無いことが自明に分かる。だけど、24時間中23時間を占めている大方のろきちゃんは、ロマンを追求しようとする。ロマンってなんだ。人類は合理的じゃない決断を浪漫とかいう、聞こえの良い言葉に封じてきた。そして、また別の合理性のようなものを作ってきた。でもそこにあるのは、浪漫とかいう言葉が醸し出すセンス溢れる人生の歩み方ではない。イカれた効用関数があるだけだ。色々放り出して、順当な道を進めば良いものを。ろきちゃんたちはつい、その順当さに嫌気が差してしまう。

どこまで考えても非合理的なろきちゃんたち。どうすればより高い利益を得ることができるか、よりも、どうすれば自分自身を納得させられるかを重視する人間。彼らすらも内包しようとしたら、それは多様すぎて骨が折れちゃうかもしれない。経済学さんごめんね。ろきちゃんたちのせいで今一つ研究が進んでいないとしたら。

ねぇ。合理的な人間(ホモサピエンス)を想定する経済学さん、ろきちゃんらのことはほっといてください。適当にのたれ死んでやりますわ。

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