3.「腰抜け」と言われるとキレてしまうマーティの教訓を活かす話
写真は私が以前勤めていたダイブショップに隣接したビーチ。ここからダイビングに出発していたのが懐かしいなと思う今日この頃。ダイビング行きたいけど、あの島に戻れるまでは、日本での暮らしを充実させるべし。
さて。今何をしているかというと、自分の本心を探るウィークみたいなことをしている。思えばここまでの人生35年間、結構自分に無理をさせてきたとも気づいた。
それでこの度、時間をかけてじっくりと棚卸しをすることができた。これは本当によかった。
突然ながら江戸川乱歩の怪人二十面相というのがあるけれど、自分は怪人さんとも少し共通点あるように思う。色んな役になりきることで、オリジナルがよくわからない。(そんなものそもそもなかったのかも?)
色々なことに対応していく、立場ごとに発言が変わる。まさにそのまんまポジショントーク。それからペルソナ。人は仮面を被って生きているのよ。何かのヒーロー映画で見たな。バットマンかな。
私にも色々な立場があり、適切に振る舞っているつもり。もちろんエラーもたくさん。明智小五郎や小林少年に正体を見破られることも多々ある。でも何とか生きている。
棚卸ししたからといって綺麗な分析レポートができたわけではない。棚卸しというか風呂敷広げただけかもしれない。
少なくとも、抑圧された記憶はいくつかオープン開封した。これは少し前に気づいた自分の特性。臭いものには蓋。嫌な思い出は真空パックか冷凍。その癖があるせいで、しっかり残っている。王様の耳はロバの耳。しっかり記録が残ってる。苦しさも悲しさも恥ずかしさもフレッシュに残ってる。
これを丁寧に扱わないと、後日後年ひょんなことからエラーというか心理的バグが起きることがわかっている。丁寧に冷静に扱う。
例えば、「お前は物を知らない奴だ」と言われたら結構毎回イラッと来て強い反応に行動が引っ張られそうになる。知識を常に仕入れながら「そう言われないように」取り組んでいる認識があるからこそ、「なんだとー!」と思いがち。
しかし、もしそういう人が映画に出ていたら、まんまとそれで心理的に操られたりしていたら、うわー哀れだなと思うだろう。バックトゥザフューチャー日本語吹き替え版で育った私にとって、「腰抜け」という言葉に反応して冷静な行動が取れなくなってしまうマーティは哀れだと思うけど、あれってすごいよくあることだと思う。
大学の時からいろいろな形でトレーニングしているコーチングでは、何かに対しての自分に沸き起こる「反応」とその後の「行動」を区別する大切さを学んだ、はずだけど、マーティでいえば「腰抜け」と言われるたびにブチギレて時に罠にはめられたり破滅的な行動をとってしまうアレのように、ついつい「反応」のままに行動してしまっていたりする、ポリポリ。
マーティの名誉のためにいうと、マーティはその後(確か)「腰抜け」バグを解消したそんなシーンがあったと思う。気になる方は試聴をば。
今回のまとめに入る。マーティの教訓を活かそうということ。そして、自分にとって「腰抜け」にあたるバグ発生ポイントのまわりには、どうも抑圧され真空パックされたいやーな記憶が隠されていたりする。それを解放するなりクリアにして除霊しよう。何がなぜどう嫌なのか冷静に捉えて把握する。何度言われてもこれからもずーっと嫌かもしれないけど、それは構わない。
時間が解決していることもあるしそうでないこともある。何十年も臭いまま残っているものもあれば、苦々しい記憶がフレッシュに残って仕舞い込まれていることもある。
その都度乗り越えてきたからって、必ずしも自分が「強く」なったわけじゃない。次に再度会っても勝てない敵だっている。心身マッチョ化しても、どんなに急所を鍛えても、鍛えきれないことだったある。そんなところはむざむざ攻撃されないようにすべきだ。何十年鍛え続けたって、急所を刀で刺されたら危険すぎる。極力避ける。やばい奴、やばい場、これを避けることと、いざとなったらすぐに身を守って逃げることもプログラムしておきたい。
いったんおしまい。
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