bookmark#2
2023年5月27日
『ちづる』『僕とオトウト』2作品の上映会を開催した。
監督の赤﨑正和さん、髙木佑透さん、さらにふたりの師匠である池谷薫監督もサプライズでlogueに訪れた。
屋台やキッチンカーがイベントに彩りを添える。
これまで関わった人たちがlogueに集い、今日という1ページを共有している。
最終上映回終了後、シャッターは開け放たれ、上野原の街とlogueがつながる。あちらとこちらの境界線が無くなる時を予感させる。
夕暮れの時はよい時。
計3回の上映を終え、赤﨑さん、髙木さんと3人で並び、自家焙煎した珈琲monologueで乾杯。
そしてトークセッションがはじまる。
赤﨑さんは“妹のことをどう説明したらいいかわからない。だから言葉で伝えるかわりにカメラを向けることにした”という。『ちづる』の撮影が進む中で、赤﨑さん自身が「障害」という枠組みにとらわれていたことに気づく。障害がある妹を「かわいそうな存在」にしていたのも、障害のある人を差別しているのもまた自分だったのでは。そう激しく自問自答する。師匠の池谷監督との対話の末、目の前の人に、ひとりの人間として向き合いたいと決意を新たにする。ちづるさんの障害ではなく「キャラクター」にフォーカスしながら、家族の物語を描き発信することで、奇跡のような瞬間が散りばめられた映画が完成した。
現在は福祉施設で働いている赤﨑さん。
“言葉でうまく話せなくても、それぞれに感じていることが必ずある”という。
あきらめずに向き合い、考え続けている。
さらに、撮影当時をふりかえってこう語る。
きょうだいは、障害をあとから知り、だんだん周囲との違いを実感する。
からかったり、差別したり、心無い言葉をぶつける周りの人たちを、単純に否定はできない。そんな気持ちも今なら分かる。
障害は本人に属してるわけではない。誰が悪いわけではない。
時を超え『ちづる』のその先を。
髙木さんがバトンを引き受けるようにして映画『僕とオトウト』は生まれた。赤﨑さんは自身と妹ちづるさんの関係性を描ききれなかったという。
もともと弟の存在を周囲に発信し続けることで「普通」の環境をつくろうとしていた髙木さん。とりあえずやってみようと撮影をはじめるが、なかなかホームビデオの域を出ない。池谷監督とも衝突する。
やがて決定的な瞬間が訪れる。
弟壮真さんがここまでさらけ出しているのだから、
自分もすべてをさしだそう。
そんな風にして対話への覚悟が生まれる。
“目の前の人のことを知りたいのなら、まず自分が伝えること”
髙木さんはまた、2016年の相模原で起きた事件をふりかえる。
そこで「からっぽ」の感覚を味わい、自分にとってだけではなく
我々にとって障害とは何なのか、その手触りとは。そんな大きな問いが湧いてきたという。
障害について考えるとき
「当事者」だけではなく、みんなが話せるテーマにしたい。
当たり障りのないことを話して分かった気になるのではなく、
弟と生活する中での楽しいことや悲しいことの実感、個人的なエピソードを伝えることで、“障害について話してもいいのだ”
そんな風に感じてほしいと考えるようになる。
伝えたいことは障害についての答えではない―
考え続けることによって、個人の経験を伝えることによって、
普遍的な問いが生まれる。
『ちづる』『僕とオトウト』ふたつの作品には
我々の前に、考える場を、対話の場を現出させるような圧倒的な力がある。
ふたりの師、池谷監督はトークセッションの最後に
それぞれの作品が持つ普遍性について触れ
“皆さん、これからもセルフドキュメンタリーを楽しんでください”
と、映画人としてのコメントを寄せてくれた。
僕自身のことを振り返ると
『ちづる』を初めて鑑賞したのがもう10年ほど前。
東中野の小さな映画館で、赤﨑さんのつくった作品に触れ、これまで自分の中だけにあった独り言のような感情と再び向き合うことになった。
また、僕にとっても、相模原で起きた事件の日のことは決して忘れることができない。
形容し難い感情が次々と浮かんで眠ることができなかった。
自分自身のどの要素にチャンネルを合わせても、ノイズは流れ続けた。
家族として?福祉に携わる者として?
周波数が合わない。説明ができない。
今回の企画にあたり、初めて『僕とオトウト』を鑑賞した時に、
幼少期のとある瞬間の記憶が強烈に蘇った。
それは、親がいないふたりだけの部屋で、僕と弟が2人で過ごしている時間の記憶だ。
僕は弟にこう語りかけた。
もう大丈夫だよ。
誰も見ていないから、普通に話していいよ。
ほら…
当然、返事はない。
僕の独り言はただ空気を振動させただけ。
なんだかその時に、圧倒的な現実を叩きつけられたような気がした。
しかし、それはただのひとりよがり、思い上がりであり
一方通行の発話にすぎなかった。
『僕とオトウト』のラストシーン
髙木さんは壮真さんに語りかける。
ふたりは呼応し、独白はやがて対話になる。
あの頃の自分はどうだったか。
弟に投げかけられる周囲からのまなざしが、だんだんと僕自身にも突き刺さり、すがりたい「答え」や、とらわれる「普通」があったのだと思う。
そんな風に感じてしまう自分が嫌だった。
兄弟で、いろんなことを話したかった。
では、僕は僕自身の言葉を弟に伝えることができていたのだろうか。
間違いなく言えることは
弟は僕のことをいつも受け入れてくれたし、いつも赦してくれた。
大人になり、弟のことを知る人からの言葉を通して、彼が自ら切り拓いていく世界を知った。
僕と弟、そして誰かがいることで、新しく対話が生まれていった。
登場人物が増えることで紡がれる言葉がある。
これからまだ弟と話をすることができるー
新しい希望を感じることができたのだ。
今回のbookmarkのチラシに綴った文章
“dialogueの生まれる場所に”
というのは、僕の願いでもある。
logueや上野原が、そんな場になったらいいなと。
monologueがmonologueと出会うことで、少しずつ願いは叶えられていく。
たとえ障害がなくならなくても
人がいて、言葉があれば、対話は生まれる。
対話のあるところに、次の問いが生まれる。
我々は、歳を重ねていく。
どうなるか分からないことも多いけれど
弟に、家族に、皆さんに、少し未来の自分に対しても
胸を張って言えるようになりたい。
“大丈夫。もうひとりではない”と。
―赤﨑さん、髙木さんからのメッセージ―
logueは言葉にならない言葉も大切に、いろいろな関わり方ができる場所。
いつか 障害があるとかないとかそんなことを意識しなくても
一緒にいられるような空間をいろいろな人に体感してもらって
いい輪が広がっていきますように。
logueを開かれた場所にしたいという思いが伝わってきました。
対話、コミュニケーションの場になりますように。
映画がその一助になれば嬉しい。また来ます。
・・・
翌日
それぞれが帰路につく前に
logueのカウンターで珈琲を飲みながら、三兄弟は再会を約束した。
ひとつずつ言葉をじっくりと選ぶ赤﨑さん
人懐っこい笑顔で話してくれる髙木さん
かぎりなくやさしいひと時。
イベントが終わっても、logueは続いていく。
どうか、ふらっと遊びに来てほしい。
この場所で、何気ない日常を一緒につくってもらえたら。
そこから生まれる対話がある。