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マッチ(短編小説)

「マッチ、持っといて。」

 手に持った線香の火が消えてしまわないように最小限の動きで差し出されたマッチ箱を、おずおずと両手で受け取る。お墓参りのしきたりなんて何も知らないから、私は、父と祖母がお供えのスズランの花を見ながら何か話している背中を後ろから見ているだけだ。もう22歳にもなるのに幼いままの自分を、苦々しく思わずにはいられなかった。

 住職の女性が墓石に向かってお経を詠んでいる間、父は手を合わせて一心に祈っていた。祖父には小さい頃によく遊んでもらったけれど、一生懸命何を祈ればいいのか、正直に言えば私は分からなかった。

 身近な人が亡くなれば悲しい。でも、それは身を削るような感情ではなかった。20代にもなれば身内の不幸は自分にも周りの友達にも否応なく降り掛かって、死、というものを時々は感じるけれど、私の目にはただ、物事の結果、物語の帰結としか映らなかった。そうして、自分は他人よりも情が薄いのかもしれないとか、墓前で自分の口から何を語ればいいのだろうとか、いつだって、考えは自分の頭の中にしかなかった。

 私が中学生の頃から今でも、父とは折り合いが悪かった。それは思春期には珍しいことではないかもしれないけれど、たとえ自分の父親と一個人として接したとしてもあまり好きにはなれそうにはなかった。血のつながりやフロイト心理学のあれこれを超えて、決定的に私と父は交わらないという自信があった。

 父の目から逃れるために実家から遠い大学を選んで一人暮らしを始めて、2年近く経ち、久々に実家に帰った時、父の老いを明確に感じた。玉手箱でも開けたみたいに父は急に老けて見えたけれど、父はもう50歳で、人生の折り返し地点に立っているのだから不思議なことではなかった。嫌いな父のことでも私にはショックだった。あの時から父のことを少しは正面から見るようになったと思う。

 父親の一周忌にあって、私の父が手を合わせて何を考えているのか、祈る背中を見ながら、私はそればかりがつい気になってしまい、注意散漫だった。父がいつかこの世を去った時、私がどう考えるのかを知りたいと思った。

 住職の短い講話が終わって帰ろうとした時、線香の火が消えてしまっていた。「火ちょうだい。」と父が言った時、マッチを持っているのが自分だと気づいて、マッチなんてほとんど使ったことがない私は、慌てて箱ごと突き出した。

 マッチすら上手く使えない自分を、久しぶりに会った家族の前で晒すことを恥じる気持ちが不用意でぶっきらぼうな振る舞いを私にさせた。

 父は黙って受け取って、冬の風に阻まれながら、何本か目のマッチでようやく線香に火をつけて最後にもう一度祈った。



 昼食は妹の一声で回転寿司に決まった。祖母は初めての回転寿司の新鮮さを楽しみながら、赤貝や茶碗蒸しを食べていた。新しいテクノロジーを紹介する担当は私で、説明を聞くたびに祖母は感心しつつ、なんだか諦めたような様子でうんうんと頷いていた。

「今どきは端末で注文を取るところが多いわね。ワタシらの友達の中でも、電子マネーの方がお得だからってちゃんと使いこなしている人もいるけど、その人についつい任せっきりになっちゃってねえ。いつまで経っても慣れないわ。」
と祖母は言った。

「なんなら、最近はお小遣いだって電子マネーでもらうでしょ?」
 妹に会話を振ってみたけれど、彼女はスマホの画面との交信に夢中で、「うーん。」なんて曖昧な返事をした。親戚一同の集まりとなれば、私は子ども一同代表だ。正月が近いついでにとお年玉まで貰っちゃった私は、まだ明確に子どもの一員だから、いまさら気恥ずかしさを覚える資格すらなかった。

 妹に喋らせるのはすっかり諦めて、話を続けることにした。
「まあ、逆も然りだよ。さっき、マッチを渡されたけど上手く火をつけられる気がしなくて任せちゃったもん。今はライターもあるし、滅多に使わないと言っても、できないのはやっぱり恥ずかしいわ。」

「でも、いつかは無くなって、マッチなんて言葉すら知らない世代が出てくるんだろうね。そんなん言われたらやってられへんわぁ。」
祖母はどこか遠くを見つめるようにしていた。

 製造から時間が経ちすぎて廃棄されることになったマッチが、箱ごと焼却炉の中で燃えていく。否応なく進んでゆく時間だけが死を意味していた。

 テーブル席の端に座る父は、私と祖母の会話にはまるっきり関係がないというようにお寿司を黙々と食べていた。

 全員が食べ終わったのを確認して、お開きにしようと父は言った。私と父が並べた皿の山はちょうど同じ高さを示していた。食べた量がすぐにわかるようにと、5皿ずつ重ねる私の癖は、よく考えてみれば父を真似して始めたものだった。成長するにつれて父との血のつながりを感じる瞬間が増えていく。あれほど嫌っていた父に似ていく自分にやるせなさを覚えざるを得なかった。

 下宿先に直接帰る私は、寿司屋を出たところで家族と祖母と別れた。見慣れない街並みを独りで歩きながら思い出したのは、マッチの残り香と父の後ろ姿だった。駅に着いた私は、スーツのポケットから取り出したライターでタバコに火をつけた。

 



 


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