困ったときには、助けを求めること。
私は人に頼ることが得意ではなかった。
自分が何かに困っていても、他の人に迷惑をかけたくない/心配されたくない想いでいっぱいになり、誰かに相談することができなかった。すべて事後報告だ。解決して言語化できるようになるまではなにも言わない。
そんな感じだった。
今でも誰かに相談したり、何かお願いごとをしたり、頼ったりすることは苦手だ。
しかし、それが徐々に変わってきたのが、大学院に進学してからだ。
私の研究室では、
「助けを求めれば、コメント/アイディアがもらえる。」
というのが根底にあった。
つまり、困ったとき、何に困っていて、どんなことが原因だと思っていて、どういうアドバイスが欲しいかを先輩や先生に伝えなければ、助けてはもらえないということだ。
そんなこんなで、自分で先生たちにアポイントメントを取って面談の日を設定したり、オフィスアワーに直撃したりするのが割と普通だった。
兎にも角にも今の状況を指導教員と副指導教員に伝え続け、困ったことはその都度相談し解決策を見つけること。教授陣に勧められた学会や研究会には参加をした。他大学の先生を紹介されれば自らコンタクトを取り、助けを求めることも何度もした。
そのおかげか、誰かに相談することへのハードルはずいぶん下がった。
「困りました」と言うことができるようになった。
前のnoteにも書いたように、4月から日本から離れる予定だった。しかし、飛行機が欠航になってしまい、行先の国も状況がよろしくないため、しばらく日本にいることになった。
そうなってしまうと、仕事も所属もなく、博士号も取ってないから「在野研究者」とも名のることもできない。入学準備中と言えば聞こえはいいが、ただのフリーターだ。
この状況からどうにか脱せなければいけないとは思うものの、パニック状態であるから自分で何か落ち着いて冷静に今後を見極めることなどできなかった。誰に相談すればいいのかもわからないでいた。
いろいろ迷ってはいたが、大学院の指導教員に連絡した。
今置かれている状況を説明し、アドバイスが欲しいことを伝えた。
すると、ラッキーなこともあるものだ。
次から次へと、指導教員は今後のプランを紹介してくれたのだ。指導教員の知り合いが教鞭をとっている大学や図書館など思い浮かぶ限りに紹介してくれた。研究が続けられるように、キャリアが途切れてしまわぬようにと格別の配慮をいただくことになった。
困ったときには、助けを求めること。
相談することは、言うほど簡単ではない。
プライドも希望もなにもかもが邪魔をする。
でも、困ったとき誰かに助けを求めなければ誰も助けてはくれない。
院生さんたち。
オンラインでのゼミで孤独になってはいないか。人に会えない状況が続いて、たわいのない話も研究の話も耳学問もできなくて寂しい日々を送ってないか。
困ったら、誰かに相談することだ。
孤独になってはいけない。
オンラインの公開講義やカンファレンスに参加したりして元気を出すのも方法だ。院生同士でリモート読書会をするのもいいだろうし、リモート飲み会をしてもいい。
プライドや恥ずかしさは捨てて、主査、副査、指導教員に連絡してみることをお勧めしたい。
2020年4月11日土曜日。
天気も良く布団も干せた。午後からは、今の拠点の近くの研究機関の先生と顔合わせをした。希望の光が舞い込んできた。その後、祖父母の家で猫と遊んだ。
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