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彼自身から今後新しいものが生まれないことへの悲しさ。

三浦春馬さんが、亡くなった。

突然のニュースで

「ドラマの話かな?」「嘘なのかな?」

と思った。けど、ドラマでもデマでもなんでもなかった。事実だった。


「アンフェア」、「14才の母」、「貧乏男子 ボンビーメン」、「ごくせん」のあたりの時期によくドラマを見ていた。なんと言っても、「ブラッディ・マンデイ」だ。かっこよかったな。

「恋空」のときの金髪には驚いたし、「君に届け」のTHE爽やかイケメン具合には惚れ惚れした。「銀魂」に出てたときには、こんな感じのにも出るんだなとしみじみした。

ここ最近で一番よかったのは、ミュージカル「キンキーブーツ」だった。

地球ゴージャスの舞台にも参加してたのを見たことがあったから、歌がうまいことは知っていたけど、まぁ、もぉ、「キンキーブーツ」は圧巻だった。

三浦春馬、やっぱすげぇや。これからどうなるんだろ。楽しみ楽しみ。

と勝手に思っていた。テレビの音楽番組にも出て、歌って、踊ってをしているのを見かけては、「三浦春馬さんってすごくてさ」という話を周りにし続けた。

本当にかっこよかった。



応援している俳優やアーティストや芸能人が亡くなったときの寂しさや悲しさはどこにあるんだろうか。知り合いでもなければ、友達でもない。ただのファンが受けるショックの所在は/根源はどこにあるのか。


それは、今後その人から新しいものが生まれないことにあるのではないだろうか。


作品は残る。

彼/彼女らがこの世で生きていたことや活躍していたことが消えることはない。

でも、新しいものが生み出されることはもうない。


三浦春馬がアウトレイジとかに渋めに出てる姿とか見たかったな。「キンキーブーツ」の再演があるなら、何度でもリピートしたい。本場のブロードウェイで上演するとなったら、絶対チケット取ってかけつけただろう。妄想は湧くけども、今はもう冥福を祈ることしかできない。

豊かなセンスと高き才能。三浦春馬氏。そのストイックで繊細な様に魅了された。




DJのアヴィーチが亡くなったときにも同じようなことを思った。Linkin Parkのチェスターが旅立ったときにもだ。何度でも映像は見るし、音楽は聴く。けどもう彼らによって新曲が手掛けられることはない。

死んじゃだめだ。生きてさえいれば、どうにでもなったはずなのに。


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