見出し画像

インドに来て1ヶ月が経過した。

12月12日にインドに到着して、1ヶ月とちょっと経過した。1月16日の今日も天気は晴れだ。12時から16時くらいまでの午後の時間は日差しがきつい。黒い髪の毛が焼けるんじゃないかと思うくらい暑い。

しかし、1ヶ月も経つとこちらの生活にもやや慣れてきた。さて、私はどんなことに慣れてきたのか。

食事のこと

まずは食事だ。「毎日カレーなのか?」と言われれば、違う、と答えるが、毎日スパイスのきいた食事だ。サブジ(野菜の煮物)にダール(豆の煮物)、ロティにライス。スパイスの効いたものを食べるのには慣れてきた。

「ナン」や「バターチキンカレー」は未だ食べていない。インド料理屋さんに行けば食べられるんだろうな。

朝はチャイを飲む。8時までが朝食の時間のため、8時には起きてチャイを取りに食堂に向かう。朝食はチャイとちょっとした豆か米で作られた何かだ。PohaやPuriの日はおいしくいただけるが、Dhoklaや豆のスパイス炒めのようなものはやや苦手だ。ここ最近はDhoklaつづきで、朝食はチャイだけで済ます日もままある。

昼と夜はサブジとダール、ロティにライスだ。これの組み合わせが変わるか、ロティとライスがPuriやBhakhri、Idli、Batiに変わるかの違いだけだ。なんだかんだで、ロティとPuriが味がないからか一番美味しく感じる。たまに、パニプリやパウバジが夜ご飯に出る。これは滅多にない良い日だ。


この前、さすがにこの食事のローテーションに飽きてきて、同僚の暮らす寮でキッチンを借りて「サッポロ一番塩ラーメン」を作って食べた。これがめちゃくちゃ美味しく感じた。こんなに美味しかったのか!とやや感動してしまった。

どうでもいいことだが、これまでインドにいるときはインド料理に飽きることはなかった。でも、今回は1ヶ月で「そろそろ違うものを」とおもった。食事においても「これが明日も明後日も続くのか」と思った瞬間に「飽きる」のだろう。短い旅行だと「とにかくいろんなものを食べてみよう!」の気持ちだったんだろうな、私は。だから飽きなかったんだろうな。あとは選択肢の有無も関係しているか。


トイレとシャワーのこと

次にトイレとシャワーだ。

先日、パートナーとビデオコールをしていた時に、パートナーの部屋にトイレットペーパーが置いてあった。「わぁ!トイレットペーパーだ!」と言うと、トイレットペーパーに何かあるか?と反応されたが、私はトイレットペーパーに懐かしさを感じた。

こちらではトイレットペーパーは使わない。トイレについてあるシャワーで洗い流すタイプだ。最初の頃はこの「トイレの横のシャワー」を一体どう使えばいいのかわからなかったが、1ヶ月も経てば上手に使えるようになる。

ホステルのシャワーは水しか出ない。お湯が出る蛇口が同じフロアにひとつあり、そこでバケツにお湯を汲んで自室の水場に持ち帰ってシャワーをする。

このお湯は早朝と夜遅くは出ない。もし早朝にシャワーを浴びようと思ったら、ヒーターで水を温めてお湯を作らなければいけない。このヒーターが悩みの種で、「1フロア1ヒーター」だ。誰がヒーターを持っているのか、ヒーターはどこにあるのか、大学がシャットダウンされる前まではこの「ヒーターバトル」が毎日のように繰り返されていた。今は大学の閉鎖のおかげか、ホステルで暮らす人も少なくなり、授業もオンラインなために早朝からシャワーを浴びようとする人がいない。「ヒーターバトル」は休戦中だ。


慣れないこと

未だに慣れないこともたくさんある。

なんと言っても、団体行動だ。どんなときも「みんないっしょに」だ。勝手に出かけるなんてだめだ。たった歩いて5分もしない公園に行くことさえだ。部屋で一人で勉強していても「寂しくないか?」と聞かれ、ルームメイトが出払った部屋で一人で夜寝ることでさえ「一人で寝て怖くないか?」と心配される。一人でいることはここではどうやら良くないことのようだ。


あとは言葉だ。ホステルでは英語とヒンディー語とグジャラーティのごちゃ混ぜだ。グジャラーティで呼びかけてみるのだが、途中からわからなくなって私が英語で話し始めると、みんなはグジャラーティで返答してくれる。なんて返答されたのか不明なときの方が多い。まだまだ修行が足らない。

一番よく英語ができるはずの英語学の大学院生が同じフロアに住んでいて、ここ最近は彼女とよく一緒にいるのだが、彼女は頑なに私には英語で話しかけてくれない。ずっとグジャラーティで根気強く話しかけてくれる。普通にしゃべれる日が来るまで英語で話しかけてはくれないだろうな。それでいい。


おわりに

来月にはもっといろんなことに慣れているだろうか。

思い出したことで異文化適応の段階の話だ。よく出てくるのはアドラーだ。

アドラーは異文化への適応段階を①接触段階(contact stage)、②崩壊段階(disintegration stage)、③再統合段階(reintegration stage)、④自律段階(autonomy stage)、⑤独立段階(independence stage)の5段階に分けて説明していた。

①接触段階は興奮と幸福感に満ち溢れて、新たなことを発見し驚き喜び楽しい時期だ。

②崩壊段階はいろんな相違点から戸惑い混乱する時期だ。

③再統合段階は異文化への拒絶感が強くなり、怒りや不満を感じる時期だ。もともと親しんでいた文化的なことに引きこもってしまう段階でもある。

④自立段階は異文化への理解が深まり、新たな状況の中で自主的に判断できるようになる。

⑤独立段階では文化的な事柄の相違点と類似点を楽しむことができるようになる。

このモデルは批判すべきものとして考えるとしてもよくできていると思う。うっかり納得させられそうになるくらいだ。しかし、このモデルを見て「今自分はこの段階にいるからこんな気持ちなんだな」となんとなくわかったような気持ちになれれば、初めての土地で暮らしている人たちの心の安定に繋がるように思う。

毎朝、近くの寺からなる爆音のお祈りソングが「今日も鳴ってるな」と楽しかった時期、「こんな朝からマジでうるさい」と腹が立つ時期、それを超えて「あれ今日鳴ってなかったよね?」ともはや日常すぎて聞こえなくなる時期、いろんな時期を乗り越えたときに「住めば都」状態になるんだろ。

いつここが私の「住めば都」になるだろうか。おわり。


【参照】

Adler, Peter S. (1975) “The Transitional Experience: An Alternative View of Culture Shock.” Humanistic Psychology Vol. 15, No. 4.

池田理知子「カルチャー・ショック」と適応理論の再考察, 『社会科学ジャーナル』47, 2001.

ホカケンだより「大学というカルチャーショック」http://www.u-gakugei.ac.jp/~hokekan/d-206karucyashoku.html 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?