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芸能人が「政治的な発言」をすること。
# 検察庁法改定案に抗議します が昨夜盛り上がりを見せていた。芸能人らもハッシュタグをつけて各々の意見やコメントを呟いていた。
歌手や俳優など芸能人が「政治的な発言」をすると必ず、
「歌手なんだから、歌っていればいい」「ファンだったのにがっかりした」「責任を取れるのか」「わかってないくせに」
など、「政治的な発言」はして欲しくない、という旨のリプライがつく。
きゃりーぱみゅぱみゅ氏は呟いたものの、批判やファンたちのリプライにより投稿を削除するに至った。削除後に謝罪のコメントまで出していた。
なんなのか。
芸能人はいつから、「政治的な発言」をしてはいけなくなったのか。
芸能人であっても、それ以前に一市民であるわけで、国の政治に対して意見するのは至って普通のことではないのか。
こんなことで、「がっかりする」ような「ファン」は本当にファンなのかとさえ思ってしまう。ファンだったら、その発言に対して間違っていれば何か参考になるものをお知らせしてあげるとか、賛同するなら全力で応援するものではないのか。勝手に自分の理想像を投げつけて、がっかりしたなんて、言いがかりも言いがかりだ。
昨晩のことはきゃりーぱみゅぱみゅがかわいそうで仕方がない。
いつも決まって、女性芸能人が真っ先におじさんに叩かれるのも気が滅入る。
芸能人も著名人も「政治的な発言」をどんどんするべきだと私は考える。
それは、まず、1人の国民であるのだから、国の将来が危険にさらされているときには声を上げるべきだからだ。
権力にすり寄りたければ、すり寄ればいい。権力に抗いたければ、抗うのがいい。今のような「腐敗した政権」にすり寄る方が個人的にはいかがなものかとは感じるし、国民一人一人が、大きな権力を持った人たちを常に注視して、批判していく、意見していくその姿勢が必要だと私は考えるからだ。
「批判する」というのは、「悪口」や「揚げ足取りをする」ことではない。論点を見極めて、評価できない点を指摘していくことを「批判する」というのだ。
「批判するなら、対案を出せ」という人もいるが、今の政権にはそれは無理だと私は感じる。というのも、議論を深めてもないのに、対案なんて出せない。
話し合いができていないのに、解決策出せ!って言われても、「なにを解決したいんかお互い了解済みですかね?」となるわけだ。
話が飛んでしまったが、
芸能人らも各々立場を明らかにすることで、批判も多くなるだろうが、それ以上についてくる人も多くなるだろう。
無理に「中立」になろうなんてしなくてもいい。
「中立」を目指したって、「中立」になれないからみんなで話し合いをするのだ。
比較して申し訳ないが、RADWIMPSの野田洋次郎がサッカーのW杯の応援ソングを作ったときに、「何の思想的な意味も」「右も左もない」と言っていた。これはめちゃくちゃダサいと思う。
それより、「反対です」「抗議します」と呟いているきゃりーぱみゅぱみゅやオカモトレイジ、いきものがかりの水野さんの方が断然かっこいい。
政治的な発言をせずとも、生きていこうだなんて無理で、
「沈黙」がいかに「政治的な行為」であるか、「中立を装う」ことがいかに大きな権力にすり寄っているか、をまともに考えた方がいいと私は思う。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、poisonだ。反町隆史はずっと前に歌っていた。
表現者たるもの、政治的であれ。
2020年5月11日月曜日。
edXがだんだん難しくなってくる。コメントシートをアップロードしなきゃいけなかったんだけど、その一個前の課題が難しくて、今週中にもう一度課題をしようと思う。「オレンジ・マーマレード」を見ているのだが、その中に出てくる、シフ役のイ・ジョンヒョンがかっこいい、、、と惚れ惚れしていたのだが、最近のイ・ジョンヒョン本人の騒動を検索してしまって、戦慄。ドラマの役と本人をうっかり同一視しそうになっていた自分に気がつかされた。
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