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【本の記録】橋本栄莉 『エ・クウォス 南スーダン・ヌエル社会における予言と受難の民族誌』①

『エ・クウォス』第1回は本書の概要を紹介する。来週は第2回とし詳細な内容、第3回は全体のまとめとコメント、参照文献リストにしようと思っている。ざっと読んでまとめれば良かったのかもしれないが、1週間で最後まで目を通すことができなかった。

では、行ってみよう!

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概要

 本書は、南スーダンのヌエル社会における予言をめぐる信念について、ヌエルの人びとの歴史・日常生活・出来事の3つの場面から検討している。100年以上も前にされた予言とその信念が、どのようにヌエルの人びとの経験と関わっているのかが全体の問いである。「エ・クウォス」は、自分の力ではどうすることにもできない出来事やこんなに直面したときに、その驚きを表現する言葉だ。予言が成就するという意味合いでも用いられるこの言葉「エ・クウォス」と「予言」/「予言の成就」をバイデルマンの「想像力」の概念を参考に考察する。

著者紹介

橋本栄莉
1985年、新潟県生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。高千穂大学人間科学部助教。専攻は文化人類学。第5回若手難民研究者奨励賞(難民研究フォーラム)受賞(2017年)、第12回日本文化人類学会奨励賞(日本文化人類学会)受賞(2017年)。本書『エ・クウォス 南スーダン・ヌエル社会における予言と受難の民族誌』は第46回澁澤賞受賞作品である。


本の情報と目次

橋本栄莉
2018『エ・クウォス 南スーダン・ヌエル社会における予言と受難の民族誌』九州出版会

A5判 420ページ 上製/定価:5,200円+税
ISBN : 978-4-7985-0222-9 C3039 


目次
はじめに
 序 章 動乱の時代と予言
   第 Ⅰ 部 「予言者」の歴史的生成過程
第1章 予言者/魔術師の成立
第2章 内戦・平和構築と予言者
   第 Ⅱ 部 経験の配位
第3章 多産と時間
第4章 不妊と予言
   第 Ⅲ 部 クウォスの顕現
第5章 「予言の成就」としての国家の誕生
第6章 「エ・クウォス」の経験をめぐる真と偽
第7章 存在の別様式への気づき
終 章 隠された経験の領域 / あとがき


調査方法と地域

>現地調査:2008年から2013年(約19ヶ月)、南スーダンの都市部と村落部

>史資料調査:イギリス・ダーラム大学スーダン文書館(Durham University, The Sudan Archive)、オックスフォード大学ピット・リヴァーズ博物館(University of Oxford, Pitt Rivers Museum)、南スーダン・ジュバ大学平和開発研究センター(University of Juba, Center for the Peace and Development Studies)で資料収集

南スーダン共和国

南スーダンはスーダンからの独立を目指し、長らく紛争状態にあった。2011年7月に独立を果たし、南スーダン共和国(Republic of South Sudan)が誕生した。しかし、2013年には南スーダンの首都ジュバで激しい武力衝突が生じ、のちに「ジュバの大虐殺(ヌエル大虐殺)」と呼ばれる事件が起きた。その後、再び内戦状態に陥る。2018年にキール大統領が和平合意に署名したものの、現在も困難な状態が続いている。

本書の調査期間の2008年から2013年は紛争の最中から独立を成し遂げたときにあたる。「あとがき」には、2013年12月15日、5回目の調査を始める直前に滞在先のジュバで武力衝突が起こり、フィールドワークは突如終わることになったと記されている。


前提となる議論

予言をはじめとするアフリカの神話や民話、口頭伝承と社会変動に関する研究では、コスモロジー分析歴史的文脈化を組み合わせた総合的なアプローチが中心となってきた。[p.10]

*コスモロジー分析:村落的行動体内で共有される神話的イディオムやそれを操作する宗教的職能者の役割を明らかにしてゆく手法。

*歴史的文脈化:共同体の宗教・神話的諸観念が生成されてきた歴史的政治的文脈を解析してゆく手法。

本書ではこの統合的アプローチを1)還元論2)多元的近代論3)接合・相互作用的モラル・コミュニティ論の3つに類別して具体的な事例とともに各アプローチを検討する。

1)還元論:「アフリカの宗教的職能者の登場を、社会変動時におけるアフリカ側の反応やアフリカ的世界観の表出として捉える視点」[p11]。

2)多元的近代論:アフリカの宗教的諸実践の近代性をめぐる議論が盛んになったときに提示された。西欧起源の概念が流入したことを踏まえ、特にコマロフ夫妻に代表されるような、中心と周辺、植民者と被植民者間の弁証法的な相互作用の中で持続してきた宗教的諸実践の特徴から、「複数の世界システム」のありようを人びとの実践から描き出す試み[pp.12-13]。

3)接合・相互作用的モラル・コミュニティ論:モラル・コミュニティという分析概念は、もともとは村落共同体における宗教的・神話的諸概念によって媒介される人びとの心的な結びつきを指すものとされており、これはデュルケムの「宗教」の定義に由来する。しかし、分析概念としてのモラル・コミュニティは注目されず、1)還元論的アプローチ、2)多元的近代論と合わせて考察され、分析者の分析枠組みによりけりである[pp.14-15]。


>バイデルマンの「モラル」と「想像力」を手がかりに

本書で用いる「モラル」は、「かけ離れた文化」を表すものでもなければ、日本語の「道徳」という語から喚起されるような、人類に普遍的に共有される一般原理でもない。極端な普遍化と個別化を避けるためには、このモラルという用語を、所与の概念や規範としてではなく、行為者たちの相互のやり取りの中で生み出されるつつあるような一つの実践と捉える必要がある。[p18]

○バイデルマン(Beidelman)の東アフリカ・カグル社会の研究

〜 モラル 〜

バイデルマンは「「モラル」を、他者と相互に関わる中で、他者への期待とともに自らをイメージするという、社会的相互作用の観点に立つ概念として捉えた。」[p18]。モラルは、対象社会の成員に限らず、対象社会に関わる人間すべてに双方向的に働きかける観点を含むため、「つまり、他者と関わる相互作用的な視点がなければ、「モラル」は成り立ち得ない」[p.18]。

〜 想像力 〜

バイデルマンのいう「想像力」は研究対象社会(カグル社会)の神話的時間に参与しうる自己、他者などすべての人間の間で双方向的に作用する。その想像力を実践することこそが、カグルの神話的世界のリアリティを生成する力に深く関わっている。人びとは、他者と相互に関わるために、推定と内省を繰り返しながら自身のあり方を想像しているとバイデルマンは指摘している。[pp.20-21]

バイデルマンの言うところの想像力は、「個々人の経験の不安定さを含みつつ、個の経験を他者に共有されうる経験として方向付けてゆくものであるとたら得ることができる」[p21]。

●バイデルマンが「モラルと想像力という語を組み合わせることで狙ったのは、むしろ、ある想像力が「個人」のものか「社会」のものか、という議論や、個人と社会という区分そのものに対して問いを投げかけることであった」[p21]。

→想像力を支えるものの例:ある社会でのみ共有される常識・規範、個人が人生で培ってきた経験、「科学的」・「合理的」知識、宗教的イディオム、それらに基づく予知や予測、、、、など

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今週は『エ・クウォス』でヌエル社会の「予言」を考えるスタート地点となっているところを書いた。バイデルマンの「想像力」の話はいいな、と個人的に思っている。「予言」と言われると、未知の怪しげなもののように聞こえるが、バイデルマンの議論を踏まえた上で「予言」を思うと、コロナの「接触を8割減すれば、収束に近づくでしょう」も「予言」として考えられるだろう。

次回はヌエル社会のことに話を移動させ、史資料研究・民族誌部分を読む。




できたら、みなさんも本を手にとって一緒に読み進めてください。まだまだ勉強中でありますので、このnoteへのコメントもお待ちしております。

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