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「過去への反省」と人類学。

「人類学者1人に人類学観は1つづつ」は過言ではない。

いろんな人類学者が世界中にいて、みんなそれぞれ研究場所も対象もテーマも異なる。出会ってきた人や感じてきたことがそれぞれ違うから、人類学者の数だけ人類学観があると言えるのだろう。
しかし、人類学の前提とされていることは共有しているため、研究者同士通じ合えないということではない。


人類学の草創期は「安楽椅子(アームチェアー)の人類学者」と呼ばれる、自分自身で現地調査には行かず現地のことを語る人類学者がおり、それへの批判からフィールドワークが研究方法になる。
そして、実際に見ること・体験すること・共に生活すること、すなわち現地での生活に参与し観察し記述すること、これが人類学の主なやってきたことだ。


この大前提の中には、「過去への反省」がつきまとっている。
特に、人種差別や戦争に加担してしまったことへの反省だ。
黎明期の人類学では「未開の人々を知ること」がなによりのテーマだった。現地に行き、その人たちに会う。

「我々とは違う他者」「〜〜にまだいたぞ!」というように。

先住民族や西洋以外の地域に住む人たちを、珍しいものとして取り扱った。彼らを計測し、そこでの「文化」なるものを好奇な目線で研究した。
これが人種差別につながっていった。

戦争に加担した、というのは、日本国内でも著名なルース・ベネディクトの『菊と刀』が例に挙げられる。

アメリカと日本が戦争状態にあるとき、ベネディクトはアメリカ国務省の依頼を受けた。彼女は日本での現地調査を行わず、文献資料とアメリカに住む日本人(日系人)への調査により「日本」を描きだした。戦時下でいかに日本を理解し統治するかがこの時の課題であり、ベネディクトは仕事を全うした。

それが『菊と刀』なのだ。
名著であることは間違いないが、批判しなければ偏った「日本人論」を受け入れてしまうことになる。注意して読むべき本だ。


さて、今日は映画《サーミの血》を観た。

序盤で主人公たちの通う寄宿舎に、調査員がやってくる。
そして彼らは、寄宿舎に住む少女たちを「ラップ人」として、身体測定をする。

頭の大きさ、こめかみ、眉間、鼻の高さ、あらゆるところを数値化し計測する。極め付けには、少女たちに服を脱ぐように命令し裸の彼女たちを前方、後方から写真で撮影する。

つまり「ラップ人」の子どもたちの標本を作るのだ。

主人公は寄宿舎から飛び出して、村の近くで行われていたパーティーに参加する。そこでスウェーデン人の男性に恋をする。これをきっかけに主人公は寄宿舎からも村からも飛び出して1人で生きていくことを決意する。

恋をしたスウェーデン人を探して、彼の家を訪れる。しかし、彼の両親の反対を受け1泊後に追い出されてしまう。

次に主人公は学校を訪れ、1日入学する。そこでできた友達に週末パーティーに誘われる。主人公が行ったパーティーは恋をした彼の誕生日会だった。
そこで集まった人々が次のようなことを話す。

「私たちは人類学専攻なの。ラップランド(「ラップ人」の故郷)から来たんでしょ?ヨイク(「ラップ人」の放牧歌謡)歌ってよ。聴きたいな!!」

と。

寄宿舎の中でも「見せ物」になり、都市部に来ても「見せ物」になる。

これは、人類学が過去にしてきたこととほとんど同じだ。博物学的な手法での人の標本づくり。「彼らの文化」に対しての好奇の眼差し。映画《サーミの血》を観て、人類学の過去への反省のポイントを再確認させられた。

現在の人類学では「人種」の概念自体に疑義を唱えているため、人種差別的なことを人類学がすることはないだろう。しかし、自らの手元から出発した情報や資料がどのように使われるかは想定できない。一人歩きして、それが戦争や紛争に加担してしまうことも考えられる。国家的な政治局面、国際情勢と人類学は常に共にある。人類学的な「過去への反省」は忘れずにしたい。

「過去への反省」と人類学。

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