映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を見て−なにかに心動かされること
私の住んでいる地域では、この映画は大きな映画館ではなく、厳選された映画を放映している小さなシアターで公開していた。いつ行っても空いていて、席番号の指定もない、予約もない、感染症対策で人数制限をしていたがその人数に達することもない気楽な映画館だ。ただただ潰れないでほしい。
映画『82年生まれ、キム・ジヨン』
さて、先日、映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を見に行った。
原作の小説は日本でもベストセラーになった。本屋の特設スペースに平積みされ、いまだかつてこんなにも韓国文学が日本で流行ったことがあったかと思わされた。
映画化された本作は、
主人公キム・ジヨン役にチョン・ユミ
ジヨンの夫、チョン・デヒョン役にコン・ユ
ジヨンの母、ミスク役にキム・ミギョン
チョン・ユミ氏にコン・ユ氏でいいカップルなのだが、それに加えてお母さんがキム・ミギョン氏だ。
「ゴー・バック夫婦」では主人公ジンジュの母。最近だと「サイコだけど大丈夫」の主人公ガンテと兄サンテの友人ジュリの母。みんなの優しいお母さん、キム・ミギョンだ。
いい原作にいい俳優陣。見に行くべき映画であることは間違いなさそうだ。公開終了も迫ってきているため、迷っている場合ではない。見に行かねば!というところだ。
テーマは「現代を生きる女性」と「共感」
覚書としての感想。
子どもの頃から、姉・ジヨン・弟でも可愛がられるのは長男である弟。食事の準備をさせられるのは女である姉とジヨン。
高校生になってバスで痴漢の被害を受けても叱られるのは痴漢をした男子学生ではなく、被害を受けたジヨン。
就活中は父に「お前はおとなしく家にいて、嫁にでも行け!」と怒鳴られる。
会社では、チーム長の女性は男性社員から「子どもを預けて働くなんて子どもがかわいそうだ」と陰で言われ、男性理事からは「男だったらよかったのに」といびられている光景を日常的に見る。
同僚の男性は昇進するのに、女性のジヨンは昇進できない。
出産して会社を辞めるが、その後会社では女性用トイレに隠しカメラが設置されていて、男性社員たちがその画像をシェアし合っていたことが発覚する。
年中行事のときには、夫の実家で休むまもなく料理を手伝わされる。義母からは同じ柄のエプロンをプレゼントされる。帰省した夫の妹のお茶だしをやらされる。
出産後、仕事も辞めたため、午前中だけバイトをはじめようとするが、夫には「働かなくていい、君にお金を稼いでこいなんて言ってない」「本当にやりたいことなの?」と言われる。
出産前に勤めていた会社のチーム長が独立したため、一緒に働かないかと誘われ、再就職しようとするも、ベビーシッターが見つからない。
再就職することと夫が育休を取ることに前向きであることを義母に電話で話すと、義母は「息子の出世の邪魔をするな!」とジヨンを叱りつける。
ベビーカーに子どもを乗せて、カフェに行けば、スーツを着たサラリーマンたちに「このカフェはママ虫がいる。旦那の稼ぎでぶらぶら遊んで」と言われる。
痴漢されたら痴漢したほうが悪い。有能な女性社員より、普通の男性社員が重宝される。家事も育児も全部女性が引き受け、少し「手伝った」からって男性はチヤホヤされる。
なんで男性ばかり優遇されるのか?
女性たちが何か悪いことでもしたのか?
ジヨンは時々、何者かに「憑依」され、自分を見失う。精神科に通院することになるジヨンは、最初の日、精神科の先生に「来ただけでもう半分以上は治っている」と慰められる。
では、ジヨンを苦しめていたのはなんなのか。
「社会」「世間」がジヨンを追い詰めて苦しめていたのだ。これが現代を生きている女性であるわけで、多くの女性たちが「キム・ジヨン」と同じ悩みや苦しみを抱えている。
映画を見ていると、どこかの場面で「あ、キム・ジヨンは私なのかな」「私はこの登場人物と一緒だな」と思う。
まさに「共感」だ。
現代社会を生きる女性にスポットライトが当てられているが、男性にもその視線は向けられている。(ジェンダーやフェミニズムの問題は女性だけの話ではなく、男性の話であるから、そうなのだ。)この映画に出てくる「一般男性」たちは、とてもよくある身近な存在で、女性が不当に扱われているのが「普通のこと」になってしまっているのが現状だ。
最近ではme tooやKuTooのような動きもあった。しかし、テレビを付ければコメンテーターはおじさんばかり、閣僚になるのはおじいさん、男女平等の世界ランキングは下がるばかりの日本。
何かを変えるためにはまずは、気がつくことだ。
この映画に対して、「女だって」「女はこういうものなんだ」という人がいるかもしれない。しかし、まずはこういうことがあることを直視して、映画が何を言わんとしているかを考えることだ。
いい映画だった。事実を明るみにして、みんなで話をする土壌を設けてくれた。
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この映画を私より先に見た、姉(映画とラーメン好きOL)が「感動したから、見て!」とわざわざ連絡してきた。
これは姉の話を聞いた私のつぶやきだ。彼女の話からは、映画に共感する部分が多かったのがよく伝わった。
このnoteを姉が読むことはないだろうが、彼女には、
何かに感動することや心を動かされることが明日のあなたに少なからず影響を与えることを忘れないでほしい。
そう思った。あなたの心打ったものが文学作品だったことが私は嬉しかった。
昨今、「文系学問は役に立たない」と言われ、学術が軽視されているが、このように文学作品が映画になって人びとの心に訴えかけることがあるのだ。これでいて、「文系が役に立たない」なんてことがいえるか?と思うのだ。
未来に投資をするなら、未来志向なんて言うなら、その基盤の一部である学術や教養をむげにしてほしくない。
長くなった。終わり。
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