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「やりたいことも、楽しいことも、自分で探す」枝優花のサボり方

クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」

今回は初長編作品『少女邂逅』が世界で称賛を浴び、一躍注目された映画監督の枝優花さんに、映画監督になるまでの歩みや、映画作りにおけるこだわり、フリーランスならではの息抜き術などを聞いた。

枝 優花 えだ・ゆうか
映画監督/写真家。1994年生まれ。群馬県出身。2017年、初長編作品『少女邂逅』を監督。主演に穂志もえかとモトーラ世理奈を迎え、MOOSICLAB2017では観客賞を受賞、劇場公開し、高い評価を得る。香港国際映画祭、上海国際映画祭正式招待、バルセロナアジア映画祭にて最優秀監督賞を受賞。2019年、日本映画批評家大賞の新人監督賞受賞。また写真家として、さまざまなアーティスト写真や広告を撮影している。

幼いころから憧れていた、映像の世界

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──映画を好きになったきっかけなどはあるのでしょうか。

 小さいときからなんですけど、近所の子たちと違う保育園に通っていて、全然友達がいなかったんですよ。それに祖父母の家に預けられることも多かったので、近所の公民館で借りたビデオを観たりしていました。

父が映画好きだったので、家で一緒に観ることもよくありましたね。父はいつも途中で寝るんですけど(笑)。それこそ王道のハリウッド映画なんかを、タイトルも知らないままいろいろと観ていました。だから、今になって「このタイトルって、あのとき観た映画のことなんだ」って気がつくこともけっこうあります。

──それで映画の世界に憧れを?

 はい。映画に限らず、漠然と映像の世界に興味はありましたね。「どうやったらあっちの世界に行けるんだろう?」とぼんやり思っていました。私は群馬出身なんですけど、地元にいても憧れの世界には行けないことがわかっていたので、きっかけみたいなものを探していたんです。

そんなときに、東京からお芝居を教えてくれる先生が来ることを回覧板で知って。いわゆるワークショップみたいなものですね。それで勇気を出して母に「これ行ってみたい」って言ったんですよ。まだ10歳くらいだったんですけど、母は公務員で、納得できる理由がないと認めてくれない人だったので、子供なりに思い描く将来像などを説明して通わせてもらいました。

──10歳から演技を学んでいたんですね。

 ワークショップは月に何度かあったので、自分のお年玉で会費を払いながら、15〜16歳まで通っていました。お芝居を学んで、先生に紹介してもらった監督のショートフィルムに出てみたり。でも、恥ずかしくて友達には言えませんでしたね。

映像の世界に進みたくて、親や先生の反対を押し切って東京の大学に進学しました。そこでワークショップの先生と再会して、今度は演出の勉強のために先生のレッスンのアシスタントをするようになったんです。先生は芸能事務所に所属する俳優のレッスンを受け持っていたので。

映画を通じて、自分を表現すること

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──大学生のときには作る側を意識されていたということは、映画を撮ったりもしていたんですか?

 アシスタントをやりながら映画サークルにも入っていたので、そこで初めて映画を撮りました。サークルメンバーの映画作りを手伝っていたら、その人が逃げちゃいまして……。残ったメンバーでどうするか話し合ったんですけど、一向に話がまとまらないので、「私が脚本を書いていいですか?」って申し出て、そのまま監督もやることになったんです。

監督はもちろん、脚本を手がけたこともなかったんですけど、やってみたら、めちゃくちゃおもしろくて。先輩が脚本から撮影まであれこれ面倒を見てくれたおかげもあって、なんとか作品を完成させることができました。

──映画作りのおもしろさに目覚めたんですね。

 上映会は口から心臓が飛び出そうなくらい緊張したんですけど、自分ができなかったと思っていた部分は、みんなそれほど見ていなくて。逆に思ってもみないところで「いいね」「映画的だね」って言ってもらえたのが新鮮でしたね。無自覚に撮っていたシーンにも、小さいころから映画を観てきた経験や、その記憶が紐づいていることがわかって、「自分を表現するって、こういうことなのかも」って思ったんです。

「好きになれるキャラクターしか登場させたくない」

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──「自分を表現する」という要素は、一般公開された作品を観ても感じられるのですが、作品にはどのぐらいご自身が投影されているのでしょうか。

 基本的に自分で脚本も書くのですが、どうしても自分からかけ離れたものは作れないんですよね。演出する際も自分に引き寄せて考えているので、自己投影度は高いほうだと思います。

主人公に60%ぐらい自分を託して、残り40%は取材するなどして作り上げていくイメージです。主人公以外のキーパーソンに自分の中の大事なものを分散して預けることもあります。

──キャラクターに自分を託す割合の調整は、より共感してもらえるようにキャラクターを普遍化していくイメージなのでしょうか。

 割合についてそこまで考えてなかったんですけど、自分が作る物語の中に完璧な人は出したくないという思いがあって、そこは意識していますね。完璧にいい人もいないし、完璧に悪い人もいないはず。人はもっと多面的だと思うんです。

だから、どこか好きになれる要素がある人物しか登場させないんですね。物語的によく思われないキャラクターでも、自分は嫌いになれないようにしています。「この人、イヤだな」と思うと、それが画に出ちゃうんですよ。どこか適当で、そっけないシーンになってしまう。

──物語はそういったキャラクターから広げていくんですか?

 やりたいことや言いたいことがあって、それがどうしたら伝わるのかを意識しながら、物語の展開などを考えています。でも、テーマとなるような思いって、根っこの部分はずっと変わらないんじゃないかと思っていて。だから、やりたいことが常にあるわけではなくて、がんばって探しているところもあるんです。根っこの思いはありつつ、それを枝分かれさせてみたり、角度を変えてみたり。ただ、「こういうシーンを撮りたい」といったシーンのイメージは常にありますね。

──たしかに、枝さんの作品には特別な瞬間を切り取ったような印象的なシーンがありますよね。画だけで語ろうとする意志を感じます。

 やっぱり映像が好きなんですよね。映像が見たくて映画を観ているといってもいいくらい、たくさん映画を観るよりも、好きなシーンを観るために何百回も同じ作品を観るようなタイプで。

自分で映画を作るときも、どうしたらイメージしたシーンが撮れるかを常に考えているので、脚本では光の指定もします。「ここで後光が差す」とか。「差す」じゃないよっていう(笑)。でも、そういった光の演出のほうがセリフよりよっぽど伝わるし、小説でも音楽でもできないことだと思うので、そこは重視しているというか、プライドを持ってやっているかもしれないですね。

「自分たちの話だ」と思えるような作品を作りたい

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──撮りたい映像のイメージなどは、やはりこれまで観てきた映画から受けた影響が大きいのでしょうか。

 それも大きいんですけど、自分で映画を撮るようになって見方が変わったんですよね。大学の先輩たちに撮ることについて一から教えてもらったり、撮った映像に1カットずつダメ出しされたりしたことで、映像を意識的に見るようになりました。そうしているうちに、好きなショットやカメラの動き、レンズの深度などがわかってきたんです。

一方で、映画だけ観ていてもダメで。やっぱり見たことのない世界を撮りたい気持ちがあるので、映画として表現されたものだけでなく、別の刺激も必要なんですよね。なので、海外のショーや知らない国の人たちの生活を映したドキュメンタリーなど、いろんなものを観るようにしています。

──異なる刺激が自分の中で組み合わさることによって、何かが生まれるかもしれない。

 そうです。それこそ、ただ広い土地を眺めるとか、映像じゃなくてもいいんです。自分の記憶と経験が作品に投影されて、それが作家性になると気づいたので、今はいろんな経験を重ねたい。だから、ひとりでどこでも行きます。

この前も、舞台挨拶で茨城に行くことになったので、早めに行って大洗まで足を延ばしてみたんです。行くあてもなかったので、とりあえず「めんたいパーク」(明太子の老舗かねふくが運営する明太子のテーマパーク)に行って。バス旅行のおじいちゃんおばあちゃんグループが明太子作りをじっと見ていたんですけど、その景色が妙におもしろかったんですよね(笑)。そんな記憶が、脚本を書くときに活かせるかもしれないなって思うんです。

──そういった経験も重ねた上で、今後撮ってみたい作品のイメージなどはあるのでしょうか。

 日本映画を観ていても、「自分たちの話がないな」と感じることが多いんですね。自分が直面している問題や、同年代の子が同じように抱えている悩みを描いている作品が少ないんじゃないかなって。だからこそ、私のような人たちが「自分たちの話だ」と思えるような作品を作っていきたいですね。

それは作品だけでなく、プロモーションなどもそうで。若い人たちに作品が届くような発信の方法を考えるべきだし、これまでのルールや型にこだわらず、試行錯誤していかなくてはと思っています。

サボりに大切なのは、「公言すること」

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──「サボり」についても伺いたいのですが、枝さんにとって「サボる」ってどんなイメージでしょうか。

 誰かが「フリーランスはいつでも休めるし、いつも休めない」と言っていたんですけど、本当にそうなんですよね。私も休むことへの罪悪感が強くて。会社のように就業時間も決まっていないので、具体的な仕事がなくても、ずっと脚本のことが心のどこかにあったりするんですよ。

だから、気持ちを切り替える方法もいろいろ考えてはいて、最近は「サボります」と公言するようにしています。友達とかに「今日はもう絶対に仕事しない」って言うんです。何かやらなきゃと思いながら結果的にサボっちゃうのが、一番罪悪感を覚えるので。

──たしかにサボると決めれば、少なくともその1日は後悔なく楽しめそうですね。どんな過ごし方をするとリフレッシュできるのでしょうか。

 友達を家に呼んで料理をするのが好きですね。書き物などの仕事がうまくいかないときも、料理に逃げています。脚本は手を動かしていればなんとかなるものではないけど、料理は手を動かしていれば完成するじゃないですか。「何かを作っている」という感覚が得られるので、脚本がうまくいかないストレスが解消できるんです。

──食べることで元気にもなれますしね。

 そうですね。それに、スーパーに行くのも好きで。「めんたいパーク」に行くのと同じように、店内でかかる謎の音楽を聞いて「誰が作ったんだろう?」って思ったり、「私が作りました」みたいなラベルのある野菜を見て「これは家族が撮ったのかな?」と思ったり、そういうのが楽しい。

──ストレスを発散しながら、クリエイティブな刺激も受けている。

 そう思います。日常の中でもどれだけ豊かな経験をして、豊かにものを見ているかが、創作にも関わってきちゃうんですよね。映画の技術部の友達がいるんですけど、撮影などで地方に行くと、ちょっとした隙間の時間に地元の有名なお店や観光地に行くんですよ。インスタで「サボりチャンス」なんて言いながら、みんなに内緒でさっと消えていく。そういう限られた時間でも積極的に楽しむ姿勢は大事だなって思います。

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撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平


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