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追悼:ポール・カーツ!

つい数年前の出来事のように思っていたが、ポール・カーツ(Paul Kurtz)が逝去して、すでに7年以上が過ぎた。日本ではあまり知られていないが、欧米で「懐疑主義・科学主義・自由主義」といえば、必ずといってよいほど名前の登場する哲学者である。

もしカーツが生きていたら、現在のような「パンデミック」状況において、いかに対処すべきか、彼独自の見解を主張していたに違いない。そればかりでなく、科学者や哲学者の意見を組織的に取りまとめて、合衆国政府や国連機関に有益な提言を行っていただろう。彼の不在は、実に惜しまれる。

カーツが逝去した際のプレス・リリースは、次の記事(The Skeptics 誌)に詳細が提示されている。

当時、私は「CSICOP創始者ポール・カーツ追悼」(Journal of the Japan Skeptics: 22 (2013), 2-3)を書いた。 以下に、その記事を紹介しよう。

CSICOP創始者ポール・カーツ追悼

「CSICOP」(Committee for the Scientific Investigation of Claims of the Paranormal)を創始したニューヨーク州立大学バッファロー校名誉教授の哲学者ポール・カーツが、2012年10月20 日に86歳で逝去した。

カーツは、1925年12月21日、ニュージャージー州ニューアークに生まれた。高校卒業後、合衆国陸軍に志願入隊。1944年にはヨーロッパに赴任し、バルジ戦線に送り込まれた。終戦にかけて、ブーヘンヴァルトとダッハウ強制収容所におけるナチス・ドイツの残虐行為の痕跡を目撃して衝撃を受ける一方、フランス・ベルギー・オランダ・チェコスロバキアでは解放の歓喜の輪に加わった。「戦闘と解放」という現実世界の「地獄と天国」の強烈な体験から、彼は哲学を志すようになったという。

帰国後、カーツはニューヨーク大学哲学科に進学し、指導教官シドニー・ホックから大きな影響を受けた。ホックは「デューイの番犬」(Dewey's bulldog)を自他ともに認めるジョン・デューイの弟子であり、プラグマティズムとヒューマニズムを哲学的理念として掲げる一方、徹底した反宗教主義と反教条主義を主張したことで知られる。カーツはホックの理念を継承し、かつてのホックと同じようにコロンビア大学大学院で哲学博士号を取得した。カーツが1952年に提出した博士論文のタイトルは「価値論の問題」(The Problems of Value Theory)である。その後、カーツはさまざまな大学で教育経験を積み、1965年にニューヨーク州立大学バッファロー校教授に就任。1991年に退職して、同大学名誉教授となった。

哲学者としてのカーツは、「世俗的ヒューマニズム」(secular humanism)の提唱者として知られる。この別名が「科学的ヒューマニズム」(scientific humanism)であることからもわかるように、人間の倫理観や世界観は、純粋に理性的あるいは科学的に到達可能な目標であり、宗教や超自然現象、あるいは疑似科学や迷信に頼るべきではないという哲学的理念である。カーツは、1967年から1978年まで雑誌『ヒューマニスト』(The Humanist)の編集長を務め、1973年には世界を代表する275名の知識人から署名を集めて「ヒューマニスト宣言」(Humanist Manifesto)を行った。

1975年、カーツは、ヒューマニスト宣言に反して社会に悪影響を与えている実例として「占星術」を取り上げた。彼が『ヒューマニスト』で組んだ特集「占星術への反論」(Objections to Astrology)は、「さまざまな分野の科学者は、世界中のさまざまな地域で、占星術が以前にも増して受け入れられていることを憂慮している」という言葉から始まる「総意」に基づき、186名の科学者や知識人の署名が続く。この中にはノーベル賞受賞者18名も含まれている。

この流れに沿って、カーツは1976年、占星術ばかりでなく、あらゆる占いや予言、テレパシーや超能力、心霊現象やUFOなど、いわゆる「超自然現象」を批判的・科学的に調査する委員会として「CSICOP」を設立した。この名称を発音すると「サイ・コップ」(Psi-Cop)となり、「サイ(超自然現象)を取り締る警察」とも読める。実際に委員会は、自称サイキックの手品を暴く「デバンキング」(debunking)活動を積極的に行い、「自称超能力者ユリ・ゲラー」との裁判闘争で勝訴、いわゆる「霊感捜査」を取り止めるように警察を告発するなど、社会に密接に関連した問題に積極的に取り組み、その調査結果を機関誌『懐疑的探究』(Skeptical Inquirer)に詳細に報告した。委員会のフェローやテクニカル・コンサルタントには、数えきれないほどの著名な科学者や知識人が参加している。

思い付くままに「CSICOP」の代表的なメンバーを20名ほど列挙すると、アイザック・アシモフ、スーザン・ブラックモア、フランシス・クリック、リチャード・ドーキンス、ダニエル・デネット、アン・ドルーヤン、マーティン・ガードナー、トーマス・ギロビッチ、マレー・ゲルマン、スティーブン・グールド、ダグラス・ホフスタッター、レオン・レーダーマン、エリザベス・ロフタス、マーヴィン・ミンスキー、スティーブン・ピンカー、ウィラード・クワイン、ジェームズ・ランディ、カール・セーガン、バラス・スキナー、スティーヴン・ワインバーグ……、錚々たる顔ぶれが並ぶ。

カーツが1992年に上梓した代表作『新懐疑主義』(The New Skepticism)は、古代ギリシャ時代以来の懐疑主義を「虚無主義」・「中立的懐疑主義」・「修正懐疑主義」・「不信」などの系統を詳細に分類して批判し、現代社会にふさわしい新懐疑主義として「懐疑的探究」の必要性を説いている。要するに、これからの人類の至上目標は「知的探究」にあり、そのために最も有効な手段として「懐疑主義」を用いるべきだという主張である(ポール・カーツ著/高橋昌一郎訳「新懐疑主義」Journal of the Japan Skeptics: 3 (1994), 35-40参照)。

このように「方法論的懐疑」をプラグマティックに活用すべきだという立場は、すでに多くの哲学者が提起してきた歴史的経緯もあり、とくに目新しいものではない。しかし、カーツが誰よりもユニークなのは、単に「懐疑的探究」の必要性を抽象的に説いたばかりではなく、これをスローガンとして団体組織化し、社会に生じる具体的な問題解決の手段として用いた点にある。

カーツは「科学が飛躍的に発展し、地球が科学的発見や先端技術の応用によって変容しつつある現代に、反科学思想が強力に蔓延しているという状況は、実に皮相である」と述べ、「科学共同体とそれに関与する人々が、科学に対する攻撃を真摯に受け止めようとしない限り、反科学思想が勢いを増大させることは明らかである」と危機感を表明している。(ポール・カーツ著/高橋昌一郎訳「反科学思想の状況」Journal of the Japan Skeptics: 4 (1995), 3-9参照)。

2006年、30周年を迎えた機会に、「CSICOP」は、広義の立場からカーツの理念を実現できるように「CSI」(Committee for Skeptical Inquiry)と名称を変更した。「CSI」の理念に賛同する国際組織は世界各地で60を超え、「JAPAN SKEPTICS」もその一組織である。カーツは亡くなったが、彼の理念は世界中で生き続けているということができるだろう。


なおカーツは、無数の「売れる」スピリチュアル系書籍に対抗するため、自らプロメテウス出版社を設立して知識人から寄附を募り、「売れない」懐疑主義系書籍を数多く発行したことでも知られる。カーツ自身、50冊以上の啓蒙書を出版しているにもかかわらず、残念ながら日本語に訳された書籍は一冊もない。

また生涯に800を超える論文や記事を執筆しているが、こちらも私の知る限り、上述の拙訳2編しか日本語訳は存在しない。彼の理念や方法論は、日本の読者にとっても貴重な意義を持つものだと思う。どなたか訳して発表してくださる有志はいらっしゃらないだろうか。

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