光珠莉~hidamari~

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最近の記事

9.11

日本人には、 9.11より 3.11の方が 馴染があるだろう。 たまたま、どちらも 《その時》《その国》に存在していた。 けれど、 それほど近くない距離で。 それでも、20年経った今でも、 いや、いまだからこそ? 色々な思いがよぎるものなのだなぁ。 特に、近しい人を失ったわけでもないけれど、 《世の中が平和でありますように》  may peace prevail on earth. そう思わずにはいられない日。

    • 久しぶりのログイン。シンプルにするために画像削除。

      全くもって、記憶から削除されていたアカウント。 登録したことも、 記事を書いていたことも きれいさっぱり忘れていた。 ちょっと、思うところがあって、 使用を復活させてみる。 それと同時に、 今後書いていく内容が内容なので、 クリエイターさんの画像を全部削除させていただいた。 シンプルに。 文章だけに。 で、そのついでに文章を読み返すと、 『基本的なことは、なんも変わってない。。。』 と思う。 それと同時に、 『頭での理解が先で、実践していることを書いている』 ホ

      • これからの世界。

        これまでの常識は通用しなくなるだろう。 かといって、これは悲観的な見方ではなく、 これまでは、積み上げるだけ積み上げてきて、 高さだけを求めてきた。 これは、人工的なことだから出来てきたこと。 自然の流れは、こんな直線的なことは続かない。 潮の満ち引きのように、 月の満ち欠けのように、 陰と陽が交互にくるもの。 火山が噴火し、山が隆起し、 形を変える。 高くなりすぎたものは、 バランスを崩したときは、崩れる。 自然とは、なるべくしてなっている形。 人間の恣意が通用しない

        • 大事なことは、引き算。どこまでシンプルになれるか?

          世の中、『この資格で稼げる!』とか、 色んなものを身に着けさせる方向でビジネスが盛り上がってるけど、 究極、大事なものは 『どれだけシンプルな自分でいれるか?』。 みな、やりたいことをするために、 この世に来てる。 すでに、必要なものは全部持って生まれてきている。 自分の感覚を磨く。 どれだけ、シンプルな自分でいれるか? 成長の過程で身に着けたものを、 削ぎ落として 『本来の自分』に戻る。 それが全ての鍵。

          自分の気持ちを大切にするということ

          それは、 《自分の意見を他人に押し付ける》こととは異なる。 極論、 『あぁ、自分はこういう考えを持ってるのだなぁ』 と、自覚してあげることで十分だったりする。 人にする前に、まず自分。 自分が自分の良き理解者になってあげる。 自分で分かってないのに、 人に『理解してよ』 というのは、順番が逆。 例え、その状態で、人に理解してもらえたとしても、 『本当に自分のことを理解してもらえてるのか?』 は、分からない。 究極、自分で自分を理解していれば、 人に

          自分の気持ちを大切にするということ

          いざ、という時のための日頃の心がけ

          防災用品は、日頃から試し使いしているものを。 いざという時にしか使わないと、 使い方がわからなかったり、 電池切れてたり、支障があることが多い。 あと、ロウソクとか使ったことない人が、 非常時に使うのは、余計に危ない。。。 二次災害予防のためにも、 普段から便利さに慣れ過ぎずに、 適度に原始的なことしておくこと。 アウトドア用品って、防災用品としても使える。ω、 昔は、たまーに停電とか起きてたから、 どの家庭にも、懐中電灯とか、あったよね? (。。。年齢がバレル。ω、

          いざ、という時のための日頃の心がけ

          生きづらさの原因。本来の自分とかけ離れていることを教えてくれてるだけ。

          小麦粉は、小麦粉の範囲で頑張る。 イチゴが、食パンになろうとするのは、無理がありすぎる。 でも、イチゴジャムになって、食パンの上を陣取る方法はある。 そのままの、イチゴで勝負するもよし、 加工されてコンポートになってみるもよし。。。 小麦粉は、パンにもなれるし、 ハンバーグのツナギにもなれるし、 クレープにもなれる。 けど、イチゴのような華やかさはない。 が、器用さはある。 適材適所。 己を知り、己のままでいる。 それが自分も周囲も心地よくさせる。 あまり擬態をし続

          生きづらさの原因。本来の自分とかけ離れていることを教えてくれてるだけ。

          『良い気分でいる』ということの本当の意味 -エイブラハムー

          『良い気分でいる』ということは、 何も、自分の偏見に満ちた思い込みの《ポジ・ネガ》の ポジの状態でいることではなく、 ただ単に、感じたままの状態を味わうこと。 感情は、感じ切ってしまえば、消えていく。 変にジャッジメントをして 『これは、ネガだから良くない』と 感じないようにすることでも、 避けて通ることでもなく、 全ての感情を、《体験》してみる。 一つの出来事は、何か一つのもので出来ているわけでなく、 色んなものの複合体だ。 それを二極論で分けてしまうと、 『敢えてどち

          『良い気分でいる』ということの本当の意味 -エイブラハムー

          嫌な現実を変える方法。

          現実(現象)は、 自分の心の内を現している。 だから、外の世界が嫌なら、 内を変えればいい。 過去の自分(思考)が生み出したものが、 物質化のタイムラグを受け現象化してるだけだから。 外の世界は、過去の内の世界の答え合わせの場。 ただそれだけのこと。 もし、それに不満があるなら、変えればいい。 現実を変えようとするのではなく、 自分自身を。 そのためにはまず、 内を見る。 見たいモノは、何か? 体験したいものは、何か? にフォーカスする。 そして、それが具現化す

          嫌な現実を変える方法。

          キャッシュレスと電気と信用と

          キャッシュレスは、 視えない何か、に支えられている。 科学的(電気)なものか? 信用的(人間関係)なものか? 現状、電気ありきで進められているキャッシュレス。 もし、その電気が供給できない事態が発生したら? 物質的(キャッシュ)なものか 共同体意識的(クレジット)なものか が不可欠ということを痛感する事態となるだろう。 災害にあって、わかることもある。 わかっていたら、遭わないで済むこともある。 わかっていたら、遭遇しても対処ができることもある。 すべて、必要

          キャッシュレスと電気と信用と

          生まれてくるときに、必要なものは全て持ってきている

          登山をしようとするとき、 何も持たずに、山に入るだろうか? 人は、生まれてくるときに、 『この世に何をしにくるか?』 を決めてきているという。 そのために、計画を練ってきている。 そのために、必要なものは持ってきている。 ということは、 持ってないもの、 計画にないものは、不要なもの。 人のことばかりが目に入ると、 『あの人は持っているあれを持ってない』 という思考に陥ってしまう。 自分に集中すると 『自分は必要なもの全て持っている』 という感覚に変わる。 純粋に

          生まれてくるときに、必要なものは全て持ってきている

          不足を感じる時は、自分ではない何者かになろうとしている時

          そもそも、人は(自分であるために必要なもの)全てを 持って生まれてきている。 そういう視点から見ると、 『不足を感じる時』というのは、 『自分ではない何者か』になろうとしている時。 今一度、『自分自身』に立ち返ると、 不足感というのは、消滅してしまうのだと思う。 『自信』というのは、 『自分自身(等身大の自分)』であること。 『自分が自分でいるために』必要なものは、 全て持っている。 『自分が自分であるために』必要なものは、 『自分』というものだけである。 この世

          不足を感じる時は、自分ではない何者かになろうとしている時

          ニュースがネガティブ情報で埋め尽くされる理由。

          ただ単純に目立つからだ。 目立つというのは、数が少ないか? 内容が濃いか?だったりする。 真っ白のシャツに、トマトソース飛ばすと そこに目がいくようなもん。 つまり、ネガティブなニュースを報じてられる内は、 身の回りは、結構ポジティブかニュートラルということ。 逆に、身の回りがネガティブで埋め尽くされると、 ニュートラルかポジティブなものを探して流そうとする。 真っ暗闇の中で、光を探そうとする感じだ。 そして、過渡期には、これまで報じられてきたものの数が増す。 一定

          ニュースがネガティブ情報で埋め尽くされる理由。

          災害時のボランティア

          近くに居るなら、労力を提供すればいい。 そこそこ離れたところに居るなら、情報を提供すればいい。 遠く離れているなら、金銭を提供すればいい。 その前に、日頃からコミュニケーションを 色んな人と図っていることが大事。 見ず知らずの人まで助けようって、 ある種、自己肯定感が低い人の証拠。 まずは、身近な人から。 いざという時のために、 物質的・思考的・金銭的余裕を持つように努めること。 自分が助けられる側に回らずに済む方法を構築しておくこと。 そういうのって、案外大事。

          災害時のボランティア

          頭で理解しているだけのことは、いざという時に役に立たない。

          いざという時、頭ってさほど使えない。 とっさで動くのは、身体。 ハラ落ちしてないこと、 腑に落ちてないこと、 体感できてないこと、 それらは、物の見事に選択肢から抜け落ちる。 情報だけ仕入れて、口では大層なことを言っていても、 いざ、自分がその立場になったときには、 平時に『なんでそれを選ぶの?』と疑問に思ってた相手と 全く同じ行動をする。 本当に役に立つものは、 実感を伴っているものだけ。 やったことないことを、緊急時に使う根性がある人は、別だけど。 そんな人、どん

          頭で理解しているだけのことは、いざという時に役に立たない。

          右肩上がりの成長幻想に惑わされ、メンテを怠ったツケ

          想定外っていうけれど、 自然の法則からしたら、そんなの《想定内》。 江戸時代とかの、自然とともに生きてた人間なら 肌で理解していたこと。 全てが満ち引きやサイクルで動いているのに、 オバカな戦後の《経済成長》をけん引した 《右肩上がりの成長幻想》を見続けている人類が引き起こす 人災。 人工物もそうだけど、 その人工物を支えている自然をないがしろにして 搾取し続けた結果が、現在の《想定外》の災害 を引き起こしてるって、 いつになったら気づくのだろうか? 気付いた時、 どん

          右肩上がりの成長幻想に惑わされ、メンテを怠ったツケ