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ユタのメイコちゃん(4078字)

 幽霊とは人間の可視光線範囲外で確認できる、あるいは生息している暫定・・の生き物である。生物たちは死を迎えると可視光線の範囲外に生前と同じ姿で現れる。それがどれくらいの期間そういう状態なのか、生きてる時とどう違うのかなどは何もわかっていない。観測しようにも、それらはただ空間を回遊魚のように浮遊しているだけで静止しなければセンサーにも映らない。捕獲しようにも物質的接触はできない。そもそも、幽霊が生物なのかどうかは研究者たちの間で議論の真っ最中で、今のところ暫定生物という便利な言葉で落ち着いている。とにかく、広義の意味で幽霊の存在は確認された。
 私はユタであり子どもの頃から視えていた・・・・・から、何がすごいことなのか最初はわからなかった。ユタは古くから知られている在野の霊媒師のことで、依頼者と亡くなった人との間に入り会話を取り次ぐ通訳のような役割を担っている。その能力は突然変異的なものだと思われているようだが、実際は遺伝性の傾向が強い。私の母や祖母、曾祖母もみんなユタだった。幼い頃から法事やお盆の季節になると、私も祖母と一緒に近所の家を訪問した。当時は各家庭で出されるご馳走が食べられてラッキーくらいの認識で、幽霊と人間の違いも正直わかっていなかった。
 十五歳の誕生日に私は正式にユタとなった。とはいっても何か資格があるわけではなく、ただ交霊に関する基本的な作法を祖母や母から習っただけだ。交霊するには、まず幽霊に静止してもらうことが絶対条件になる。動くと幽霊の姿がぶれて薄くなってしまい、視えなくなるからだ。そして、もう一つは基本的な読唇術。これで交霊はできる。幽霊は声を発することができないから静止した状態で話をしてもらい、その唇の動きで意思を読み取る。交霊中は集中して幽霊の唇を視続けているため、とにかく目が疲れる。だからなのか私の家系はみんな分厚いレンズの眼鏡をしていて、昔近所の男子に馬鹿にされたことがあった。それが嫌で高校生の時にはコンタクトレンズにしたこともあったけど、結局合わずに止めた。
 つまり、ユタといってもそれだけ。可視光線の範囲外にある世界を認識できる網膜を遺伝的に持っているというだけで、他に特別な能力はない。

    *

「極度の眼精疲労ですね。お仕事はパソコン関連?」
 私の瞼をぐっと開き、まぶしい光を当てた後に医師はそうたずねた。
「いや……ユタです」
「ああ、なるほど。それは疲れますね。これからの時期なんか特に大変だ。私の実家も昔から地元のユタには、よくお世話になってますよ」
 目のアレルギーをやわらげる作用や角膜保護、乾燥を防ぐものなど数種類の点眼薬を処方してもらい病院を出た。梅雨が明け、もう真夏の空が広がっていた。この後は新城さん家でおじいちゃんの十三回忌があり、交霊をすることになっている。新城さんは亡くなった祖母の同級生で、昔から法事にはよく呼ばれていた。私のユタデビューも新城さんのところだった。

「あら、梅子ちゃん。入って入って。外は暑いでしょ。冷たい飲み物もあるよ」
 新城さん家のおばあちゃんからもらった麦茶を飲みながら、紙に書いてもらった質問内容を確認する。それから目薬をさして交霊の準備に入る。ユタのなかには、それっぽい格好や数珠を使う人もいるらしいが、私は普段着のままでやっている。仏壇の前に座り、じっと眺める。交霊はファーストコンタクトが大事だと思う。そこできっちり幽霊と目を合わせて、こっちの意思を伝える。

 ――う、ご、か、な、い、で。
 口を大きくゆっくりと動かして、新城さんのおじいちゃんに静止するよう伝える。幽霊たちは記憶や意思も曖昧なようで、生前と死後で言動が変わることもよくある。だから、子どもみたいにいうことをきかない場合も多い。今日もそうだった。
 そういう場合は睨む。なぜか睨みは効果てきめんで、私はこれを勝手に”金縛り”と呼んでいる。おじいちゃんを金縛りで静止させ、ある程度はっきり視えるようになると読唇術による会話をはじめる。おばあちゃんからもらった質問を一つずつたずねていき、その答えをメモしていく。交霊とはコミュニケーションだ。依頼者と幽霊、両方の意図を汲み取らなければならない。
 だから私の見立てでは、ペットの幽霊と話せるとか、霊の声が聞こえるとかいう奴は偽者だと思っている。動物霊はまずじっとしてくれないし、幽霊は何にも触れられないんだから、当然空気の振動など起こさない。

 交霊を終えると、おばあちゃんが用意してくれたケーキを食べながら、おじいちゃんの言葉を伝える。おばあちゃんはその返信に笑ったり、時折ムッとしながらもどこか安心しているようだった。そして、その後はいつものおしゃべりタイムだ。一人暮らしの新城さんはやっぱり寂しいんだと思う。話題がふと、幽霊の研究についてになった。最近はテレビでも連日特集が組まれている。
「梅子ちゃん引っ張りだこで忙しいんでしょ? お母さんからも聞いたよ」
「そうですね……」
 幽霊の存在が確認されてから、ユタ稼業は忙しくなった。まず客層が変わった。スピリチュアルを信じる人々やオカルト番組からの依頼は不思議と減り、大学や企業からの研究協力の依頼が増えた。まさかユタ一本で生活ができるとは正直思っていなかった。
 それは嬉しいことでもあったが、仕事には思うところもある。母は忙しいのが嫌で昔からの付き合いの依頼しかやらなくなった。新城さん家のおばあさんもどこか残念そうだった。
「何でもわかってきたり、みえたりするのも大変ねぇ」

    *

 アパートに帰ると、部屋の角に野良猫が座っていた。
「えっ、なんで?」
 窓を開けて出たのかとも思ったが、ベランダには鍵がかかっていた。猫は動かずじっとこっちをみている。アパートはペット禁止だし、とりあえず外に出そうと猫をつかもうとした。
 感触がない。もう一度試す。やはり猫に触れることはできなかった。
「うそ……動物霊じゃん!」
 どうにか出ていってもらおうと、音を立てたり息を吹きかけたりするが全く効果はなかった。猫はすみっこで丸まり、寝転んでいた。そして時折目を開けてこっちをみる。
「もういいや」
 幽霊の猫だし、エサもいらなければ鳴きもしない。ただ部屋にいるだけ。別に害はない。その内、飽きてどこかにいくだろう。私はシャワーを浴びることにした。だが風呂から上がっても猫はいて、私は日課のストレッチとホットアイマスクで目のケアをしてから眠りについた。

 その後も猫は部屋に居座り続けた。次第に私も気にならなくなり、いつの間にか猫は生活の一部になった。あるとき買い物に出ると、生活雑貨店に猫が眠る用のクッションを売っていた。眠れないのはわかっているが私はそれを手に取った。
「まぁ、いいや。自分でも使えるんだし」
 部屋に帰って角に置いてみたが、当然クッションは猫の体をすり抜ける。
「お前のために買ったんだぞ」
 相変わらず猫は無反応だった。

 ベランダに出て煙草を吸っていると、珍しく猫が耳を立てて私の方をみていた。煙草を持ったまま部屋に戻ると猫は煙を目で追った。大きくて真っ黒な目だ。煙草を近づけると、猫は前脚を動かし煙に触れようと立ち上がった。
 その姿に思わず笑ってしまった。だが、猫がじゃれようとすればするほど、その姿は薄くなっていく。私は慌てて煙草の火を消した。しばらくすると、猫はつまらなそうに寝転がった。

 数日後、アパートに帰ってくると部屋の角に猫はいなかった。目を凝らして探してみたけど、どこにもいない。もしかしたら部屋のなかを駆けまわっているだけかもしれない。
「明日にはいるでしょ」
 その晩、私は部屋の角に立てかけてあったクッションを抱いて眠った。だが、それっきり猫の姿を視ることはなかった。

「幽霊って観測できるようになるんですか?」
 光学機器を扱う各企業では、浮遊中の幽霊を観測するためのスコープの開発をおこなっている。私は思い切って依頼先の研究者に聞いてみた。
「いや……まだ先じゃないですかね。そこまでの技術は」
「そうですか」
 少し期待していた自分がいた。いなくなる前に猫に何か伝えておけばよかったと思うが、何を伝えたかったのかはわからなかった。

    *

 お盆の季節は忙しく、働きっぱなしだった。普段ならそんなのは嫌だが、今はその忙しさに助けられている気がした。仕事帰りに晩ご飯を買うためにスーパーへ入った。目頭を指でマッサージしながら惣菜コーナーに向かうと声をかけられた。新城さんだった。
「梅子ちゃん。もう、若いのに目おさえて。忙しそうね」
「そうなんですよ……そういえば、お盆はいいんですか?」
「この前、十三回忌で来てもらったばっかりだからねぇ。忙しいし悪いわよ。あの人もそんなにしょっちゅう話すことないだろうし」
「遠慮しなくていいのに。今から行きましょうか?」
「あら、疲れてないの?」
「全然いいですよ」
「じゃあ、お願いしようかな。せっかくならごはん食べてく?」

「美味しい!」
「でしょ。自分で漬けたの」
 新城さんの漬けたミョウガは冷やし中華にぴったりだった。錦糸卵と千切りキュウリと一緒に食べれば、それだけで酒のつまみになる。ビールにもよく合う味だった。
「新城さんはいつも楽しいことしかおじいちゃんに話しませんよね」
「そうねぇ。誰だって大変なことは抱えているけど、そんなの亡くなった人に話したってしょうがないでしょ。なんか結局、楽しかったことしか伝えたくないのよね」
 私は猫とのことを考えた。楽しかったことを思い返す。
「すいません、お線香もらっていいですか?」
 縁側に出て線香に火を点ける。もっと猫と遊べばよかった。そうすれば、あいつも楽しかったはずだ。線香を猫じゃらしのようにぶんぶんと振り回す。短くなると、また新しいのに火を点ける。新城さんが不思議そうな顔でこっちをみていた。私は猫がこの煙でたくさん遊んでくれることを願う。線香の煙が夏の夜空を昇っていき、やがて消えた。【了】

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