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勿忘熊(3746字)

 エネルギー資源探査のために衛星UM93を訪れた調査隊は、島の頂上を目指し丘を登っていた。白濁の海と恒常化したもやに覆われたこの星にどれだけの陸地が存在しているのか正確にはわかっていない。現時点で判明しているのは不定期に発生する津波が陸地を浸食し、群島化が進んでいるということだった。丘の中腹あたりに白い澱みが点在している。余程大きな波が来た証拠だろうと調査隊の隊長を務める男は思った。
「隊長。ここの海中には浮遊物質があり、バーミキュライトやカオリンなどの粘土鉱物が主なようです。これらが白濁化の原因ですね。地層や底泥表層の成分と一致しているのでUM93そのものの土壌が粘土なのだと思われます」
 帯同する研究員の報告を聞きながら、男は脇に広がる森に目を向けた。けもの道のようなものが続いていた。
「そこはルートではないのですが……」
「いや。この道でいい。それで実際使えそうな粘土なのか?」
「成分分析にかけると無機成分がほとんどを占めていて、白濁物質は五マイクロメートル程度の凝集体フロックによって構成されているようです。かなり強固な粘着性です」
 調査隊が森を抜けると、頂上付近に出た。
「すごい! あっという間に近づきましたね。前にも訪れたことがあるんですか?」
 男は視線をそらすと丘の頂きの方を向いた。
「ところで粘土鉱物がエネルギー源になるという話は本当なのか?」
「ええっと、そうですね。可能性はあります。人類はこれまでも粘土を色々なことに利用してきましたから。ここの粘土鉱物の表層にはマイナスの電荷が並んでいて、その制御いかんによってはエネルギー問題の解決に一役買うかと。通常はケイ酸塩のナノシートが積層しているのですが、水中では膨らんで構造体を分散させることができます。この性質を使えばプラスの電荷を規則的に配列させられるかもしれません」
「つまり?」
「粘土鉱物を用いて色素配列や積層をコントロールできれば色調を変えられる。本来、発光しないものを自ら光らせることが可能になる。そうすれば熱エネルギーが生成できます」
「粘土鉱物を塗れば、何でもエネルギー源に変えることができるわけだ」
「あくまで一つの可能性です。光の補集率がどの程度かにもよりますし。ここの海の場合、白濁程度が低いエリアでは原生藻類と十マイクロメートル程度の同凝集体による環境構成が行われているようです。これをそのまま応用できるかと言われれば、個人的には正直微妙なのですが……」
 後ろを歩いていた隊員の一人が声をあげた。
「おい! あれはなんだ?」
 靄のせいではっきりとはみえなかったが、対岸の崖に数十センチメートル程度の突起物がいくつもあるのを調査隊は発見した。それらは一定の間隔で規則的に配置され、自然にできたにしては違和感があった。調査隊が対岸に渡り確認してみると、突起物は粘土を固めた人形のようなものであることがわかった。それらは互いに白と茶の混じった糸でつながれている。二体の首をつないだ真ん中あたりに結び目があり、そこからさらに糸が放射状に伸び、その先で別の人形たちと結ばれている。それらが大小いくつもの群を形成していた。さらに崖の先端まで進んでいくと大きな一枚岩があった。男は岩の前に接地された粘土人形を丁寧にレーザーで剝がした。
「恐らくこれがはじまりだ。ここから枝葉のように糸が繋がっている。それに向こうの人形と比べ、これは形状も荒い」
「確かに、そういう風にみていけばどんどん上手くなっている。何かの風習ですかね?」
「そうかもしれないな。人形は魂を持つというからな」
 風が強くなり靄が晴れると、隊員の一人が悲鳴をあげた。崖の先端にあったのは岩ではなかった。風化した熊のような生命体の死骸。それが人形たちを守るように着座している。隊員たちは言葉を失い、しばらくの間それを眺めていた。
 男は掌で優しく巨体をさすった。そして柔らかい体毛の感触を確かめ終えると、力強い声を発した。
「さぁ、戻るぞ!」
「この生き物は調査しなくていいんですか?」
「我々の仕事ではない。残念ながらエネルギーにはなり得ないだろう」
 男は手に持っていた人形をそっとポケットにしまった。調査隊は粘土鉱物のサンプルをいくつか採取し島を離れた。白濁の海から吹き荒れる風で、人形たちをつなぐ糸が手を振るようになびく。

    ***

 曇天から差し込むわずかな光に目を覚ますと、コムンナは日課となっている浜辺への散歩に向かった。何度も歩いているため、いつからか森の茂みには道ができていた。彼女の元から夫と息子が消えて数か月が経つ。遠くにみえる白波はここ何日間かで強くなってきている。何年かおきに島に到来する巨大な嵐の予兆だった。彼女が夫である男と初めて接触したのは、宇宙艇の故障で島に不時着した男が森を探索していたときだった。冬支度のために木の実を探していたコムンナを発見すると、男は武器を構えた。両者は互いに視線をそらさなかった。コムンナは舐めまわすような視線で男を見つめながらその周囲を歩き、ゆっくりと森の奥へと立ち去った。次に彼女が男と接触したのは棲み処の洞穴がある丘でだった。森を抜けた男はそこで自分そっくり・・・・・・の女と出会った。二人はともに生活するようになり、翌年、男児が生まれた。それから一年後、衛星軌道上をさまよっていた宇宙艇からの救難信号を通りがかった貨物艇が偶然受信した。
 浜に着いたコムンナは砂に埋まっている球状の機械を見つけた。しばらくしてそれが男が乗ってきた宇宙艇であることを思い出した。擬態ミミクリ化していた頃の記憶は元の姿に戻ると徐々に失われていく。だが擬態化は著しく体力を消費するため、コムンナは本来の四つ足姿で過ごしていた。宇宙艇のなかには男と息子の匂いがまだ残っている。二人は去ったのではなく、何かしらの理由でいなくなっているだけだ。彼女はそう信じて家族の帰りを待っている。機体の外に出ると波が前足にかかった。濡れた体毛の感触は三人で浜辺に来ていた頃を思い起こさせた。彼女の息子は海辺が好きで、どんなにぐずっても波音を聞くと泣き止んだ。あるとき、男と息子が波打ち際から何かを持ってきたことがあった。一つは男が砂を固めてつくった人形、残り二つは息子が掌で圧縮しただけの砂塊だった。これは家族だと男は言った。男の故郷では精巧に模られた人形は魂を持つという言伝があった。コムンナが触れると砂塊がほろほろと崩れた。それをみていた息子が泣くと男は大声で笑った。それから男は海に潜り、水の底から採ってきた粘土で砂塊を補強した。息子は満足そうに笑い、それを彼女に手渡した。コムンナにとって最も幸福な記憶だった。彼女はもう一度宇宙艇に入り、幸せを嗅いだ。二人の香りは機体の隙間から日に日に漏れ、宙に向かって消えていく。コムンナは大きく息を吸い自らを奮い立たせると洞穴へ戻った。
 数日の間に天候は崩れ、昼夜を問わず続く暴風が木々との攻防を繰り広げるようになった。彼女は嵐が過ぎ去るのを洞穴でじっと待った。突然、水が弾けるような音が外で響く。高波が丘にぶつかる音だった。嵐はすべてを均していく。彼女の不安は大きくなっていった。風が少し弱まった朝方、コムンナは急いで浜へ向かった。荒れた波によって宇宙艇は解体され、部品の一部は白濁の海に飲まれている。二人の匂いはほとんど無くなっていた。吹き返しの風がわずかな残り香さえも持ち去ろうとする。彼女は砂をかき集め、記憶が残るうちに二人の人形をつくろうと試みた。思い出が砂のように崩れるのなら固めてしまえばいい。だが上手くいかなかった。男と比べると指の数も足りず手の形も違いすぎた。正しく擬態化するには対象の全身を眼で再びモデリングする必要があった。だが男はいない。彼女は所々ほころんだ古い記憶を丁寧にたどり、時間をかけて人間のような・・・・・・姿になった。そして、いびつな砂人形を二体こしらえ洞穴に持ち帰った。その晩コムンナは二人を想いながら瞼を閉じた。すべてを忘れてしまう前にあのときのように息子に笑ってほしかった。砂人形を前足で優しく包む。穏やかな眠りに彼女はついた。翌日、彼女が目を覚ますと水分の蒸発した男と息子の形は崩れていた。洞穴に吹き込む朝の風が、砂に戻った二人をさらっていく。
 精巧な人形には魂が宿る。コムンナは男の故郷の言伝を信じ続けている。白濁の海に潜った彼女は水の底から粘土を運んだ。何度も潜り、何度も丘を登った。それから擬態化し人形をつくる。彼女の体力は削られ、命は人形に注ぎ込まれた。はじめに完成した一体は不格好なものだったが、紛れもなく彼女にとっての夫だった。それを山頂の崖に植え付ける。たとえ嵐が来ても、ここまでは白波も来ない。次に息子をつくると両腕でしっかりと抱いた。コムンナが擬態化できるのは、もう腕だけになっていた。彼女はそれからも粘土をこね続け、人形をつくった。ある朝、靄がかった丘陵の先に彼女は遂に男の姿をみた。その先には息子やその子どもたち。あるかもしれない未来たちが島の頂きに芽吹いていた。そうやって彼女は家族と再会した。【了】

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