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地元宗像市に戻り、ツリーハウスづくりを通して仲間を集めた 谷口竜平×糀屋総一朗対談1

ローカルツーリズム株式会社代表取締役の糀屋総一朗と、地域で活躍する方の対談。今回は、福岡県宗像市にオフィスを構えデザイナーとして働くかたわら、地域のコミュニティづくりなどにも関わっている谷口竜平さんです。初回は谷口さんと糀屋さんの出会いと福岡での場づくり、故郷の宗像に戻って活動することになった経緯などについてです。

コミュニケーションデザインを身につけて

ーー谷口さんはデザイナーでありながら、多方面で地域に関わっていらっしゃいますよね。元々は、どんな経緯で?

谷口:24歳で社会に出て、福岡の広告系の制作会社にデザイナーとして3年ほど勤めていました。その後に移った会社は広告制作に加えて、空間設計とか都市計画とか、プロデュースコンサルまで含めた、トータルのクリエイティブ会社みたいな感じだったんです。20年近く前の「リノベーションって何すか?」みたいな時代にすでにリノベーションをやっていた先進的なところで……着眼点とかクリエイティブに関してはそこで学んだことが大きいですね。自分自身は空間設計とかの資格は持ってなかったんですけど、建築士とコラボして空間作りを一緒にやらせてもらったりしていました。

ーーできることの幅が広がったということですね。

谷口:そう思います。それからその会社で働くのと並行して、福岡テンジン大学という生涯学習のNPOにも参加するようになったんです。授業やワークショップを開催していたんですが、そこでは誰しもが先生、生徒になれるというコンセプトでした。10代の高校生から60歳以上の方までさまざまな方たちがいましたね。ひと月に3〜4コマ、年間では50コマぐらいの授業があって、僕はそこで先生役の人が提出してきた授業の企画のチェックをしていました。

糀屋:かなりの場数になりますね。

谷口:僕自身が企画を考えるんじゃなくて、一般の人が考えたものをどうすればうまくできるか? を考えなきゃいけない。「これ作りたいんですよ」って持ち込まれてくる企画も「そのままだと絶対人来ないよ」みたいなことは多々あるんですよ。それをうまくチューニングするっていうのが僕の役目でした。「もっとこう言った方が伝わると思いますよ」「こうした方がいいですよ」みたいな……コミュニケーションデザインっていうんですかね……それを延々と5年間ぐらいやっていました。授業の数のトータルでは250ぐらい体験しました。

糀屋:考えただけでも大変そうです。

「福岡のブルックリンに」F GARAGEのスタート

谷口:そんなことやりながら独立したときに、共通の知人を介して糀屋さんと出会ったんですよね。僕が、だいぶ暇だった時期ですね。

糀屋:そうそう。僕がちょうど福岡の不動産を探していて、写真だけ見て清川という場所の古い物件を「借ります!」って言ったころですね。

谷口:まだ現地を見てはいなかったのに……。

糀屋:写真だけで素敵だと思ったんですよ(笑)。清川という元は赤線地帯で、福岡でも結構ディープな場所なんですけど、そこの細い路地の奥というマニアックな場所の、さらにマニアな物件でした。元々、一泊1000円とか1500円とかの山谷とかにある感じの木賃宿だったところでした。

使われていなかった建物をリノベーションした

谷口:僕ら界隈の中じゃ、写真しか見てないのに借りるなんて絶対ありえないって言ってました(笑)。「この人、やべえな!」って思いましたよ。話していても飄々としていて、なんか不思議な人だなと思ってましたね。それでリノベーションするにあたって、全体のブランディングみたいなものを立ち上げ、スタート部分をまずやらせてもらったんです。

糀屋:いろいろと手を入れて、『F GARAGE』っていうシェアオフィス的なものにしたんです。

谷口:その頃ちょうどニューヨークのブルックリン地区で、アーティストやクリエイターたちが自分たちで空間を作って、そこから作品を発信していくみたいなことが主流になってきていた時期でした。清川というちょっとディープな場所も、考えようによってはブルックリンみたいな雰囲気もあるし、エリア全体がそうなったら面白いなと思いましたね。この建物からそういう流れが始まったらワクワクするなと……そんな感じのコンセプトでスタートさせてもらったんです。最初のイベントやった時、めちゃめちゃ人が来たんですよね。300人ぐらい来たかも(笑)。

感度の高いクリエイターなどが次々と入居

谷口:『F GARAGE』は2階建てなんですが、入居希望者が次々やってきて2階はすぐ埋まりましたよね。一番初めはクリエイティブな不動産屋さんみたいなところが入って、あとは映像制作されてるクリエイターさんとか、何か物を作ったりしつつ、本とか売ったりする作家さん。物作り系の人が多かった。1階はもう全部ワンフロアで、カフェみたいな飲食店に入ってもらいたいよねって話していたんで、ちょっと間が空きましたけど雰囲気の良いお店が入ってくれて……。それですぐに空きがなくなったんです。

中途半端なスペースがあったので僕も一室借りさせてもらって、半分管理人みたいな感じでいました。それからもフラーっと来た人から「ここ借りれないんですか?」みたいなことをよく言われるようになって、界隈では「ちょっと、あそこ面白いな」って評判になっていたと思います。

糀屋:福岡にはあんまりなかった建物でしたよね。

谷口:けっこう、東京から視察に来られてる方もいらっしゃいましたね。

糀屋:それが谷口さんと僕の初めての仕事ですね。

谷口:今、清川はどんどんホテルが建ったりして、すっかり開発されてます。タイミング的に着眼点はズレてなかったなって。

糀屋:F GARAGEは売ってしまったので今はもう僕はオーナーではないんですけど、変わらず満室稼働してるみたいです。

地元のツリーハウスづくりで仲間づくり

ーーF GARAGEを作った頃には、会社を出て独立されていたのですか?

谷口:はい、僕は、両親を小さい頃に亡くしてて、宗像市で祖父母に育てられたんですけど、その祖父母もいよいよ老い先が危うい時期になっていました。じいちゃんの方は施設に入ってましたし……。仕事をしていたら何かあったときにすぐに駆けつけられないと思って、身動きが取りやすいように、というのが独立した一番の理由です。

それでばあちゃんが先に亡くなって……実家は半年ぐらい誰も住んでない状態だったんです。半年とはいえ若干傷んできてる感じがあってちょっとやばいなと。仏壇があるからたまに親戚が集まるし、壊してしまうのはもったいない。とはいえ仕事は福岡なので宗像で暮らすには不安がある。それで実家をシェアハウスにしようと思ったんです。

共有スペースと4つぐらい部屋が作れたので他の人に住んでもらいながら、日々掃除とかをやってもらったら、家が維持できるんじゃないかなと。そのうち宗像の仕事も増えてきたんで、倉庫をリノベーションして事務所にしました。それで独立して地元からいろんなことをやっていこうってことになったんです。

倉庫をリノベーションした事務所。この森の先に谷口さんの土地がある

糀屋:それと山ですね。

谷口:僕、長男なので1万坪ぐらいの山を相続したんです。一応クリエイターの端くれでもあるし、当時まだ30代半ばぐらいだったんで地元で何かやっていく以上「これはどうにかせないかん!」と。相続した土地を売ってそこをすぐにソーラーパネルとかにしちゃったら、クリエイターとして駄目だなと思って(笑)。

糀屋:確かに(笑)。

谷口:それで腰を据えてやろうと思ったのも、地元で開業した理由のひとつですね。シェアハウスを始めるにしても何かきっかけがないと見向きもされないだろうと思って、山にツリーハウスを作ることにしたんです。純粋に「作ってみたかった」っていう気持ち半分。建築にも興味あったし、DIYも好きだったし、夢もあるじゃないですか!

それから、宗像に戻って来た時に、友達のほとんどが市外にもう出てっちゃって地元にいなくなっちゃってたということも半分。これをきっかけに地元の人との繋がりを作っていきたいなということあったんですよ。それで仲間を募ってみんなで1年かけて作るっていう「僕らのツリーハウスプロジェクト」を始めたんです。

木材を集めるところから本格的に始めた

毎月、土日に集まって、みんなで少しずつ作っていこうってことで、本当に1年かけて作り上げました。地元の材木屋さんにお願いして木材を用意してもらったり、地元の木こりさんと繋がって手伝ってもらったりとか。毎月わざわざ長崎から泊りがけで来てくれる人が出てきたりとか、元プロのラガーマンの建築士なんて方もいました。今も宗像でいろんな繋がりを作らせてもらったんですけど、そのきっかけがツリーハウスなんですよ。

糀屋:仲間って大事ですよね。

谷口:うん、すごい大事。宗像の市役所の人も「何か宗像の山奥でツリーハウスを作ってる奴がいるらしい」って聞きつけてお声がけしてくれたり、ラジオに出させてもらったり。当時繋がった人たちとは今もいろいろな仕事を一緒にさせてもらっています。

ーーツリーハウスってロマンありますね。

谷口:とにかく作っている最中がめちゃめちゃ楽しかったですね。でも、出来上がったら熱冷めるっていう(笑)。作ってる最中、目標にみんなで向かっていくっていう、このプロセスが一番楽しいんだなって実感しました。ウッドデッキができた時点で、上物あるんすけど、家がなくてもいやもうこれ完成したよねって。これ出来上がりでよくない? みたいな感じでしたね(笑)

ウッドデッキが完成した時点で達成感が……

糀屋:僕も遊びに行かせてもらって……その時に門司でゲストハウスをやっている菊池勇太くんと谷口くんと3人でいろいろ語ってたんですよ。「大島をこうしたい!」みたいな話を。

谷口:そうそう。

糀屋:そこで菊池くんからペットフードを作っている「犬の一日」さんっていう会社を紹介してもらったんですよね。大島で猪のペットフードを販売するきっかけになったのも、そのツリーハウスでしたね。

ーーツリーハウスは、直接的な収入源にはならなかったんですか?

谷口:そのころ、Airbnbが流行ってたんで、ちゃんと部屋にしてソファーベッドみたいなのを置いて泊まれようにしても面白いかな? と思ってたんですけど……出来上がっちゃったら燃え尽きたというか(笑)。それにツリーハウスだけじゃなく空間全体を綺麗に管理しておかないと上手くいかないなという判断もあったし……最終的にはマンパワーが足りずに1年で一旦終了させました。

完成したが、維持にはまた費用がかかるため断念した

でも僕の中では結構回収できたなって思ってたんですよ。ツリーハウスがきっかけで仕事に繋がったこともあったし、僕自身のプロモーション、ブランディングにもなってた。「だったらこれもできそうですよね」みたいな。

糀屋:ああ、それはありますね。

谷口:マネタイズしようと思ったらもっと投資しないとちょっとこれ無理だなと思って(笑)。それを考えたら途方もなさすぎて「一旦置いとこ」ってなりました。

構成・齋藤貴義 写真提供・谷口竜平

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