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書くこと

noteをはじめて、ひと月が経ちました、とメダルをいただきました。

ことあるごとにバッジやメダルを進呈してくれるあの機能、最初は子供騙しのようで、馬鹿にされているのかしらと、お知らせがポップアップするたびにうすーく眉間に皺を寄せて消していたのだけど、あらま意外と背中を押してくれるものですね。飽き性な私がめげずにポツポツ書くことをひと月続けられたのは、あの機能も手伝っているようです。

私が最初の文章を書き始めたのは小学校5年生の時だったと思います。塾通いのおかげで国語力が伸び、文章題から興味が延長して少し背伸びした本を読みはじめたのもこの頃です。漢字を暗記することはまるっきり苦手でしたが、漢字の奥深さに触れて使ってみたい欲をウズウズと増長させていました。それに輪をかけるように私は、その当時「恋に落ちたと」いっても過言ではないジブリ映画『耳をすませば』に大きく影響され、授業中懸命に5ミリ方眼のノートの上にシコシコと物語を編み出すようになっていったのです。内容は子どもが考えるファンタジーです。少女がある日突然、異世界にワープし、そこで恋をしたり、仲間を見つけて成長していくような、ありきたりの流行り物の冒険物語でした。今読んだら赤面必須ですが、おもしろいかもしれませんね。

物語を書くことは中学時代を通して続きました。中学で出会った中にも書くことが好きな仲間が一人二人いて、交換日記ならぬ、交換物語をまわして書いたりしていました。学校帰りは、自営業を軌道に乗せ始めていた両親の事務所に直行し、誰も使っていないパソコンに何時間もへばりついて近未来的なアンドロイドと人間が共生する世界を繰り広げて、夢中で打ち込み続けていました。それなのに、成績が関わる小論文、感想文や報告文など形式が決まっている文章はどうしても上手く書けませんでした。今でもそうですが、日記が不得手で、自分のためだけに自分の思ったことを肩肘張らずに書くということがどうしてもできない。だから文章を書くことが得意なことだと自分で感じたことはなかった。書き手になるという将来はもちろん選択肢にもなく、物心ついたときから絵を描くことが大好きだったので、進路は美術デザイン系へと舵を切ることになりました。

文章を書かなくなったのは、その舵きりのタイミングに直結しています。高校2年の夏、絵の予備校に通い始めてからピタリと、物語も、書くことも私の世界から遠のいていきました。あれほど夢中になれたのに、忘却の彼方へ葬り去られ、数年間は本を読むことからも遠ざかっていたように思います。絵や、デザインや、美術の世界に自分を埋めていたからでしょうか。留学してからです。活字に枯渇したと気がついたのは。留学中付き合っていた日本人彼氏が読書家で、日本からわざわざこんなに持ってきたのと驚くほど彼の本棚は充実していました。日本語に飢えていたのも手伝って一冊、また一冊と彼の蔵書を読み込んでいき、そのうちそれではことたらず、自分でも帰省のたびに持ち込んだり、ニューヨークのブックオフで買い込んだりして本を増やしていきました。

それでも、書くことへの欲求が水面にやっと浮上してきたのはここ最近です。ただ書きたいのはもう冒険物語ではありませんでした。読む人がいるという設定で書くエッセイがどうしても書きたくなったのです。これが40歳手前になって、人生の棚おろしをする必要性に迫られたのに起因しているのは疑う余地がありません。実際ここひと月つらつらと書き連ねた文章たちによって私の頭の中は少しずつですがクリアになって、なんなら豊かにもなっています。これから進む道を模索する勇気をそこから得ているようです。今は書きたいことがいっぱいすぎて書く頭と手と時間が追いつかない。忘れないうちにタイトルだけでもつけて下書き保存するので精一杯です。

だから、バッジとメダル機能、ありがとう。

こんな徒然と、行き先も目的も確かでない文章を読んでくれた名も知らぬあなた、ありがとう。

ときどきつけられるスキに元気付けられています。

ありがとう。


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