見出し画像

マゾキズム

自由は時に人を苦しめる。何にも縛られていない人間は、しばしば惑う。人々は規範を求める。宗教が欲しい。神が欲しい。SMも、ある種の宗教である。苦しみからの解放、あるいは救済である。ワルい言い方をすれば逃避である。合理性を以て生きようとすればするほどに、精神には小さなひびが入ってゆく。ひびは網目のように広がり、すっかり自分を覆い尽くしてしまう。そんな自分をいっそ粉々に砕いてしまおうと考えたとき、SMはとても便利である。合理的な契約を根底におきながら、その上で“壊れた者ごっこ”をしよう。主従のていをとりながらも、双方はどこまでも対等な関係だ。

生に行き詰まったとて、死に向かって進む勇気などない。消極的な生を抱え込んでいる死に損ない。私はあの人に殺してくれるように頼んだ。殺してくれそうだったから、あの人を好きになった。あの人は、私から人としての権利を奪ってくれる。私はあの人によって“殺され”たのだ。それが私の、しあわせだったのだ。

p:うつせみ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?