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先輩のお下がり/短編小説

 高校時代から慕っていた先輩が、飲酒運転の暴走車にはねられ亡くなってからもうすぐ二年が経つ。俺とは違って酒も煙草もやらず健康に気をつけていた先輩がああもあっさり逝ってしまうなんて。

 俺はよく先輩からお下がりの服をもらっていた。当時、収入も少なく着古した洋服ばかりに袖を通していた俺に「お前、いつまでそれ着てんだ」と言いながら、これ本当にお下がりか? と疑いたくなるような新しい衣類ばかりをくれた。「小さくなったからやるよ」と成長期などとうに終えたはずの先輩の体はどんどんでかくなっているらしかった。

 心にぽっかりと穴が空いたような日々を過ごしていた俺の胃に、こっそり癌が巣食っていたと知ったのは「昨日で夏は終わりです」と太陽が言ったのではないかと思うほど急に寒くなった日のことだった。

 検査と治療を繰り返す日々が続いた。懸命に頑張ったつもりだったが、医師の表情は日を増すごとに曇っていった。

 ひょっとしたら俺はもうダメなのだろうか。弱気になりかけた日の夜、夢を見た。先輩が出てきた。「お前、いつまでベッドで寝てんだ」あの頃と変わらず笑っていた。夢の中だったが、俺はそのとき、先輩が迎えにきてくれたんだなと思った。

「こっちはいいぞ。楽しいことばかりだ。おまけに腹が減らないから食う必要もない」先輩は自らの腹部をさすった。「小さくなったからやるよ」

 その夢を見てから最初の検査後、医師の顔に困惑が浮かんだ。いよいよか、と思ったが医師は意外なことを言った。「……胃に腫瘍が見当たらないですねぇ」

 治療が功を奏した、薬が効いた、と周りの者は理屈をつけたがった。だが、俺にはわかる。

 退院後、仲間と飲みに行く機会があった。「もう治ったんだから飲め飲め」と友人は勧めてきたが、俺は烏龍茶を頼んだ。
 先輩からもらったお下がりを、大切にしたいと思った。

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