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【日常生活での困りごと5つのこと】

株式会社コムニコの髙橋です!

私は、現在パラアルペンスキー競技に取り組んでおり、2026年に開催されます、ミラノ・コルティナダンペッツォパラリンピックの出場を目指し、日々トレーニングに励んでおります。


1本目のnoteはこちらから↓

2本目となる今回は、「障害を負って日常生活で困ること、嫌なことはないの?」とよく聞かれるので。そんな疑問に答えていきたいと思います。

1【~小さなころ嫌だったこと~】


生まれながらにして脳性麻痺をもった私にとって当然ながら、健常者の体を知りません。

右手が動く感覚がなく、足も不自由なため、ものを持つという作業や、段差で、右足がつまずき、転びそうになるというのも日常茶飯事です。

小学校に入ると体育の授業が始まり、縄跳びや跳び箱など、周りの子供たちと一緒に身体を動かす機会が増えました。

周りの子は難なくこなせる中、なかなかできない私は、みんなからの視線にすごく嫌な気持ちになったことを今でも覚えています。

自分は他の人と違う身体なのだと気付いたのが、ちょうどこの時でした。



2【どうやって乗り越えたの?】


そんな私が、どのように工夫して授業をこなしていたかを少しご紹介します。

当時の私は、縄跳びをまったく飛べませんでした。右手が硬直しているため、縄跳びのひも部分が、手に絡みついてしまいせいぜい2回が限界でした。

そこで、当時の担任の先生と相談をして、左だけで縄跳びを回し、縄が回るタイミングでジャンプし、飛ぶ感覚をまずは養うという方法で練習を始めました。

このことで、できるできないを最初から決めるのではなく、工夫次第で可能性は無限大なのだと先生が教えてくれました。

また先生は、私の右手筋力アップのために卵型のリハビリ用器具を買い、毎日のように放課後、リハビリに付き合ってくれました。忙しい中、私のためだけに時間を作ってくれていたことには、感謝しかありません。

3【挑戦の気持ち~靴ひも結び~】


小学校に入学してから活動の幅(体育の授業や、休み時間で身体を動かすなど)が増えました。運動中に靴ひもがほどけ、その紐を踏んで転ぶということがたくさんありました。

そのひもを結ぶのに、片方5分程かけてやっと結び終わる。両方だと10分もかかるので、休み時間の半分を紐結びに使ったこともありました。

両親やリハビリの先生からは、結ばないひも靴を紹介されましたが、見た目を気にしていた当時の私は、かたくなに使いたくないと言い続け、「絶対に使わない。みんなと一緒のひもがある靴を使うんだ。」と謎の意地を張っていました。

結ばない靴ひも

家に帰るとひも結びの練習が日課になっていました。

行程1
行程2(完成)

中学、高校に進み、部活で運動をやるようになると、今まで以上にひもがほどけるようになりました。そのころになると、2~3分程で両方結べるようになっていましたが、結び方が緩いせいか動くと数十分に一度ほどけるので、「活動を中断して結ぶ。」を繰り返すことを、余儀なくされました。

あまりにも頻繁に靴ひもがほどけるので、高校生のとき、これまでは断固拒否していた結ばない紐靴を....

「ついに使ってしまった!」

練習効率が上がるためとても良いのですが、その時私は、何かに負けた気がして罪悪感を覚えました。

今思うと、その時少し大人になれたのかもしれません。

4【格闘中~ごみ袋結び~】


アルペンスキーの道に進むため、大学は日本体育大学に進学をし、スキー部寮に入寮しました。ちなみにその寮では障害者は私一人でした。

寮母さんがいないこの寮では、すべてを学生がやらなくてはなりません。今まで、母が全てをやっていたと思うと、母の偉大さを感じました。

そんな学生たちとの共同生活で、避けていた作業があります。それはごみ捨ての時の袋結びです。同期に任せっきりにしてしまっていました。

一人暮らしをしている今、同期には大変申し訳ないことをしたと実感しています。挑戦もせず、やらなかったということは、私にとって恥ずべきことなんじゃないかと最近つくづく思います。

一人暮らしになった私は、誰も手伝ってはくれない環境へおかれることで、試行錯誤しながら、日々ごみ袋を結んでいます。

行程1
行程2
行程3(完成)

写真では分かりづらいですが、左手で輪っかを作り、その輪っかに右手側の袋の端を通し、通し終わったらほどけないように、その端を左手でつかみます。

このように、右手はあまり動かせないため、左手を主に使い右手は、左手の補助役として成り立っています。

皆さんもよかったら右手をグーにしてやってみてください!

5【私の敵~食器洗い~】


大学卒業後は一人暮らしになり、生活面でやるべきことが増えました。大学では、朝ご飯だけ自分たちで作り、それ以外は学食で食べていたので、食器洗いは1日に1回でした。

当時の私は、こんなの簡単じゃん!と思っていたので、そんなに気になってはなかったのですが、全部一人でやるようになるとその大変さが分かるようになりました。

朝昼晩ご飯を作り、それから食器洗い。何度食器洗いをしなければいけないのだと正直嫌になってしまいます。

そのうえ、食器洗いは私にとって敵といっても過言ではないのです。なぜかというと、右手の握力が大してないのでかなりの確率で食器を落とします。落とした食器は「パリーン」と音を立て、シンクに悲しそうな姿で横たわっています。

今まで、10皿以上は割っているので、そのすごさがわかるのではないでしょうか。

右手が滑ってしまう。

22年生きてきた中で、10皿以上割ったことある人ランキング、表彰台ですね(笑)

冗談を言いつつも、私にとって食器洗いは、右手を動かすというリハビリの場として、十分活用できています。この右手は、使わなければ使わない程固くなり、最悪の場合自力で、手を動かしたり開いたりすることができなくなるので、そういう点で、メリットになっています。

6【工夫次第でどうにでも~車の運転~】


私は、約1年前に運転免許を取得しました。周りの同級生より、だいぶ遅くなりましたが無事に取ることができました。

障害を持った身体で、どう運転するのだろう?そもそも受け入れてくれる学校はあるのかな?などの不安があり、自動車学校を探すのをためらっていました。

しかし、移動が多いスキー競技者にとって免許を持っていないのは不便なため、取得に乗り切りました。

私は右半身が麻痺のため、MT車免許は取れずAT車限定での取得になります。

始めは運転に余裕があったのですが、感覚が鈍い右足だけで動作を行うというのは、リスクがあるということが判明しました。

ブレーキを踏むという普通の動作でもブレーキに足を持ってきたときに踏み外すという現象が起きたのです。

そこで、麻痺していない左足でアクセルとブレーキを操作してみましたが、アクセルが踏みにくく、足をひねらなければ操作できなかったので却下。次に、現在私の運転方法となっている、アクセルとブレーキの操作を左右の足で分けるという方法に至りました。

アクセルは右足、ブレーキは左足で行うことで、踏み外すということを無くすと同時に、緊張して足が硬直したとしても、麻痺していない左足がブレーキに配置していることで、少なからずぶつかるという心配は解消されました。


左足ブレーキ

また、左足ブレーキにはメリットがあって、市街地などで、急な飛び出しがあった時、踏みかえ時間の短縮が見込まれ、とっさの時に役に立つので、この方法はとても理にかなっていると思っています。

【さいごに】

このように時間は掛かりますが、工夫次第で普通の日常を送れていることがお分かりいただけたのではないでしょうか。

みなさんからよく聞かれる「障害を負って困っていることはないの?」という疑問に対する回答は「あるにはある。」となります。

なぜこのような曖昧な回答かというと、困っているのか困っていないのか正直分からない。これは困っているのか?と思うからです。

生まれてから現在まで、不便な思いをしていないと言ったら嘘になりますが、大したことではないとも思っています。

「生活する中でうまくいかないことがあっても、工夫できる点を探し、あきらめずに挑戦する」

私自身、工夫や、挑戦をしてこなければ、今の私はいませんし、パラリンピックを目指そうと思ってなかったと思います。
また、動物のお世話をする農業高校や体育を専門に扱う学校など選ぼうとしなかったと思います。

神様からいただいたこのからだを最大限に使用し多くの可能性を広げ、人生を楽しいものにしたいと思っています。

皆さんも今ある身体を最大限に活用し、できることはないか?と探すといいことがあるかもしれません!!

御清覧いただきありがとうございました。

髙橋



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