アスファルト

【散歩】もう一度、このまちを探検しませんか

散歩という名の探検
私たちは隙あらば散歩をしていた。


お財布がわりの封筒の中は千円札と小銭だけなのに、
代官山の1枚3万円のTシャツを売るような小さな店をまわり、
店の隅に売っているちょっとおしゃれなボードゲームを買ってしまって小銭しかなくなった時、

絶対に降りることのないだろう駅で降りようと決めて、
降りたものの、あるのは国道と工場と、のれんのかかっていない小料理屋だけだった時、

ちょっと難しい恋人に誕生日プレゼントを買ったものの渡しに行っていいか迷っている時、

その道のりを「探検」と呼んでまちにコメントをしながら笑って歩いた。


探検の道具は空想
あの頃、私は心理学を専攻していたけれど、勤勉な学生ではなかったし、
隙あらば内戦の現場に行く癖があった位で、
もちろん、まちをみる視座や知識は何もなかった。

あるのは、勝手な空想だけ。

少しいがんだアスファルトの継ぎ目をみては、

「新人が担当したのかな、前職はなんだろう。作業中になにか嫌なことでもあったのかも」

迷子になる為に出来ているような路地を進んでみては、
「あの奥にある家の主人は、きっと陶芸が趣味で、1年に1度しか散髪しないだろう」
なんて

今後出会わないかもしれない人の人生を勝手に妄想したりしていた。

ビジネス街で突発的にキャンプをして、朝通勤客の足音で起きたことを、誇らしげに話したりしていた。

散歩≠フィールドワーク

小林君に「散歩」というお題をもらった時

「近頃、散歩をしていないな」

とふと気が付いたよ。

わたしは、紆余曲折のあと、都市デザインやコミュニティ形成を学び、まちづくりの仕事についている。

まちに対する知識や経験が増えてくると、想像に確からしさが加わってくる。

路地に入りこんでも、その路地が都市計画上どう位置付けられ、まちの方々がどういった選択と行動をするのか頭によぎる。

今でも、業務や研究としてのフィールドワークやまちあるきはしているけれど、もう、それは探検とは呼べない。

突発的に、まちでキャンプなんてしない。もしするとしても、「実験」という名の「計画」を帯びている。



このまちを語る時は、あの頃を思い出す

今だって変わらず東京に住んでいるのに、

「自分たちのまちで、たのしいことをしたいね。だって東京は私たちのふるさとだものね」

と話すとき、思い出すまちの風景は、あの頃のもの。

経験をつんだ今のことが好きだけど、少しの工夫と行動で、明日はもっとたのしくなれるのではと思ったりする。

だから、もう一度、探検をしたいです。
少し暖かくなったら、知識は横に置いて、空想する隙を空けて、探検に出ませんか。
きっと、今でもこのまちは、まあまあ愉快に遊べる場と思うんだ。

□小林君へのお題:遊び場

                           (田中悠充)

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